五年という歳月を思い返して。
長い、短い。
短い、長い。
果たしてその期間に、どういう意味があるかなんて分からないけれど。
この五年の間に、何があったの?
私は確かに成長して、見た目もそれなりに変わった。
けれど、本質的な物は何一つ変わっていないと信じてる。
長い、短い。
短い、長い。
その間に変わりゆくもの、変わらないもの。
貴方に、
そして私達に何があったのか、思い返して。
OLD MAID
013/changing and unchanging
飛鳥はただひたすらに走っていた。
近頃の運動不足も忘れてしまう程に、とにかく前に向かって走っていた。
その先にある場所が、何処かは分からなかった。
けれど、前に進めば自分の求める答えがある気がした。
後ろを振り返らず、翔って行く。
無我夢中だ。
サンダルを履いているせいで、足は上手に動かない。
しかし、そんなものなど意ともしない。
自分の中のモーターは回り続けている。
走れば走るほど、町並みが見慣れたものへと変わっていった。
五年という年月は意外に長くて、全てが前と同じという訳ではなかったけれど、しかしそのいずれも面影が残っていた。
確か以前は、あそこに花屋があった。
今は怪しげな玩具屋になっている。
その両隣にあった店は、今も鎮座している。
変化と同時に、変わらない物も存在している。
覚えのある商店街の脇道に入れば、細い道が続いていた。
ぼんやりと薄暗い道を行く。
記憶が正しければ、遠くの方で橙の灯が灯っている筈だ。
なぜ其処に己が向かっているのかは、分からなかった。
ただ、勝手に足が動いていた。
もしかしたら、過去に其の地に思い入れがあったからかもしれない。
或いは、本当に其処が得体の知れない何かを発しているせいで、自然と体が引き寄せられているのかもしれない。
飛鳥は、己の本能に任せて走った。
足の赴くまま、先を急いだ。
「やっぱり、あった」
見覚えのある建物を見付け、小さく呟く。
其処には、飛鳥の記憶通り、一つの建物があった。
以前、飛鳥が一度しか来た事がない場所だ。
それなのに、不思議なくらい感覚が馴染んでいる。
赤茶色の瓦屋根。
ベージュのひび割れた壁に、所狭しと貼られた風俗じみた貼り紙。
不似合いな、ピンクの引き戸。
あの頃と、何も変わっていない。
妖しげな雰囲気が、隠しきれていない。
「タロン」
荒い呼吸と共に、誰にも聞こえない小さな声で、建物の名を呼ぶ。
気が付けば、日も大分暮れかかっていた。
そのせいか、タロンを照らす街頭が、益々艶かしく光っている。
裸眼で確認出来る程度のぼんやりとした薄暗い灯だが、いやらしさは十分だ。
飛鳥は、眉間を寄せた。
大して役に立たない街灯では、誰が居るのかうまく分かりそうもない。
必死に目を凝らして見てみるが、己が求めている赤髪の人が居る様子はない。
「何だよ」
本能に赴くまま此処まで来てしまったとはいえ、拍子抜けだ。
此処に来れば間違いはないと確固たる理由があった訳ではないが、何かがあるかもしれないと期待していた分、気落ちするのが大きかった。
辺りはとても静かで、梟でも一鳴きしそうな程だ。
たとえば、目の前の建物の中に入ってしまえば、様々な声や音が溢れているのだろう。
だが、そこまでしようとは思えない。
一人でその建物に入る勇気も無い。
どうしたものかと立ち尽くしていると、後方から忙しない小さな足跡が聞こえた。
振り返ってみれば、先程まで自分が走って来ていた道に、薄らと一つの人影がある。
別に追われている訳でもないのに、飛鳥は近くにあった電信柱の影に咄嗟に隠れた。
どうやら影は、飛鳥よりやや身長が低い少女の様だった。
今が日中であれば、相手の少女も飛鳥の存在に気が付いていただろうが、辺りが暗いせいで、その心配もない。
「も、もう待ってるかしら」
少女は、息も切れ切れに、小動物でも鳴くかのような声を出した。
年は十代半ば過ぎだろうか。
飛鳥は、呼吸を控えめに、こっそりと少女の顔を見た。
少女は、淡いマスカット色の長い髪をしていた。
肌の露出は、この世界の住人にしては珍しく、ほとんど無い。
纏っている衣類そのものも、どことなくもったりと重そうだ。
目はとてもくりくりと大きく、小振りの鼻もとても可愛らしいが、眼鏡をかけているせいで野暮ったく見える。
言わば、飛鳥とは間逆の容姿をした少女だった。
己には無い魅力に、目を奪われた。
「ど、どうしよう。
また、遅れちゃったかしら」
少女が、飛鳥よりも格段に息を切らしながら、きょろきょろと辺りを見渡した。
飛鳥も長時間走っていたせいで息は定まっていなかったが、彼女はそれ以上に、まるで全力疾走でもしたかの様に肩を揺らしていた。
飛鳥が確認する限り、彼女のその走行速度は然程速くは無かったので、要は運動音痴が一生懸命に走ってきただけではあるだろうが。
緑髪の少女は、辺りに誰も居ない事が分かると、ほっと胸を撫で下ろしていた。
誰かと待ち合わせでもしていたのだろうか。
自分が遅れたかと懸念していたのかもしれない。
少女が疲れ切った表情でその場に崩れ落ちた瞬間、また誰かが来た。
「よう。
早えじゃねえか、<クイーン>」
その人は、飛鳥と緑髪の少女が通って来た道とはまた違った方向からやって来た。
その声は、飛鳥も随分と聞き慣れたものだった。
馴染みのある声色。
ぶっきら棒な物言い。
まさかと思って、その人の顔を凝視する。
何処かで飛鳥が追い抜かしたのだろうか、或いは相手が寄り道でもしていたのだろうか。
其処に居たのは、さらさらの赤い髪に、人より印象強い赤い瞳、高身長の男。
「ジャック」
緑髪の少女が、その青年の呼称を呼んだ。
それに、青年も片手を挙げて応えた。
彼の姿を確認して、緑髪の少女は駆け寄ろうとしたが、何分元々間の抜けた子なのだろう。
両足がうまく回る事なく、赤髪の青年に届く直前で縺れ、ぐらりと身が傾いた。
「きゃっ」
か弱い小さな声が零れた。
しかし、その声の持ち主が、派手に地面に転ぶ事は無かった。
身体が地に伏す前に、赤髪の青年が予測していたかの様に、うまく片手で抱き止めたのだ。
二人の密着度も高くなった。
飛鳥の胸が、ちくりと痛んだ。
「あ、ご、御免なさい」
「ったく、とろ臭えなあ。
一々走らなくていいっつっただろ」
「ご、ごめ、なさ」
元より少女は、声が小さい性質なのだろう。
青年の広い腕の中で、申し訳無さそうに、蚊の鳴くような声で謝っている。
顔も、恐らく真っ赤になっているのだろう。
まるで恋する生娘のようだ。
もしかしたら、実際にそうなのかもしれない。
けれど青年は、そんな彼女を邪険に扱う風もなかった。
むしろ、仕様がないなといった風に抱き止めたまま、「怪我は無いか」等と尋ね、世話を焼いている。
二人のやり取りに、未だ隠れたままの飛鳥の中で、何か汚い物が燻った。
嫉妬ではない、と思う。
けれど、確かに何かがきりりと胸を締め付け、その上から灰色をした醜い感情が渦巻いた。
「どういう事だよ」
飛鳥は小さく呟いた。
その声は緑髪の少女より小さかったようで、誰に聞こえた風も無かった。
ただ己の耳に届いただけで、そのまま独り言は風に溶けて消えた。
五年という歳月は、長かった。
飛鳥にとって、長過ぎた。
余りに長過ぎて、何も知らぬ間に全ての歯車が外れてしまったかのように思えた。
変わらない物、変わっていく物。
そして、得体の知れない感情が、何かがある度に増えていく。
それら全てに、飛鳥は一人取り残されていた。
TO BE CONTINUED.
2006.02.09
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