ナクセミヨリモナカヌホタルガミヲコガス。
口に出してあれこれ言う者より、口に出して言わない者のほうが、心の中では深く思っていることのたとえ。
鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす [02]
最近、節子の様子がおかしい事は、黒狐も何処となく分かっていた。
明確な証拠がある訳ではないのだが、どうも常とは違う気がしていた。
虚ろな瞳をして、周りを眺めてばかりいる。
そうかと思えば、小さく嘆息する。
まるで、誰かと何かを重ねて、その度に諦めの感情を抱いているようだ、と黒狐は思っていた。
蛙と共に、遊歩道のベンチシートで時間を潰す。
今日の相方は、茶蛙だ。
時刻は十八時前。
そろそろ節子が学校から帰ってくる頃合いだ。
蛇神より特別に監視役を仰せつかっている訳ではないのだが、他にする事もないので、琵琶を掻き鳴らしながらその姿を待つ。
茶蛙は、黒狐の横でうとうとと舟をこいでいた。
最近の流行曲に、昔懐かしのメロディー。
洋楽ロックに、こぶしのきいた演歌。
楽器から零れていく音符は、いつも気まぐれに風に乗って行く。
誰かの注意を引く時もあれば、誰も見向きもしない時もある。
別に、それでも構わない。
誰かに聴かせる為に弾いている訳ではないのだから。
黒狐は、ふと琵琶から顔を上げた。
近くの時計台は、十八時過ぎを指していた。
蛇神の愛しいあの娘は、もう近くまで来ている頃だ。
そう思った途端、目当ての姿を見付けた。
節子だ。
黒髪が美しい彼女は、夕暮れに横顔を染め、今日も朧げな瞳で歩いている。
やはり何か悩み事でもあるのだろうか、と思った。
声を掛けるべきか、否か。
或いは、彼女が好きそうな曲でもプレゼントするべきなのだろうか。
迷っていると、節子の鞄からポロンと音が落ちた。
その音を、黒狐は知っていた。
最近の若者のほとんどがしている「ライン」といわれる、携帯メッセージの着信音だ。
節子は、緩慢とした動きで、鳴った電話を手に取った。
その直後、ぴたりと足を止めた。
本日の節子のお供だろう黄蛙も、節子の手元の携帯画面を見ていた。
彼は、ただですらぎょろぎょろしている眼を、より一層大きく見開いた。
「嘘」
節子が、ぽつりと呟く。
目が潤み、頬が真っ赤に染まっている。
「そんな。
だって、蛇神様は」
独り言のように呟く彼女に、黄蛙も何か信じられないものを見たように、目を白黒させている。
一体、何があったというのだろうか。
黒狐は、節子と黄蛙が凝視している携帯電話に、その答えがあると思った。
だが、それを忽ち確かめるのも、憚られる。
節子は走り出した。
節子の肩に乗っていた黄蛙が、ころりと地面に転がり落ちる。
そんな事など、節子は気にも留めない。
むしろ、気が付いている様子がない。
慌ただしい足音は、あっという間に通り過ぎていった。
節子が去った後、黒狐は未だ転がっている黄蛙を拾い上げた。
「信じられん」
目が合うと、黄蛙が呟く。
「蛇神様が」
譫言のように言う。
そんなに何かに驚いたのだろうか。
続きを促すよう、黒狐は黙って様子を窺った。
「あの小さなカラクリを使って、娘っ子に恋文を送ってきおった」
黄蛙が口を震わせる。
そこで初めて、黒狐も嗚呼と得心した。
成る程、そうか。
近頃の節子の沈んでいた表情の訳も、一瞬にして分かった気がした。
周りを見て溜息ばかりを吐いていた節子。
彼女が見ていたのは、最近の若い恋人同士ばかりだった。
彼らが携帯で愛のメッセージのやりとりをしていたのを、節子はずっと羨んでいたのだ。
想い人である蛇神は日本古来の神であり、人間ではないのだから、そんな最新機器を使った事は自分達には出来ないのだと、分かっていながらも。
それなのに、先程、節子の携帯電話に届いたのは、蛇神からの「ライン」という受信電波。
黒狐は、電話に表示された尊い神からのメッセージを、黄蛙より聞いた。
その内容は、他の者には到底教えられないような、誰よりも強く、甘く、狂おしい想いに溢れていた。
END.
2016.05.11
引用:故事ことわざ辞典・Lookvise.inc
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