キオウハトガメズ。

過ぎ去った事、済んでしまった事をあれこれ咎めだてしても始まらない。
それより、これから先の事を大事にせよという事。

かむ
038/既往は咎めず

節子の目の前で、見慣れた景色が広がった。
透き通った海、高い空、美しい砂浜、そして大きな社。
赤い反り橋の上で、赤蛙と茶蛙が蛙姿のまま戯れている。
黄蛙が砂浜の中に埋もれて眠っている。

帰って来られたのだ、と思った。
節子の胸がまた一段と高まった。

あの舘の中に蛇神が居る。
会いたくても会いたくても、それが叶わなかった恋焦がれた人が居る。
そう思うだけで、心臓が不自然なリズムを刻んだ。

節子はすぐに社の方へ駆け出そうとした。
だが、その時ふと思い出した。

確か己は、蛙に追い出されたのではなかっただろうか。
もし此処で蛙達に見付かってしまっては、また同じ二の舞を踏む事になるのではないだろうか。

幸いな事に、まだ蛙達は節子の存在に気が付いていない。
出来ればこのまま知られる事なく舘に近付いた方が上策だろう。

しかし、蛇神が住まう社に行くには、反り橋を通るしかない。
海を泳いで渡る訳にもいかない。
第一、泳いで渡るなどすれば、その水音で蛙達に勘付かれてしまうのは目に見えている。
蛙達の方こそが海の中に入ってくれた方が有り難い。

すると、節子の念が届いたのか、橋の上でふざけあっていた赤蛙がころころと転がって海に落ちてしまった。
それを追いかけるように茶蛙も飛び込んだ。

橋の上は無人となった。
砂浜の黄蛙も相変わらず眠っている。

チャンスは今しかない。

足音を立てぬよう、節子はそろりそろりと橋の方へ向かった。
その気配を嗅ぎ取ったのか、黄蛙は一度ごろりと寝返りを打ったが、起きたようではなかった。

そのまま節子は息を殺して歩を進めた。
橋の下では、始終、赤蛙と茶蛙がやんややんやと騒いでいた。
喧嘩をしているのか、ただ遊んでいるだけなのか分からないが、節子の存在にはとんと気付かないようだった。

節子は何とか社の近くまで近付く事が出来た。
後は中に上手く侵入して、蛇神を探さなければならない。

恐らく社内には、蛇神以外にも青蛙と緑蛙が残っている筈である。
その二匹にも出くわさないようにしなければいけない。

節子は静かに靴を脱いだ。
階の上に足を乗せる。
ほんの少しの音も立てる訳にはいかない。

二段目に足を運ぶ。
三段、四段と更に運ぶ。
すると、五段目に行くその直前に、節子のすぐ背後から「ちぃと」と声が聞こえた。

蛙に見付かってしまった。

「お前さん、また来おったんか」

振り返った先に居たのは、懸念していた青蛙だった。
節子を社から追い出した張本人でもある。

そのすぐ後ろには緑蛙も居た。

「もう蛇神様にお前さんは必要ないと言われたろうに。
何しに来た」

やはり、気付かれずに侵入するには無理があったのだ。

蛙二匹はじっと節子を見据えてきた。
小さな生き物とはいえ、その貫くような視線に思わずたじろぎそうになる。

この蛙達は、見た目はただ小さいだけの両生類だけれども、その実、とても力が強い。
少なくとも節子一人では敵わない程だ。
流石、神の使いともいえよう。

青蛙がぴょんと飛び跳ね、節子に近付いて来た。
また追い返されてしまうのだろうか。

節子は無理矢理背筋を伸ばし、言い返した。

「私、蛇神様に会いに来ました」
「お前さんは痴愚か。
じゃから言っておろうに」
「でも、会いに来ました!」

負ける訳にはいかないと思った。
ここで連れ戻されてしまっては、同じ事の繰り返しだ。
もう一度黒狐が此処に連れて来てくれるかどうかも分からない。
これが最後の好機かもしれないのだ。

騒ぎを聞き付けた赤蛙と茶蛙までもがやって来た。
黄蛙だけが未だ向こうの方で眠っているようである。

あっという間に四対一になった。
況してや、相手は人ならざるものだ。
節子に勝ち目は無い。

このまま蛇神に会えないかもしれない。
折角ここまで来たというのに、結局またまともに話も出来ないまま終わってしまうのかもしれない。

それは嫌だった。
何としても、せめて蛇神に一目会わなくてはいけないのだ。

謝りたい。
顔が見たい。
ほんの少しでもいいから、傍に居たいのだ。

節子は勢いよく踵を返して、社内に駆け出した。
こうなったら強行突破だ。
蛙に掴まらないよう走って、さっさと蛇神を見つけてしまうしかない。

けれど、その節子の作戦もすぐに無駄に終わった。
意を決し、とにかく社内を走り回ろうとしたその直前に、その目的人物がひょこりと姿を現したのだ。

「騒がしいな」

仮眠でも取っていたのだろうか、蛇神は扇で隠して欠伸を噛み締めていた。
だが、節子の姿を目に捉えると、その眠そうな眼をしかと開いた。

「セツ」
「蛇神様!」

節子はすぐに蛇神に張り付こうとした。

蛙に掴まっては、連れ戻されてしまう。
それならば蛇神にしがみ付いてしまうしかない。

恥も外聞も無い。
とにかく今は、蛇神に話を聞いて貰わなければならなかった。

蛇神は、一度眉を顰めて、すぐに背を向けた。
また姿を眩ませる気だ。

「待って下さい。
私、蛇神様に会いに来たんです」

逃げられてしまう前に、何とか蛇神を捕まえた。

「私にはもう話す事は無いよ。
帰りなさい」
「嫌です。
今度は絶対に帰りませんから」

節子は、蛇神の背中に抱き付いた。
そのままぎゅうと強く抱き締めた。

通常の人間であれば、「苦しい」と文句の一つでも零すかもしれない。
だが、蛇神は神であるから、痛みは無いようだ。
それに、ここまでしないと蛙達に簡単に引き剥がされてしまうだろう。

一度大仰に息を吐き、蛇神は言った。

「もう現世に戻れなくなると言っても、そなたは此処に留まるつもり?」

蛇神は此方を向く事などなかった。
節子の顔すら見る気がないというのだろうか。

胸が締め付けられた。
息苦しささえ覚えた。
好きな相手に背を向けられるだけで、人はこんなにも辛く感じる事が出来るものなのだろうか。

しかし、その手酷い応対にくじける訳にはいかなかった。
ここで強く粘らなければ、もう二度と蛇神には会えないかもしれないのだ。

「はい」

節子は腕の力を更に強めた。

「もう蛇神様抜きの生活なんて考えられません」

この切なる想いが少しでも届くようにと、必死に願いを篭めた。

「私は、蛇神様以外の人を好きになんてなれません」

しっかりと言い切る。

事実だった。
どんなに良しとされる人が現れても、節子には蛇神以外の男を愛する事が出来る筈が無い。
節子には、蛇神しか居ないのだ。

節子を好いてくれる影山も、いい男なのだろうとは思う。
けれど、友達の枠を脱しないのだ。
恋愛感情に発展する事が出来ない。
いつだって蛇神の顔が脳裏を占めてしまっているからだ。
もし蛇神が一生此処に居ろと言うならば、もうそれでも構わないと思っている。

確かに家族や友人と離れてしまうのは寂しい。
だが、蛇神が傍に居てくれるならば、耐えられると思った。

蛇神は神だから、節子の家族や友人に要らぬ心配を掛けないようにする事など容易いだろう。
茶蛙を節子の代わりに変身させたように、他の身代わりを用意する事も出来るに違いない。

皆に心配さえ掛けさせないのならば、節子は我慢出来る。
寂しさなど、蛇神に捨てられる辛みに比べれば何とも無い。

節子の言葉に、数秒蛇神は黙っていた。
それから、何か考えるようにゆっくりと続けた。

「そなたは強情な子だ」

怒っているようではない。
だが、背を向けられているせいで、彼がどんな顔をしているのかは分からなかった。

「私はそなたの呪いを解いたと言った筈だよ。
他の男に身体を開いたところで、快を覚える事も出来る」
「身体は開けても、心は開けません」
「神に身を捧げては、通常の人間らしい幸せなど手に出来ない」
「蛇神様無しで、どうやって私に幸せになれと言うんですか。
私は、こんなにも蛇神様の傍に居たいのに。
本当に好きな人と離れて、何処に幸せがあるというんですか」

節子は言い切った。
これらもまた、本心だった。

たとえどんな男と密に関わる事があろうが、先日の化け物の事件のように無理矢理快を引き出されるような真似をされようが、心までは持っていかれない自信があった。
たとえ身体が快楽に溺れても、心の奥底が求めているのは蛇神の存在だけだ。
他の誰でも無い。

蛇神と一緒に居て人間らしい生活が送れるとは思えない。
だが、それが何だというのだ。

蛇神と離れて、よく分かった。
すでに蛇神の存在は節子の根深いところまで巣食っている。
それをなくして、どうやって他の幸せが見つけられるというのだろう。
好きでもない男達と暮らしたところで、虚しさしか覚えないのは目に見えているというのに。

蛇神は、また小さく嘆息した。
それから、節子がきつく拘束している腕にゆっくりと触れてきた。

その優しい手付きに、つい節子も腕の力を緩めてしまった。
緩めた直後、逃げられてしまうと思って慌てて再度力を込めようとしたが、蛇神は逃げる事もなく、節子の方に向き直ってくれた。
そして、節子の額に掛かる前髪をそっと梳いた。

「黒狐に連れて来て貰ったんだね。
額に印が押されてある」

優しい言葉と並行して、蛇神の表情も穏やかだった。

「元より細いと思っていたが、また随分と痩せてしまって。
そなたは本当に困った子だ」

頬を撫でられた。
和順な手付きだった。

蛇神の蒼い目の中に、皺くちゃになった節子が映っていた。
必死の形相で、今にも泣き出しそうな顔だ。

蛇神は一度目を閉じ、それから唇で柔く弧を描いた。
久しぶりに見た笑顔だった。

節子は、頬に触れている蛇神の指にそっと手を遣った。
ひんやりと冷たい彼の指は、夢でも幻でもなく、本物の蛇神のものだった。

もう何処かに行く素振りも見せない。
蛇神が、傍に居てくれているのだ。

その時、つんつんと節子の脇を突く者が居た。

「ちぃと聞くが」

いつの間に変身したのだろうか、少年姿になった赤蛙だ。

「お前さんはどれくらい蛇神様が好きだと言うんじゃ」
「え?」
「どれくらいと聞いとる。
言ってみい」

まさかそんな質問をされるとは思ってもみなかった。

節子は、きょとんと目を見開いた。
これは試されているのだろうか。
蛇神本人に聞かれるならまだしも、蛙達にそんな事を問われるとは。

赤の少年は、袂から黒茶けた小さな細長い物を取り出した。

「これが食えるか?」
「何ですか、それ」
「イモリの干物じゃ。
わしらは好物じゃが」

少年はそれを、ずい、と差し出してきた。

その物体は、赤の少年が言うように、確かにイモリの形をしていた。
蛙達は日頃からこのような物を平気で食べているというのだろうか。
考えただけで、ぞっとした。

「最近の若い娘っ子は、ゲテモノが食えんと聞いたが」

また更に突き出された。
これが食べられるかどうかで想いの大きさを量るとでもいうのだろうか。

その他蛙達が、「そうじゃ、そうじゃ」と囃し立て始めた。
まるで小さな子の集団苛めだ。

しかし、節子とて此処で引き下がる訳にもいかなかった。
イモリなど生まれてこの方一度も食べた事など無いが、ただこれを食するだけで蛇神の傍に居られる事が出来るというのならば、それも安い引き換え条件な気がした。
やって出来ない事では無い。
元来の節子であればそれも無理だっただろうが、今はもう怖いもの無しだ。
こんな事で蛇神の隣席を確保出来るというのならば、上等だ。

「貸して下さい」

節子は少年からイモリを取り上げた。

意を決して口を開ける。
こうなれば、勢いに任せて行くしかない。

だが、節子がイモリを口に放り込んだ瞬間、その干物はぱっと姿を消していた。
節子は、ただ空気だけを飲み込んだだけだった。

「セツに馬鹿な事を強要するんじゃない」

何が起こったのか呆然としていると、節子が口内に放り込んだ筈のイモリは、何故だか蛇神の手の中にあった。
蛇神自身は、呆れたように目を細めて蛙達を見ている。

「おいで」

イモリをぽいと放り捨て、節子は片手で蛇神に抱き寄せられた。
ふんわりと香る桜の香が懐かしい。

「恋しかったのは、そなただけじゃないんだよ。
私とて、本当は」

そこで言葉を切り、こめかみに口付けられた。
蛙達が、一斉に「あー」だの「おー」だの声を上げた。

その野次も無視して、蛇神は頭にも唇を落としてきた。
言葉など無くても、彼の想いがじんわりと胸の中に拡がってくる。

「好きです、蛇神様」

節子は、蛇神の胸に顔を埋めた。

「また随分と積極的になったものだね」
「でも、本当の事なんです。
好きです」
「そう。
そういえば、そなたからその直接的な言葉を聞くのは四度目になる」
「数えていたんですか?」
「そなたから睦言を貰うのは珍しい事だからね」
「でも、随分と数が多くないですか?
もしかして、私の前から姿を消してからも、何処かで聞いて数えていたって事ですか?」

以前、蛇神は節子の前から姿を消し、再度現れようとはしなかった。
だが、その間も節子が叫んでいた告白を聞いていたという事だろうか。

節子が蛇神に面と向かって告白したのは、これが初めてだ。
本来なら、一度目の筈である。

「さあ、どうだろう」

蛇神が平然とはぐらかした。
この意地悪さがまた、彼らしいとも思えた。

蛇神は、優しくて甘ったるくて、けれど悪戯好きな神だ。
愛情深くて、嫉妬もするし、とても人間臭いところもある。

そんな彼の事が、節子は本当に愛しかった。

まさか自分が人ならざる者と恋に落ちるだなんて、誰が想像出来ただろう。
こうやって抱き合っているのも、不可思議な事この上ない。

しかし、今、目の前で起きている事は節子にとって現実であり、全てでもあった。
今まで蛇神という存在を知らずに生きて来ただなんて、なんて勿体ない事をしたのだろう。
こんなにも愛すべき存在に巡り会えただなんて、奇跡にも感じる。

今はただ、蛇神に抱き留められている事が嬉しい。

「御免なさい。
私、蛇神様の言う事をきちんと聞かずに急かす事言っちゃって、挙句に怖がっちゃって」
「構わないよ。
私こそ、悪い所はあった」

軽く腕を緩めて、蛇神は社の方へと足を向けた。
節子も一緒だ。
腰に回された手は、しっかりと固定されている。

「今度は、時間を掛けてでも私を受け入れてくれるね?」

蛇神が問うてきた。
節子は満面の笑みで頷いた。

「勿論です」

その言葉と同時に、辺りに涼しげな風が吹いた。
雲一つない青空は、今日も穏やかだ。
ここの主である蛇神の機嫌がとてもいい証だろうか。

節子は、今度こそ彼の腕を離さないようにしようと思った。
これまでは蛇神の想いに流されてここまで来た感が否めなかったが、今は違う。
節子の方もまた、心から彼を求めていた。
だからこそ、此処まで来られたのだ。

蛇神の過去の話も、もっと聞きたい。
それを踏まえた上で、彼を深いところまで受け入れたかった。

その為に時間が掛かるというのならば、それでも良い。
蛇神の傍にさえ居られれば、悠久の時間を過ごす事も可能なのだから。

「とりあえず、その額の印を消そう。
湯浴みでもしようか」
「私、桜の花弁が浮いたお湯がいいです」
「また随分と風流だね。
いいだろう、すぐに用意する」

以前のように穏やかに会話出来る事も嬉しい。
もしかしたら、前よりももっと近付けたのかもしれない。

歩きながら、さりげなく蛇神の肩に頭を乗せてみる。
目が合えば、またやんわりと笑んでくれた。
節子の中で、幸福感が溢れそうになる。

二人きりになったら、ここ数日の事でも話そうか。
どれだけ寂しかったか訴えたら、彼はどう返してくれるだろうか。
彼の事だから、「もう二度とそんな想いはさせない」とか、そんな甘ったるい科白をくれるだろう。

その約束が、どれだけ欲しかった事か。
彼ともう一度寄り添える日を、どれだけ夢見た事か。

数歩歩くと、「ああ、忘れていた」と蛇神が立ち止まった。
そして、くるりと後ろを向き、蛙達に目を遣った。

「青蛙」
「へえ」

呼ばれた青蛙が前に出る。
それを合図に、蛇神が軽く指を鳴らした。

その瞬間、青蛙はむくむくと膨れ上がり、あっという間に人間の姿となった。
いつもの少年姿ではない。
節子と瓜二つの容姿だ。
制服の皺一つでさえも同じようだった。

「何じゃ、これは!」

青蛙は奇声を上げた。
節子もまた驚いた。

そういえば、以前、茶蛙が節子に変化させられていた事があった。
今度の犠牲者は青蛙だというのだろうか。

「今日はセツの代わりで柏木家に帰るように。
それを昨夜の罰とする」

蛇神は淡々と告げ、また社の方へと歩を進めた。
青蛙が頻りに悲鳴を上げている。
その他蛙達が、大いに沸き立って笑い転げている。

どうやら節子の知らない昨晩の間に、青蛙は粗相をしたらしい。
一体何をしでかしたというのだろうか。

掃除中、遊んでいたのだろうか。
屋根や襖でも壊してしまったのだろうか。
それとも、蛇神の着物を台無しにでもしてしまったのだろうか。

想像するだけで、おかしさが込み上げてくる。
蛇神が居て、それを慕う滑稽な蛙達が居て、此処には何処か世間と離れた世界が拡がっている。
その輪の中に、また帰って来る事が出来たのだ。

「ひっひっ。
今度はお前さんか」
「よう似合うとるじゃねえか、青蛙」

青蛙を冷やかす声は止まらない。
眠っていた黄蛙も目を覚ましたのか、皆と同じように揶揄していた。

欄干の上には、油揚げを咥えた黒狐が、座って琵琶を奏でていた。
全員が揃い、社も更に賑やかになった。

廊下を歩いている節子達が最初に向かうは、湯浴み場よりも寛げる場所だった。
まずはもっと抱き合って、蛇神の存在を更に感じて、これからの話をしよう。
本当の意味で素直になれた心は、蛇神を欲して仕方が無い。

「せめて今宵は私の傍を離れないと約束してくれるね?」
「もうずっと帰らなくてもいいです、私」
「セツ、勉強はどうしたの?
そなたは勉学第一だったろう」

意外そうに目を見開いた蛇神に、節子ははにかんだ。

「優先順位が変わっただけです」

とにかく勉強して、いい大学に入って、それなりの企業に就職して、無難な結婚をする。
平凡な道を行き、平凡な幸せを得る。
そんな人生はなくなってしまったけれど、後悔は無い。

「それはいい」

節子の返答に、蛇神が満足そうに頷いた。

節子の恋した相手は、人間では無い。
けれど、不幸でもない。
それどころか、至高の喜びを感じている。

平凡な人生だなんて、面白くない。
これからは、蛇神の元で様々な体験をするのも悪くない。

今まで並を絵に描いたような生活を送って来た節子は、この日初めて先の見えない虹色のジェットコースターに自ら乗り込んだ。
行く先に待ち構えている山も、谷も、トンネルも、蛇神と一緒ならきっと楽しいに違いなかった。





TO BE CONTINUED.

2009.05.26
引用:故事ことわざ辞典・学研


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