カイザルノモノハカイザルニ。
君主の物は君主に返しなさいという事から、公民としての義務を果たせという事。
「新約聖書・マタイによる福音書」にある言葉から。
かむなぎ
014/カイザルの物はカイザルに
何度も襲い掛かってくる快感の波は、とても高かった。
津波に飲み込まれたかと思っても、またすぐ目と鼻の先に次なる波が待ち構えている。
これでは、息継ぎも出来ぬ間に溺れてしまう。
膣口は未だ触れられないままだったが、女の性感帯とも言われる股座の肉の芯は、至高の官能を齎してくれる。
性に疎い節子にとって、その刺激は余りに大きかった。
目の前で何度も打ち上げ花火を上げられているようだ。
身体は自分の意志とは反して、まるで微電流を通されているように大きく跳ねる。
その度に、下腹部の奥の方が、何かを求めて蠕動する。
中世武士風の男が、また新しい触手を数本伸ばした。
今度は本物の男性器のように太く、グロテスクなものだった。
それを節子の膣口に宛がいながら笑う。
「ではそろそろ、此方の具合も確かめてみるか」
つんつんと入り口を突かれた。
このままでは破瓜さえも奪われてしまう。
だが、節子には最早抵抗する力が無い。
男の為そうとしている事に抗いたくとも、何処をどう動かせば避けられるのかが分からない。
ただ、彼の触手がいたずらに節子の股座をなでている事だけが分かった。
触手が先端から白い汁を垂らした。
生臭い臭いのする汁だった。
男は、それを節子の陰唇になすり付けた。
節子には、その小さな刺激さえも快楽に繋がってしまう。
余りに性急に訪れた悦楽の嵐に、目の前がぼやけて来た。
息の仕方も忘れてしまったのかもしれない。
酸欠で頭がぼうっとする。
口の閉じ方も分からない。
涎が顎を伝っている。
全身には、夥しい汗も流れている。
それもまた煩わしい。
総身がどろどろに溶けてしまいそうだ。
節子の耳には、何も届かなくなった。
男が言う事も、自分の嬌声も、周りで再度上がり始めた女達の喘ぎ声も、全てが薄れていった。
ただ掠れた視界の中で、好きでも無い男が笑っている様だけが見えた。
その後ろには、クリーム色の帳がある。
来るべき恐怖と快楽に心の準備が出来ないまま、節子は目を閉じた。
己も伊織達と同じように、落ちる所まで落ちて行くのだと思った。
周りがやや騒がしくなったものの、それすらも気にならなかった。
行き着く先、悦楽の地獄の扉まで連れて行かれる事に諦めを抱いていた。
だが、いつまで経っても、男の触手が節子の体内を貫く事は無かった。
それどころか、節子を辱めていた細い触手達の数すらも減ってきた。
大きな快の波が少しずつ引いていく。
仕舞いには、男はぴたりとも動かぬようになった。
恐る恐る目を開けてみる。
男は、何やら目を尖らせていた。
節子が目蓋を開けた数瞬後、帳の外で聞き覚えのある声もした。
年老いた老人のようだ。
「何やら随分と乱れた所じゃのう」
この場に相応しくない、間の抜けた台詞だった。
「ほんまじゃ、ほんまじゃ」
同調する者まで居た。
その二つの声は、とても似ている。
眉を吊り上げた男は、勢いよく節子から身体を離し、立ち上がった。
そして、閉じていた帳を開ける。
「何奴!」
男が腰に差していた刀に手を遣った。
節子は、重い身体でゆっくりと其方の方を向いた。
開かれた帳の先には、先程まで狂宴を上げていた化け物達が一様に地に転がっていた。
女達も、何故だか首から下だけが岩に埋もれている。
しかし、このような大きな岩など、この洞窟内には無かった筈だ。
騒ぐ事が無いよう、口にも詰め物をされている。
その中央には、小さな生き物が二匹鎮座していた。
茶蛙と青蛙だ。
蛙姿のままだが、節子を助けに来てくれたのだ。
「その娘っ子を返して貰わんと、わしらは干物にされちまう」
「そうじゃ、そうじゃ」
「ええ加減、返して貰おうかの」
「貰おうかの」
どちらがどちらの台詞を吐いたのかは分からなかったが、蛙二匹はぴょんこぴょんこと飛びながら言った。
男は、益々目の色を変えた。
怒りで肩が震えている。
「蛇神の使いか」
憎々しげに問うた。
刀の柄を持ち直せば、縁金がかちゃりと音を立てた。
その男の剣幕など気にならないのか、蛙達は意気揚々と返す。
「いかにも。
わしこそが蛇神様の第一の下使い!」
えっへんと胸を張って一匹が言った。
だが、隣に居たもう片方の蛙が、「何を言う」と声色を変える。
「戯けた事を言うでねえ。
わしこそが一番の下使いじゃ!」
そう言えば、また片方の蛙が「何じゃと?」と顰め面をした。
どうやら蛙達は、誰が一番の蛇神の使いかと競争しているらしい。
今はそのような事を争っている場合ではない。
それなのに、蛙二匹は節子達を放ったまま、その場で喧嘩を始めてしまった。
大きな口を開け、ぴょこぴょこと飛びながら小さな手で相手を叩いている。
馬乗りになったり、後ろ足で蹴り上げたり、何とも稚拙な戦いだ。
「この馬鹿げた蛙共め!」
蛙達に無視された男は、更に激高したようだった。
刀を高く振り上げ、蛙達の方へと駆ける。
節子は、「危ない!」と枯れた声で悲鳴を上げた。
だが、蛙達は自分達の喧騒でそれも耳に入っていない。
男が刀剣を振り下げようとした。
その瞬間、それを激しく遮る音がした。
鉄がぶつかり合う高い金属の音だった。
節子は目を疑った。
男の剣先を捕らえたのは、寡黙な黒狐だったのだ。
それも、同じ剣で立ち向かっていたのではない。
琵琶を奏でる小さな撥(ばち)で対抗していたのだ。
「何だ貴様は」
男は黒狐を睨めつけた。
黒狐は黙ったまま返事をしない。
それに益々腹を立てた男は、刀を引き、再度切りかかって行った。
黒狐は、撥で一度琵琶を奏で、また軽くいなす。
二人は激しく剣と撥を交錯させた。
きん、きんと、金が跳ねる音が何度も木霊した。
時折、琵琶の美しい音までもが零れる。
二人は互角のようだった。
男の方から切り掛かれば、黒狐はそれを上手く交わす。
しかし、黒狐の方から攻撃を仕掛けても、男に難なく遮られる。
激しい攻防は続いた。
その後ろで、蛙二匹も転がりながら喧嘩を続けている。
「ちっ」
白黒付かない決着に、男は苛立ち始めたようだった。
強く攻め込んでいた姿勢を正し、やや引き気味に構える。
それを悟った黒狐も、相手を追い詰めようとはしなかった。
そのまま打ち合う事数回、男は完全に身を翻した。
すると、あっという間にその男の姿は見えなくなってしまった。
身体を勢いよく退いた途端、霧に包まれるように、一瞬の事だった。
その頃、漸く落ち着いた蛙二匹も、荒い息で互いを牽制し合っていた。
敵が居なくなった黒狐は、ゆっくりと節子の方に視線を移して来た。
そして、何も言わぬままその場で暢気に琵琶を弾き始めた。
軽快なリズムで奏でられるその音は、流行のポップソングにも似ていた。
洞窟という閉じられた空間の中、琵琶の音だけが不自然に響いていく。
蛙達がぴょこぴょこ跳ねながら節子の傍までやって来た。
「生きとるか」
「生きとるか」
安否を気遣う二匹の言葉は、ほぼ同時だった。
節子は、頼り無げに笑う。
「茶蛙さん、青蛙さん」
明確な言葉を発せば、身体の中に溜まっていた快楽の渦がまた小さく騒ぎ始めた。
声帯の震えに反応してしまったらしい。
それを察したのか、青蛙が大きな口を開けた。
何だろうと不思議がる暇も無かった。
青蛙は大量の水を吐き出し、それを節子に浴びせ掛けてきた。
全身が冷たい水に晒された。
鳥肌が立つ。
驚きの余り、快の余韻も一気に吹き飛んでしまった。
「お前さんはほんまに危なっかしいのう。
じゃから護衛なんか嫌じゃったんじゃ」
茶蛙がぶつぶつ零し始めた。
どうやらあれからすぐに助けに来てくれたようだ。
その蛙達の後ろには、相変わらず軽快な音楽を奏でている黒狐が立っていた。
裸のままなのは恥ずかしいが、今はそれも言っていられなかった。
つい数分前まで、更に恥ずかしい事をされていたのだ。
今更、他人に裸を見られたところで、それに羞恥を感じる程の余裕も無かった。
況してや、この者達は人間外だ。
「有り難う、黒狐さん」
節子は緩慢と頭を下げた。
それに返すように、黒狐も調子の良いリズムをジャジャンと立てた。
茶蛙が振り返る。
「そんな事よりも、さっさと帰る支度をせんか。
こんな所に居たら、身体まで黴てしまうで」
青蛙も「そうじゃ、そうじゃ」と言う。
しかし、帰ると言っても、このままでは帰れないだろう。
節子は服を纏っていないのだ。
このような格好で街中を歩くだなんて、普通では考えられない。
節子本人の羞恥心はさておき、周りが騒ぎ立てる事は目に見えている。
下手をすれば、警察にも厄介になり兼ねない。
その上、身体中が重かった。
行き過ぎた初めての快楽に溺れた総身は、鉄の鉛を背負ったようだった。
「このままの格好は、ちょっと」
申し訳なさそうに告げば、蛙達は無言で煩わしそうな顔をした。
そんな小さな事で文句を零すなとでも言いたそうだ。
人間特有の羞恥心や常識は、蛇神同様、この蛙達にも通じないらしい。
黒狐もまた無言だったが、蛙達のように節子を呆れ顔で見る事は無かった。
それどころか、自身が付けていた合羽を外し、節子に手渡してくれた。
それを着ればいいという事らしい。
だが、節子の全身は未だ青蛙が吐いた水で濡れている。
このまま羽織れば、黒狐の合羽も濡らしてしまう事だろう。
節子が間誤付いていると、黒狐は無理矢理それを節子に被せた。
そして、腰を下ろし、節子の方へと背を向けた。
負ぶってやる、という意味らしい。
黒狐は無口だが、なかなか気遣いが出来る所もあるようだ。
「有り難う」
節子は御礼を言って、黒狐の背に身体を預けた。
長身の彼の上に乗れば、辺りの景色が一度に変わるようだった。
首元からは、ふんわり獣の香りがした。
体温も高かった。
やっと信頼出来る温もりに包まれた節子は、やはりこの人の正体は本物の狐なのかもしれないな、と思った。
TO BE CONTINUED.
2009.02.11
引用:故事ことわざ辞典・学研
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