ホトケツクッテタマシイイレズ。

物事は、肝心の部分が疎かにされると、結局は何にも残らないという事。
仏像を作っても、魂を入れなければ折角の仏像が仏像としての意味をなさなくなる意から。

かむ
005/仏作って魂入れず

己の下肢が、自分の意志とは反して痙攣している。
恐怖ばかりが勝って震えている。

何故、自分の股座には得体の知れない男の顔などがあるのだろう。
何故、彼はこんな事をするのだろう。

もはや、此処が夢の世界かどうかも分からなくなってきた。
ぼんやりと霞む視界の中で、自身の存在さえも朧げになっていく。

不意に、男が顔を上げた。
そのまま身体も離れて行く。

股座がやけに冷えた。
彼の唾液で濡れた箇所に、直接外気が触れているせいだろうか。

「終わりだ」

蛇神は静かに言った。

「へ?」

言われた内容に、素っ頓狂な声で返す。

「今回の経血は全て吸い終わったよ。
これで来月まで大丈夫だ」

袍の裾で口元を拭いながら、青年は続けた。

訳も分からぬまま、節子は恥ずかしげもなく拡げられていた股をとろとろと閉じた。
それから、暴れたせいで乱れていた制服を直した。
呆け面のまま、居住まいも正した。

「どうしたんだい、セツ。
何だか物足りなさそうな顔をして」

再び扇を手にした青年、蛇神は、意地悪そうに笑った。
整った目が緩く細められている。
からかわれているとしか思えない。

「そんな事っ」

節子は勢いよく首を横に振った。

物足りないだなんてとんでもない。
今すぐにでも止めて欲しい。
そう思っていたのだ。
願い叶って止められたのに、もっとして欲しいなどと望む筈が無い。

しかし、確かに拍子抜けした節はあった。
余りに潔い終わり方に、怒りもとんと飛んでしまった。

このまま最後までなし崩しに持って行かれるものかと思っていた。
強姦よろしく、全てを奪われるのかと思っていた。

それなのに、想像しえなかったこの呆気なさ。

節子の中で、悲しみも憤りも未消化のまま沈んでいく。
今となっては、ただ羞恥心だけが残っている。

その真っ赤な顔を見て満足したのか、蛇神はまたくつくつと笑った。

「では、もう問題無いね。
この下着は洗濯しておこう。
明日、取りにおいで」

蛇神は、血液で汚れている下着を指で摘み上げた。
簡単に取り払われた節子の下着は、いつの間にやら彼の手の中だ。

節子は益々恥ずかしくなった。
つい先程までもっと恥ずかしい事をされていたというのに、それでも顔に熱が集まった。

節子は目を伏せた。
もじもじと身体をよじる。

やっとの思いで解放されたのだ。
此処はやはり、逃げ出すべきなのだろうか。

股座はすでに乾いていた。
新しい経血が滲み出てくる様子も無い。
彼の言うように、本当に全ての経血を吸い取られてしまったのだろうか。

この男が真に神という存在ならば、それも有り得る。
或いは、此処が夢の世界ならば、考えられない事も無い。

この男は、悪意なく不快な膣内の血液を取り去ってくれただけなのだろうか。
一見しただけでは、悪人にも見えない。
ただの麗しい優男だ。
何処か意地悪そうな端々もあるが、嫌味も無い。

だが、今逃げ出すにしても、下着は彼の手の中だ。
スカートを履いているものの、下肢に何も身に付けないままというのも、些か困る。

何より彼は、これ以上疚しい事をしそうな風も無い。
先の行為もただの善意なのだとしたら、どんな理由で咎めればいいのだろうか。

節子がどう返すべきかと考えあぐねていると、蔀(しとみ)と呼ばれる格子の脇から、ひょこひょこと蛙が顔を出した。
黄蛙だった。

「あのう、蛇神様」

おどおどと話し掛けてくる。
蛇神も其方に視線を移した。

「食事か」
「へえ、どうしましょうか」
「いい、すぐに運んで来い」

迎え入れるように扇を仰ぎ、蛇神は蛙に指示を落とした。
それを合図に、蛙も奥の方へと下がって行った。

つい数分前まで破廉恥な事をしていたというのに、蛇神はやはり何食わぬ顔をしていた。
節子ばかりが動揺している。
被害者だけがおたおたし、加害者はけろり、だ。
寧ろ、節子だけが夢を見ていたようだ。
彼はどうしてそんなにも平然としていられるのだろう。

節子が悶々としていると、黄色の髪をした少年が現れた。
手には膳を持っている。
その後ろに、茶色の髪の子、緑の子と続いた。
各々盆やら提子(ひさげ)やらを抱えている。

その少年らには見覚えがあった。
顔自体をしっかりと見ていた訳ではないが、背丈や雰囲気はそのままだ。
見間違える筈も無い。

少年三人は、節子を此処まで連れて来た野球帽を被った子らであった。
目深に被った帽子のせいで見えなかった大きな目が、今はしっかりと見えている。
前髪を茶筅髷(ちゃせんまげ)のように頭部上方で縛っている様は、幼い女子のようで随分と可愛らしい。
服も水干(すいかん)に袴という姿に変わっており、正しく蛇神の使いの子という身なりだ。

「貴方達は」

節子は声を漏らした。
少年らは、節子をちらと見るだけで名乗ろうとしない。
それどころか、その中の一人が「何じゃ」と悪態にも近しい言葉を吐いた。

蛇神がじろりと睨めつけた。
睨まれた子は、黙って口を閉ざした。

「躾がなっていなくてすまないね」

蛇神が代わりに謝った。

「そなたを此処まで連れて来たのは、この子供の姿をした蛙達だ。
先までは現代の服を着させていたが、これが本来の格好だ。
蛙は赤、青、茶、緑、黄が居る。
全部で五匹」

これはその内の三匹だ、と付け足した。

節子は「成る程」と納得していいものやら「そんな馬鹿な」と驚いていいものやら分からなかった。
皮膚の色を違えていた蛙各々がこの色とりどりの子達なのだという点は理解出来る。
けれど、そもそも蛙が人間などになれるのだろうか。
そんな話、聞いた事も無い。

これも、夢だからこその奇天烈展開なのだろうか。

少年達は、膳を蛇神と節子の前に並べていった。
赤の漆塗りの懸盤台に、細かな絵が描かれた小鉢食器。
食べ物がなくとも、その器だけで十分楽しめる。

しかし、陳列された料理は更に美しかった。
蒸しアワビに、ハマチ切り身、ワカメ汁、煮物、寿司、唐菓子、その他にも沢山。
香物は花のように鮮やかな色をしている。
日本料理一つを取っても、こんなにも華やかに飾れるものなのだろうか。

並べられた品々に、蛇神は「たんとお食べ」と勧めてきた。
未だ火照っている身体を誤魔化すように、節子は箸を取った。
箸置きも花を象った非常に品のある陶器だ。

煮物の中に入っている団子に手を付け、口に運ぶ。
だが、その瞬間、嫌な事を思い出してしまった。

この蛇神は、先程、蛙の干物がどうだと言っていなかっただろうか。
やはり蛇ゆえ、そのような際どい物を好むのだろうか。

そうだとすれば、この料理の中身は一体何なのだろう。
一見、ただの煮物に見えるものでも、果たして何を煮詰めているかは定かでない。

「料理の中身を心配しているのかい?」

何から何までお見通しといったように、蛇神は問うて来た。
蛇神の方は料理に手を付けず、胡坐を掻き、じっと節子の方を眺めている。

「それは、その」

中途半端に摘んだ団子を口に運ぶべきか否か、節子は迷った。
このタイミングで器に戻すのは失礼だろう。
しかし、口に運ぶ勇気も無い。

蛇神は、節子を宥めるように言った。

「問題ない。
セツの食事には、人間らしい物しか入れていない。
ゲテモノ類を心配しているなら、大丈夫だ」

箸に挟んでいる団子を一度見て、蛇神に視線を移した。
彼は、相も変わらず人の良さそうな笑みを浮かべていた。
嘘を吐いているようにも見えない。
節子は、思い切って団子を口内に放り込む事にした。

予想を裏切って、団子は美味しかった。
蓮根を一緒に詰めた肉団子のようだった。

噛めば、じゅわりと肉汁が出て頬が落ちそうになる。
薬味の葱もほんのり効いている。
絶品だ。

一級品の料理を咀嚼しながら、節子は再度蛇神の方を見た。
瑠璃色の美しい髪は、まるで宝石のような光沢を持っている。
深い蒼の目に己が映されていると思うだけでも、どきりとする。

こんなにも美しい男性に見詰められた事など、嘗て無かった。
勿論、二人きりになった事も、話をした事も、名を呼ばれた事も、だ。

この男は、節子の事を「セツ」と呼ぶ。
名前を知られている事自体は不思議でない。
彼が神であれば、或いはここが夢であれば、何もおかしな事も無いからだ。
だが、「セツ」という特殊な呼び方で呼ばれた事は一度も無かった。

親は「節子」とそのままで呼ぶし、美鈴のように仲の良い友達は「節ちゃん」だ。
この蛇神のように「セツ」と言う者は居ない。

「そういえば、さっきから私の事をセツ、って。
どうしてですか」

思った事をそのまま聞いてみた。

「ああ、嫌だったかい?」

蛇神は邪気無く問い返してくる。

「嫌じゃ、ないですけど」
「私は古い神だからね。
女子は、二文字くらいの名の方が呼び易い。
タエだとか、マツだとか」

だから、その名残なのだと言わんばかりに彼は説明してくれた。
節子も、「セツ」という呼ばれ方が特段嫌でもなかったので、止めなかった。

強姦紛いの事をされたというのに、どうもこの男には嫌悪感を覚えない。
それどころか、心成しか惹かれているような気さえする。

何処か不思議な魅力を兼ね備えた男だ。
話せば話す程、彼の事をもっと知りたいと思ってしまう。
これが「神」と呼ばれる者の力なのだろうか。

「それを食べたら、今日は帰りなさい。
明日も早いのだろう?
疲れを出してはいけない」

蛇神はやっと自分の膳に手を付けた。
節子とは少々中身が異なるようだ。

やはり蛙やらイモリやらが入っているのだろうか。

異常な食材の数々を想像して、気持ちが悪くなってしまった。
ただの蛇なのか、神々しい神なのか、どうも掴めない。

ぶるぶると頭を振る。
変事は、考えないに超した事は無い。

寧ろ、全てはただの夢だと片付けた方が納得出来る。

「明日もおいで。
待っている」

蛇神がお椀の汁を啜った。
その音は、先刻の行為と同じような濫りがわしい響きを持っていた。





TO BE CONTINUED.

2009.01.18
引用:故事ことわざ辞典・学研


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