覚悟を決めろ。
御主なら出来ると信じている。
Just Marriage
031/Monkey see, Monkey do.
厳かなホール。
大理石の床に一本引かれた、薔薇の刺繍が施された紫色の絨毯。
全身鎧を付けた騎士達が、その絨毯に沿うように旗を掲げている。
高直な絨毯の先には、繊細な細工が為された玉座。
ホールに集まっている人達は絨毯を踏む事なく、玉座の前に控えている。
皆、今日の新王のお披露目に来た人達なのだろう。
誰も言葉を発する事など無い。
辺りは、至って静かなものだった。
その中心に向かうべく、ラークさんに手を引かれ、螺旋階段を下りて行く。
徐に階段を下りれば、貴い絨毯に辿り着いた。
其処に足を一歩踏み入れると、ラークさんにも手を離された。
ここから先は、私が一人で歩いて行かないといけないのだろう。
心臓が、更に大きい音を上げ始める。
周りには、豪奢な衣装を身に纏った妖魔達が大勢居た。
派手に着飾っている者、格式高そうな服を着ている者、奇抜な者。
どこを見渡しても、色とりどりの衣装が目に映る。
全くもって、妖魔の世界は耽美なものを甚く好むらしい。
もう随分と長い期間この城に住んでいるので、それも概ね分かっていたつもりだったが、周りの衣装で今一度再認識してしまった。
私は、事前に教えて貰っていた通り、玉座まで歩を進めた。
長いマントは引き摺るようで重たかったが、皆の刺すような視線を遮ってくれたので、正直有り難い代物だった。
紫色の薔薇の花が絡みつく玉座の前まで来たら、周りの空気がほんの少しだけざわついた。
そのざわつきで、更に煩く脈が波打つ。
緊張の余り、全身が爆発しそうだ。
玉座の前で一度小さく息を吐き、くるりと振り返る。
皆に顔を向けた瞬間、一番に目に付いたのは、沢山の人の好奇な視線だった。
玉座の左の石柱の近くには、すでに待機していたらしいシンが居た。
シンは、いつものすました顔で、静かに前を見据えていた。
けれど、ふと私の方にも目を遣り、小さく頷いてくれた。
私は、玉座の椅子に腰掛けた。
マントを背に座れば、皆の視線が直接顔面に降り注いで、痛い事この上なかった。
だからといって、こんな状態で下を向く訳にもいかなかった。
何といっても、今日の主役は私なのだ。
その私が堂々としていないと、この式は無事に終わる事など出来ない。
かつかつと靴の音を立てて、ラークさんが私の右横まで歩いて来た。
そして、巻物のような紙をくるくると縦に開き、目をすっと前に向けた。
その瞬間、ホールに居た人達が一斉に姿勢を正した。
まるで何所かで仕込まれたかのようなその所作に、つい身体を引いてしまう。
背筋が、ぞくりと粟立った。
「これより、戴冠式を始める」
凛としたラークさんの声が、部屋中に響く。
只でさえ緊張しているホール内に、更に厳かな糸が張り詰める。
冷たくひんやりとした空気の中に響くそれは、まるで氷の波紋だった。
余りに格式ばった雰囲気に、空気までもが凍り付いていく錯覚を覚える。
それは私だけでなく、他の人も同じらしかった。
ざっと見渡してみると、各々皆一様に顔を強張らせている。
ぴりりとした見えない棘に、全身を刺されているようだ。
ラークさんの声と同時、ホール内も信じられないような異常現象を起こし始めた。
絨毯の縁に添えるように彫られている溝から、ざざざと音を立て、勢い良く水が流れ出したのだ。
石柱に取り付けられている派手な蝋燭台も、ぼっと音を立て、一斉に火を灯した。
その傍に絡み付いている薔薇やその他の花々も、命を吹き込まれたように蔦を伸ばし、揺れ動きだす。
騎士の人達が持っていた旗も、風など吹いていないのに棚引きだした。
異様過ぎる光景に、そしてそれが齎したえも言われぬ威圧感に、私はごくりと生唾を飲んだ。
先刻までとは違う、恐怖にも近い緊張感を覚えた。
一度括った覚悟が、いとも簡単にぐらついていく。
だからといって逃げる訳にも行かないので、ぐっと堪えて前を見据える。
頑張るって、決めたのだ。
ちゃんとやるって、決めたのだ。
だけど、本当ならば逃げ出したい。
何か恐ろしい化け物に襲われている訳でもないというのに、この場から姿を消してしまいたくなる。
重圧感に耐えられず、ただただ不安に飲み込まれそうになる。
すると、私の座っている玉座に絡み付いている紫の薔薇が、何所か励ますように私の手の甲を撫でてくれた。
花が生きているのだろうかという疑問は、今はもう相応しくなかった。
辺りが全て、不思議な空気で包まれているのだ。
花が勝手に動いても、おかしくない。
その薔薇は、棘を私に当てる事なく、柔らかい花弁だけで皮膚を擽った。
ラークさんの凛とした声が、再びホール内に響く。
「ゼカトリア先王は、去る某日、身罷われた。
それ故、この城界隈を今後統治し、処する為、次期王を選任、戴冠する」
彼は何一つ吃る事なく、流暢に言葉を述べていった。
シンも相変わらずぶっきら棒な顔をしていたが、至って冷静なままだった。
さすが妖魔というべきか、一国の騎士というべきか。
このような場には慣れているのだろう。
それどころか、ぱしりと纏めたいつもと違う髪も、制服も、何処を取っても非の打ち所が無い程に決まっている。
「真紅の薔薇の新王、咲雪様」
シンの横顔に見惚れていると、突然名前を呼ばれてしまった。
はっとしてその声主を見れば、私を呼んだらしいラークさんが静かに此方を見詰めている。
矢庭に呼ばれた事に動転して目を泳がすと、彼は優しい眼差しで、軽く立つように促してくれた。
それに小さく頷いて、おずおずと肘掛を手に立ち上がる。
周りがまた少しどよめき、ざわついた。
手の甲を撫でてくれていた薔薇も、腕輪のように手首に巻き付いて来た。
「咲雪様は先王の後継者として以前からおわせられたが、我々城内の者は今日までその事実を伏せてきた。
これも、混乱を招き、咲雪様に何かあってはならぬと、御護りするが為」
ラークさんは巻物を仕舞ったが、それでも口を閉ざさず続けた。
そういえば、先程の長い訓示紛いの文言も、ほとんど紙を見ていなかったような気がする。
恐らく、ラークさんの事だ。
流れの全ては、概ね覚えているのだろう。
彼は、そういった事をスマートにこなす人なのだ。
「だが、機は熟された。
先王が身罷いされた今、君主不在のまま城界隈を治めていくのも憚られる」
余りにすらすらと喋るものだから、周りの人達のラークさんを見る目も、些か違ったように思う。
中には、明晰なラークさんを、慕情ほのめかして見ている女の人も見受けられた。
そもそも、このホールに集まってくれている人達は、ある程度、各地で位がある者達ばかりらしい。
シンやラークさん、エスや薄羽みたいに申し分の無い上級妖魔だったり、リッたんみたいに他者より実力を備えた中級妖魔だったり。
そのせいで、何処に目をやっても、ホール内は魅力的な人達ばかりで溢れていた。
先程は服装ばかり見てしまっていたけれど、彼らが妖艶なのは、衣装だけのせいではない。
例えば、光り輝く金の長い髪をゆらゆら揺らしている人、坊主頭で逞しい身体をしている人、布で目を覆っているミステリアスな人、妖精のような愛らしい羽が生えている人。
そんな素顔だけでも十分勝負出来る美しい妖魔達が、各々に煌びやかな装いで私の前に林立している。
それらは、幾ら玉座に控えようが、格好いい服を着ようが、本来の私とは比べ物にならない程の面々だ。
勿論、今日の私の衣装は誰にも負けていないほど耽美だ。
むしろ、皆の中で一番のあつらえだ。
私が着ているのは、引き摺る程の長さの薄紫色のマントに、真っ白な皇族衣装だ。
詰襟で、袖や首、前を合わせる位置に細かい装飾が為されている。
丈はお尻を丁度隠す程で、その下も同じ白のスラックスを穿いている。
その何所かの国の王子様のような服は、シルクで出来ていた。
全体的に決して派手ではないものの、誰よりも上品で、高貴な装いだ。
実際、私は「王子様」というか、「王の後継者」ではある。
しかし、私の顔は、並だ。
頭だって悪くはないものの、取り立てて良い訳ではない。
大した取り得なんてものも、持って無い。
況してや、妖魔の人達などと比べられては、全てにおいて一溜まりも無い。
頑張ろうと決めていた心が、敗北感のせいでみっともなく小さく萎んでいくのを感じた。
居た堪れなくなって、きゅっと唇を噛み結ぶ。
早く終わればいいのに。
こんな大仰な式典、私には不釣り合いすぎる。
さっさとギブアップしてしまいたい。
だが、この状況下、もうそれすらも出来ない。
一人でじっと耐え忍んでいる間も、ラークさんの言葉は続いていた。
つらつらと述べられる言の葉達は、感心を通り越していっそ感服にも値する程だった。
「よって、此処に新王、咲雪様の誕生の日とする」
長い言葉の後、最後にそうラークさんが宣言した。
途端、周りは隠しようもないくらいにざわついた。
どうやら私は、彼のその一言で正式に新王の宣言をされたようだ。
そう分かった瞬間、私の心臓が一際小さく縮み上がった。
肩から背にかけて、何か冷たいものが走った。
だが、ざわざわしたホール内からは、意を唱える者などたったの一人も出て来なかった。
もしや反対されるのかもと思っていた分、その場の空気は何だか酷く複雑だった。
私は、此処で文句を言われても、太刀打ち出来ない。
紛い物とはいえ、私なんかが本当に王様になっていいものかさえ分からないのだから。
一応作り物の王という事にはなっているが、それでもやはり、王は王なのだ。
この凄過ぎる妖魔達の頂点に立つ事に、変わりはない。
それなのに、反対する人が一人も出て来ない。
今や小さな学校の生徒会長ですらなるのは難しいというのに、私は一気に日本の総理大臣になった気分だった。
いや、アメリカの大統領と形容した方がいいだろうか。
或いは、もっと遥か上のポジションに仕立て上げられたような気がした。
王様。
一国を束ねる王様。
全ての頂上に君臨する王様。
出来ない事はない王様。
それって、一体どんなものなのだろう。
もしかして、これから先、とんでもないものが待ち受けているのではないだろうか。
ラークさんは「何もしなくてもいい」「肩書きだけだから」なんて言っていたけれど、本当にそうなのだろうか。
それだけでいいのだろうか。
一気に色々な思いが押し寄せて来て、私は再び唾を飲み込んだ。
これから先に訪れるのかもしれない未来に、人知れず慄いた。
確かにこの城に来たばかりの時は、一国の王という肩書きに興味を抱いた。
つい一寸前までも、何とか頑張れるだろうと意気込んでいた。
でも、これだけの止ん事ない人達の全てを私が纏めていくだなんて、そんなものは到底無理なのではないだろうか。
全ての人達のトップに立つだなんて、おこがましいにも程がある。
煩く鳴りっ放しの胸が、不安と動揺で忙しなく揺れ動いた。
その騒がしい心持ちのまま横を見れば、澄ました顔をしていたラークさんが、ちらりと私を見て微笑んだ。
シンは、ラークさんと対になる場に控えたまま、黙って辺りを見渡していた。
TO BE CONTINUED.
2008.06.19
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