「愛されている」と、思った事はないけれど、
「愛されたい」と、思った事は何度もある。
Just Marriage
027/sweets, sweets, sweets.
薄羽が、優しいお花の香りのお茶をカップに注いでいく。
「珍しいね、薄羽がお茶会なんて。
私、紅茶淹れるのは、てっきりラークさんの専売特許かと思ってたよ」
「まあ、まあ、咲雪様。
私も、たまにはこの様な事も致しますわ」
薄羽の言葉に、「そう」と言って、笑って返す。
それから、ふと視線を窓の外にやった。
リッたんからネックレスを貰って、次の日の事。
私は、お返しのプレゼントを買う為に城下に行きたくて、その件をラークさんに頼みに行った。
そこで言われたのは、「シンに付いて行って貰ってはどうか」という事。
正直、もう余りシンとは一緒に居たくないと思っていたので、そのラークさんの勧めに乗り気にはなれなかった。
それでも、心の何処かは、恋する心は確かに喜んでいて、結局私はシンにその旨をお願いしに行く事にした。
その当のシンはといえば、仕事が溜まっているせいか。
いや、それ以前に私の事が嫌いらしいので、物の見事に突っぱねてくれた。
嫌われているだろう事は前から分かっていたので、新たに傷付いたとか、そんな悲傷は大して無かった。
しかし、中途半端に期待していた心は、静かに割れて砕け散った。
結局、城下でリッたんのお返しを買えなかった私は、午前中にいつも通り剣術をこなし、今に至る。
ふんわりとしたお茶の香が舞う此処は、薄羽のお部屋だ。
流石にお姫様だけあって、周りにはフリフリのレースづいた物が沢山置いてある。
何より一番驚いたのは、テラスに続く窓の傍に置いてある、真っ白くて大きなグランドピアノだ。
外から入る太陽の光を存分に浴びているピアノの光沢の美しさは、まるでラメでも散りばめているのかと思う程だ。
薄羽自身は、ピアノよりフルートの方が得意との事だが、優雅に鍵盤の音を響かせる薄羽の様は、何よりも私に眩しく映った。
私と薄羽との関係は、然して変わっていない。
「この子がシンの思い人なのだな」と思うと、少し胸は痛むし、嫌な嫉妬心が湧いたりもするけれど、それをうだうだ引き摺っている訳にはいかないし、何より薄羽は私によくしてくれる。
私が避けていたとしても、自ずと傍へ寄って来て、ああだこうだと世話を焼いてくれる。
況してや、彼女はこの世界で唯一の女友達だ。
だから、私は薄羽を蔑ろには出来なかった。
確かに時々辛くなったりもするけれど、まあこれも仕方ない事だと極力高を括るようにしていた。
薄羽は、本当にいい子だ。
可愛い人だ。
ちょっと天然でおかしな所もあるけれど、それらを統合してしまえば、全て薄羽の長所になっているし、シンが好きなのも納得出来てしまう。
それ程までに、彼女は完璧なレディーだった。
リッたんとは、告白紛いの事をされてから、一度も会っていない。
避けられているのかもしれない。
とはいえ、あれからまだ二十四時間も経っていないので、避けられているのか、或いはただ偶然で出会えていないだけなのかは分からない。
ただ、いつも早朝に居る筈の中庭で、私は彼の姿を見掛ける事が出来なかった。
私とリッたんは、毎朝、中庭でよく一緒に時間を過ごしている。
私がラジオ体操を教えてあげたり、リッたん考案のストレッチを二人で行うのが日課だ。
だから、今朝に限ってそれが無かったという事は、やっぱり昨夜の件が尾を引いているのかな、などと思ったりもする。
避けられている可能性は、ゼロではない。
誰かに告白して、その次の日にいつも通り顔を合わせるのが気まずいっていう気持ちは、分からないでもない。
況してや昨夜の私は、返事すらしていないのだ。
ただおろおろとするだけで、まともな言葉も喋っていないような気がする。
でも、あの時はそれが精一杯だったし、正直今でもどうしようか全く考えていない。
というより、考えられない。
リッたんの気持ちは凄く嬉しいし、私もリッたんの事を好きになれたらどんなにいいだろうと思う。
けれど、それでもやっぱり私の心の何処かには、シンが居る。
シンはラークさんみたいに優しくないし、エスみたいに近付いてくれないし、リッたんみたいに好きだとか言ってもくれないけれど、どんなに足掻いても、やっぱり私の心が欲しているのはシンだけなのだ。
まだ出会って間もない、顔以外は救いようの無いほど嫌な奴かもしれない。
それでも、好きなものは好きなのだ。
毎日顔を合わす度、腹を立てたり、傷付いたり、悲しくなったりする事は沢山ある。
けれど悔しい事に、その節々でいい所を一緒に見つけてしまう。
例えば、憎まれ口を叩かれる毎に九割怒っても、その残り一割で彼の隠れた長所に目が行ってしまう。
決して優しくない性格でも、その分ある責任感の強さだとか、真面目なところだとか、統率力のあるところだとか。
他人から言わせれば、それら全ては「痘痕も笑窪」現象なのだろうけれど、そうなってしまうものは仕方がない。
町人の暴動事件からこっち、私はシンの言葉一つ一つに一喜一憂してしまっている。
好きになってしまったものは、どうしようもないのかもしれない。
だから、リッたんに昨夜の返事を求められたらどうしよう、という不安が私にはあった。
「私も好きだ」なんて、無責任は事は言えない。
「シンの事が好きだから、御免なさい」なんて、真実も言えない。
こんな不安定な気持ちを抱えているのだから、今朝顔を合わせなかったのは、逆に良かったのかもしれない。
薄羽と一緒に居るにも関わらず、私は昨夜から今朝にかけての事をぼうっと考えていた。
その時、ばたんと煩い音と共に、エスが窓から顔を出した。
「や、お二人さん」
エスが何処からともなく現れるのは毎度の事なので、今更その登場にどうこう言うつもりはない。
だが、続けられた言葉が余りに衝撃的だった為、私は目を丸くしてしまった。
「サッキー、最近はあの男とどうなのさ?」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げれば、薄羽も「まあ、まあ」と興味がある目で此方を見てきた。
「あの男とは、一体どなたの事ですか?」
「ああ、薄羽姫。
実は、妬けちゃうくらいにベタ惚れな男が居るんだよね、サッキーには」
「あら、あら。
それは初耳ですわ」
薄羽が、テーブル上に真っ白な茶器をセットしながら、身を乗り出してくる。
薄羽の自室には、真っ白な大きなピアノ以外にも、とても洒落た物が沢山ある。
カーテンは淡い緑が入ったレース作りで、ベッドは勿論天蓋付き、そのカーテンは何重にもレースやリボンが施されている。
ほんの少しだけベージュがかった背の高い丸テーブルは、まるで屋外でティーパーティーでもする時に使うような、少しだけ大きめなガーデンテーブルだ。
そして、同じように設置された、小さなベンドウッドチェアが四つ。
エスが来るまで、私は薄羽と二人だけでお茶会をするつもりだった。
少なくとも、私はそう約束していた。
其処に、突然現れたエスがどかりと参加した。
三人顔を合わせれば、何とも微妙で不似合いな、意外なトリオの出来上がりだ。
女だけの社交場に、許しを請う事無く、ずかずかと乱入してきたエス。
今日の予定は何も話していなかったというのに、何処で嗅ぎ付けただろうのか、さも最初から招かれていたように、当たり前のような顔をしている。
「そういえば久しぶりだね、薄羽姫」
「あら、あら、そうでしたわね。
エスクに会うのは、お久しぶりですわ。
お噂だけは聞いておりましたが、相変わらずお元気そうで」
「ああ、そりゃもう見ての通りね。
君も、また一段とフリフリな格好なんかしちゃって、全然変わってないようだ」
天然が見事に入っている薄羽は、エスが乱入してきた事は全く意に介さず、いつものふんわりした笑顔で対応した。
頭が悪い訳では決して無さそうなのだが、薄羽は本当にちょっと穏和でのんびりし過ぎるきらいがある。
もうちょっと怒ればいいのにとか、驚けばいいのにという場面に出くわしても、大概は穏やかに笑っているだけだ。
昔、エスはこの城に仕えていた時期があったらしい。
その為、薄羽とエスは、すでに顔見知りなようだった。
誰に対してもフレンドリー、悪く言えば礼儀知らずなエスは、シンやラークさんみたいに薄羽を特別扱いする事は無い。
勿論、私に対して接する態度とも何ら変わらず、その皆平等過ぎる彼の対応は、妖魔の世界ではやけに新鮮だった。
エスは、ふと本題を思い出したらしく、こちらに顔を向けた。
「それより、サッキー」
「な、何」
「君、あいつとその後、どうなったのさ。
君だって例外なく現代っ子な訳だし、もう気持ちとか伝えちゃったりしたの?」
いつものように懐から扇子を出し、テーブルに頬杖付きながら尋ねて来るエス。
私は、その思わぬ攻撃に、勢いよく首を横に振って否定した。
エスは、にやにやと口元を和らげた。
「へえ、そうなんだ?」
その意地の悪い顔に、私は「エスには関係ないじゃない」と声を上げた。
だが、これでは誰かに想いを寄せている事が、逆に丸分かりだ。
私は、慌てて何か違う事を返そうと口を開いた。
それなのに、狼狽した余り、至極曖昧な生返事しか出て来ない。
エスは、愉快そうに更に口を歪ませ、目を細めて私を見た。
「そんなに隠さなくてもいいじゃない。
見ててバレバレなんだから」
「かっ、隠してなんかない!
私、好きな人なんて居ないし!」
エスの挑発するような態度にまた焦ってしまった私は、再度首を振って反論する。
そんな私を見て、薄羽はやや眉を下げながら笑って、取り皿に乗せたクッキーを手渡してくれた。
今にも顔から火が出てきそうだ。
薄羽からの小皿を受け取りつつ、うまく反論出来ない代わりに、エスに非難の視線を浴びせる。
エスはその私の反応も予想していたのか、益々変な顔をして私の顔を見返して来た。
「もしかして、薄羽姫の手前、隠そうとしてるの?」
「そんな、事は」
「別に、隠さなくてもいいじゃない。
女同士って、こういう恋話で盛り上がったりするもんでしょ?」
「エスは男でしょうが。
貴方が居たら、女同士じゃなくなっちゃうし」
「ま、僕は置いておいてさ。
それより君、あの堅物男と、その後少しは進展したの?
僕は、そこが聞きたいんだけど」
律儀で優しい薄羽は、突然の来訪者にも焼きたてのクッキーをきちんと配分し、余っていたカップに紅茶を注いだ。
だが、私達二人の会話はちゃんと聞いているようで、エスの爆弾発言の度に目をくるくるさせて私の顔を見る。
その眼差しに、私の胸はきゅっと軽く締め付けられた。
薄羽の何も知らないあどけない表情に、さっとシンの顔が思い返される。
薄羽が、小さく頷きながら言った。
「まあ、まあ。
咲雪様、堅物男とは、もしかして…」
「違う!
違うよ、薄羽!
私は誰の事も好きなんかじゃない」
「でも、咲雪様。
エスクが知っているという事は、人間界の殿方ではないのでしょう?
況してや、咲雪様はまだ城下に下りた事もなければ、この城から出た事もない」
「薄羽、だからそれは」
「この城に居る誰かの事ですか?
たとえば、シンヅァンやラークなど…」
私の香水に合わせてくれたらしい、ほんのりと薔薇の香りがする紅茶を手に持って、薄羽は上目遣いで問うてきた。
私は、薄羽の口から一番にシンの名前が出て来た事に、動揺を隠しきれない。
心臓が、胸から飛び出す勢いで大きく跳ねる。
「な、何であんな膠もない怒りっぽい顔色まで悪くて陰険陰湿極まりないボサボサ頭の仕事馬鹿な根暗烏なんか…」
息継ぎをする事もなく、考えられる悪口を全部並べた。
「そこまで言わなくてもいいのに」と返されそうな程に、その言葉は転がり出た。
薄羽が、じっと真剣な眼差しで私の顔を見ている。
真っ白な睫毛を揺らし、薄灰色をした眼はとても清浄だ。
その美しいガラス玉の中には、シンに対する想いが潜んでいるのかもしれない。
私は、何とも言えない気持ちになってしまった。
私は、シンが好き。
だけど、シンは薄羽の事が好き。
今までの私は、そう認識していた。
だけど、もしかしたら薄羽もシンの事が好きなのかもしれない。
いや、すでにカップルとして成立してしまっているのかもしれない。
だからこそ、薄羽は一番にシンの名前を出したのだ。
もし。
もしそうなのだとしたら、私の立場は、何て惨めで愚かなんだろう。
薄羽の視線に耐え切れなかった私は、僅かに目を逸らした。
今の私は、思いつく限りの悪口を乗せ、シンの存在を全否定する事しか出来ない。
素直にこの想いを誰かに伝える事なんて出来ない。
片思いだと自覚しているこの慕情は、小さく丸めて何処かに捨ててしまった方がいいのだから。
そう思った、次の瞬間だった。
私の背後で、物凄く低くて、殺気めいた声が返って来た。
「喧嘩を売っているつもりなら、買ってやるが」
勢いよく振り返ると、其処には噂をしていた男が、物凄く不機嫌な顔で腕組みをして立っていた。
「しっ、しっ、ししししし、シンっ!」
「俺の名はそんなに長くない」
心臓が凍りつく錯覚を覚えた私は、もう訳が分からなくなっていた。
あわあわとうろたえる以外に何も出来なくなり、口は金魚のようにぱくぱくした。
すると、私の代わりに「あら、あら」と薄羽が言葉を発した。
「シンヅァン、いつから其処に?」
「この阿呆が、私の事を陰険陰湿等とのたまっていた頃からです。
何度かノックはしたのですが、返事が返って来なかった上、馬鹿者の大声が聞こえてきたので、失礼とは思いながらも入らせて頂きました」
もう何が何やら状態の私とは打って変わって、常通りのほわほわした口調の薄羽。
それに、私に対する嫌味を加えながらも応じるシンは、眉間の皺を酷く濃く刻み付けていた。
エスは、一人楽しそうに笑って畳みかける。
「あららー、聞いちゃってたの。
でも一番肝心な所は聞いてないんだね、残念。
もうちょっと早く来れば良かったのに」
「何だ、先程以上に俺の陰口を叩いて楽しんでいたのか」
じろりと睨まれて、私は小さく手を横に振る。
「そ、そそそ、そうじゃなくて」
「では、何を言っていた?」
その問いにどう反応していいものやら分からない。
私は、否定も、肯定も、言い訳すら出来ず、ただ喉の奥に言葉を詰まらせた。
シンや薄羽を前にして、どう反応すればいいというのだろうか。
私がシンを好きな事がばれていたらどうしよう、とか。
悪口言っている所を聞かれてどうしよう、とか。
違う、本当は凄く好きなのに、とか。
そんな色んな感情が瞬時に頭を過ぎって、私は軽いパニックに陥った。
何か言わなければならないのだろうけれど、その適切な言葉が思い付かない。
すると、天の助けか、また新しい人が部屋に顔を出した。
白髪が美しい男性妖魔、ラークさんだ。
「おや、皆さん勢揃いなのですね。
どうりでシンが急ぐように仕事を切り上げる訳だ」
柔和な色を浮かべたラークさんが現れれば、シンは私に向けていた視線を其方に移した。
「俺は別に、急いだ覚えなど無いが」
ラークさんの混ぜっ返す言い振りに、ちょっと苛々しながら言い返すシン。
私は、シンの刺すような視線から逃れる事が出来て、内心胸を撫で下ろした。
まあ、シンの悪口を言っているのは常日頃の事だ。
むしろ、本人を前にして文句を言う事も多々あったので、それを今更聞かれた所で然してどうという事はない。
けれど、逆に好意を寄せている事が露見しそうな台詞を聞かれていたのだとしたら、話は全く別なのだ。
シンが来るほんの数秒前までは、そのような話になっていた。
その微妙な会話の遣り取りをちょっとでも聞かれていたり、或いは詳しく話せなど言われたりしたら。
不器用な私は、うまく隠す自信が無い。
立て続けに起きたハプニングに、何だか生きた心地がしなかった。
目の前で相変わらず楽しそうにしている事の発端者、エスをじろりと睨み上げるが、彼は私の視線など物ともせず、先程薄羽に手渡されたクッキーをぼりぼりと食べている。
薄羽は、席から立ち上がって、新しく来た二人にもお茶を勧めた。
それに対し、てっきり断るだろうと思っていたシンが、「失礼します」と一言断って、私の隣に座ってきた。
ラークさんも、「それでは少しだけ」と、快い返事をした。
ちらりと、そのぶっきら棒な横顔を盗み見る。
「何だ」
その視線に気が付いたらしいシンが、いつもの怒った眼差しを返してくる。
でも、言葉が何も思いつかなかった私は、「何でもない」と返事し、下を俯く事しか出来なかった。
何も、わざわざ私の隣になんか座らなければいいのに。
そう思って小さく息を吐くが、私の隣でなければエスの隣しか空いていなかったのだから、エスの事を毛嫌いしているシンからしたら、私の隣を選ぶのも仕方のない事だったのかもしれない。
それでも、突然想い人が至近距離に寄った事に、私の胸はまた先程とは違った高鳴りを覚える。
何だかなあ。
救いようのない片思いをするのは、流石に辛いよ。
ひっそりと胸を押さえるも、どうしようもない。
目の前ではエスが意味深な視線を投げかけてきて笑い、薄羽は楽しそうに新しい紅茶を淹れ直し、ラークさんは一つ足りなくなってしまった椅子を用意する。
そして、シンは再び腕組みをし、長い足も無造作に組んで、黙って椅子に凭れて居る。
いつもと余り変わりない日に、ほんの少しだけ刺激的で甘い、けれど片思いしている心が切なく疼く、ティータイム。
薄羽が新しく紅茶を淹れてくれるまでに私が口に運んだクッキーは、どうやらジンジャークッキーだったようで、口の中には胡椒の仄苦い甘さが広がっていた。
TO BE CONTINUED.
2007.11.11
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