おかしな夢を見た。

眠っている私に、正装している王子様。
その王子様に、キスをされて目を開ける。

そこで初めて見た、王子様の顔。
何故だかその顔はぼんやりと掠れて、誰だか全く分からなかった。

Just Marriage
025/「好きなんです」

コンコンコンと、戸が三度ノックされる音。
それで初めて私は目を覚ました。

「んー」

伸びをして、目を擦る。
今日はいつも以上に躍起になって剣を振るったせいで、随分と疲労していたらしい。
時計の針は、かなりの時を刻んでいる。

ベッドに入ったのは昼過ぎなので、ざっと七時間は寝ていたのだろうか。
お昼寝にしては、少し長過ぎたかもしれない。

夕食も食べ過ごしてしまったようだった。
勿論、召使の人や厨房のコックさんに頼めば何か作ってくれるのだろうけれど、こうも疲れてしまえばそれも億劫だ。

鍛錬中、背中の骨を軋ませ、足腰が言う事を聞かなくなる程に走り回った私を監督してくれているシンは、有無を言わさず部屋の前まで俵担ぎをして送り届けてくれたのだけど、逆にそのせいで腹筋まで痛くなってしまった。
その不器用で中途半端な優しさが、悲しいかな、今の私には正直辛い。

失恋を自覚してから、私はシンとほとんど関わらないようにしていた。
ハード過ぎるメニューを課せられたら、以前は何かと反抗していたけれど、それも今ではほとんどしていない。

出来る限り、彼と話をしたくないのだ。
幾ら腹が立っても、言い返していない。

それどころか、色々と無駄口を叩くのも嫌になったので、シンの事を少しでも考えないで済むようにと、黙々と鍛錬に励むだけだった。

それに、エスが以前提言してきた「日本への帰還」という選択肢も、未だ残っている。

皆を裏切るのは嫌だけれど。
誰かが傷付くのは耐えられないけれど。
それでも、どうにもやって行けないと思ったら、エスに頼めば返してくれるかもしれないのだ。

どうやって手に入れているのか不明だが、エスは日本の、それも私が住んでいた地域付近の情報を、度々持って来てくれる。
その中にお父さんの具体的な話は無かったけれど、「そんなに変化は無い」と言っていたので、恐らく大丈夫なのだろう。
いや、「そう信じたい」と言った方が、正しいのかもしれないけれど。

「サキ様」

ぼんやりした頭のまま身体を起こすと、ノックの主に名前を呼ばれた。

「はーい」

寝起きのせいで掠れてしまった声で、返事をする。
扉越しに私を呼んでいるのは、このお城で唯一男友達になったリッたんの声だった。

「もう眠ってらっしゃいますか」

控えめながら、中を伺うような台詞が続く。

私はベッドから腰を上げ、来訪者を招く為に扉へと向かった。
足腰は未だ重たかったが、動けない程では無い。

気が付かぬ間に日は暮れて、部屋の中は真っ暗だった。

「起きてるよ」

もそもそと明かりをつけ、返答する。

「ああ、良かった。
今、ちょっと宜しいですか」

戸を開ければ、声主のリッたんがやや顔を赤くして立っていた。
私は、「うん、いいけど」とだけ応えて、部屋の中に入るよう促した。

私の部屋には、ラークさん達の執務室のように、ソファが置かれていない。
だから、リッたんを部屋に通したものの、彼が座る所なんて何処にも無かった。
まあ、王様のお部屋なんて普通は来客者を招くような場所ではないのだろうから、仕方が無いのかもしれないけれど。

仕様がないので、私は先程まで自分が横になっていたベッドへ腰掛けて貰うように言った。
リッたんはベッドに座る事を少し遠慮していたけれど、それでも其処しか腰かける場所が無い事が分かってからは、おずおずと腰を下ろしてくれた。

「実は」

私もリッたんの隣に落ち着くと、彼は下を俯いたまま、ごそごそとズボンのポケットを漁り出した。

「お渡ししたい物があって」

リッたんに何か渡されなければならない物など見当が付かなかった私は、首を傾げた。

「私に?」
「はい。
実は今日、城下へ下りて見付けたのです」
「へー、城下にはお店とかあるんだ?」
「はい、ありますよ。
またサキ様も自由に外出が出来るようになったら、是非一度」

リッたんは、ポケットから出した小さな箱を手渡してくれた。
黒くてテロテロした素材で出来たその箱は、とても上品で、明らかに高そうだった。

「これ何?」
「気に入って頂けるか分からないのですが」

自信無げに言いながら、リッたんは私の手に指を添え、ゆっくりとそれを開けてくれた。
すると、中から現れたのは、直径三センチはありそうな、大きくて真っ赤な石だった。

石の周りには、金で綺麗に縁取りがされていて、細い鎖型のチェーンも付いていた。
長さからして、恐らく女性用のネックレスなのだろう。

手にとってぶら下げてみれば、石の向こうは薄く透けて見えていた。
しかも、光を中に閉じ込める性質があるのか、石の中はきらきらと密やかに輝いている。

「わ、綺麗!」
「そう、ですか?」
「うん。
しかもこれ、すっごい可愛いよ、リッたん!
ネックレスでしょ?
すっごい可愛い!」

ただの石ではなく、列記とした宝石なのだろう。
余りに煌びやかな光を発するので、私はきゃいきゃいはしゃいでリッたんに言った。
リッたんは、またほんのり頬を赤く染め、「有り難うございます」と、逆に私に御礼を告げてきた。

彼は、褒められると恥ずかしいタイプなのかもしれない。
その反応が、やっぱり可愛いなあ、なんて思ってしまう。

「付けて、付けて」

早速付けたくなって、リッたんにネックレスを手渡した。
しかし、そうお願いされる事を予測していなかったらしい彼は、一瞬驚いた顔をして、それから恥ずかしそうに笑った。

「では、後ろを向いて貰っても?」
「うん、お願い」

いそいそとリッたんに背を向ければ、思っていたよりがっちりした腕が首に回された。
いつもはそんなに意識していなかったけれど、やはり彼も男性なのだな、なんて思ってしまう。

さっきまで寝ていたせいでベッタリしてしまっている私の髪の毛が、柔く掻き揚げられた。
彼の逞しい手が、ふいに項に触れる。

ひやり、と冷たい風が、汗で湿った首を擽った。
恥ずかしい事に、眠っている間にかなり汗を掻いていたらしい。

髪の毛をリッたんに触られるのは、これで二回目だった。
以前、長く伸ばしていた髪の毛をサッパリさせる時に、器用そうな彼に頼んだのが初回だ。
まるで同級生の友人に頼むように、気軽な気持ちで散髪をお願いした記憶がある。

だが、何故だか今回は無性に恥ずかしかった。
よくよく考えてみれば、男性にアクセサリーを付けて貰うだなんて、ちょっと不自然だっただろうか。

そんなことを考えている間に、すぐにカチリと金属がぶつかる音がした。

「出来ました」

そのリッたんの言葉を合図に、そっと胸元に手をやってみる。

指に、しゃらりと金属が当たった。
適度にずしりとくる肩の重みも、確かにその石が存在している事を教えてくれる。

「有り難う、リッたん」

私はベッドから腰を上げ、ドレッサーがある傍まで駆け寄った。

綺麗過ぎる宝石は、私に不釣り合いではないだろうか。

そんな一抹の不安を抱きつつ、大きな鏡の中を覗き込んでみる。
すると、そこに映ったのは、寝癖をぴんぴん跳ねさせながらも、真っ赤な宝石を首に掛けている自分自身だった。

石を囲っている金の縁に、小さな薔薇細工が施されている。
寝ぼけ眼で不細工な顔をした私だけれど、鮮やかな赤色が血色をよく見せてくれる。
こんなにも繊細で可愛らしいアクセサリーを、私は一度も付けたことが無かった。

私は、思い切り顔を綻ばせ、勢い良く後ろを振り返った。

「有り難う、リッたん。
大事にするね」
「いえ、ほんの気持ちですので」
「男友達にこんなプレゼント貰ったの、私、初めて。
高かったでしょ、御免ね」
「えーと、それ程までは」
「そう?」
「はい、ですから気になさらないで下さい」
「そっか、有り難う」

きっと、高価なものだったのだろうな、と思う。
けれど、それを正直に言わない彼に合わせて、それ以上値段の事を聞くのはやめた。

「そういえば、これって何て石なの?
見た事ないかも」
「それは、レッドアベンチュリンと言います。
城下で見かけて、サキ様に似合うと思って、つい」
「へえ、凄いね!」

聞いた事無い宝石名だったが、こんなにも素敵なプレゼントをくれた事自体が嬉しかった私は、べらべらと口を止める事なく話し続けた。
彼は少し困ったように眉を下げて笑っていたが、それでも親切に応えてくれた。

「気に入って頂けたなら、本望です」
「気に入らない訳がないじゃない」
「有り難うございます、サキ様。
そう言われたら嬉しいです」
「ううん、私こそ」

お礼の言い合いに、「そうだ」と私が手を叩く。

「私、何かお返ししないとね。
何がいいかな?」

はにかんだ笑顔に駆け寄り、私は言った。

「え、お返し?」

目をくるくるさせながら、リッたんが問い返してくる。
私は、「うん、そう」と続ける。

「欲しい物とかある?
って言っても、お金とか貰ってないから、何か買ってあげる事は出来ないかもしれないけど。
でも、出来る範囲で何かはするよ」
「そ、そんな物は、結構ですよ」
「駄目だよ、貰いっぱなしじゃ悪いし。
リッたんは何が欲しい?」

急にしどろもどろと喋るようになったリッたんに、私はその答えを聞くべく、一歩身体を傍に寄せた。
すると、リッたんはばっとベッドから腰を上げ、思い切り頬を真っ赤にさせた。

ああ。
何だか、初めて会った時の瞬間湯沸かし器みたいな顔だな。

そう思いながら、私はにこにこと返事を待つ。
リッたんは、一瞬言葉を発そうと口を開け、それから何かを飲み込んだような顔をして、また意を決したように口を開いた。

「で、でしたら!」



少し大声になったリッたんがそう言ったのと同時、彼が急激に近くなった。
それは、ほんの瞬間の出来事だった。
だから、私は何も反応が出来なかった。

いきなり立ち上がったリッたん。
彼が私の両肩に手を乗せたかと思うと、次の時には、左頬に彼の顔があったのだ。

少し離れていた距離が急に近くなって、ちゅっという可愛らしい音がして。
それからすぐに離れたものの、その彼の唇は、確かに私に触れてしまっていた。

「り、リッたん?」
「今ので、十分満足です。
有り難うございました、サキ様」
「や、それは、でも」

突然な事に動転した私は、先程のリッたん以上にもごもごと口を動かし、言葉では無い言葉を発してしまった。
しかし、リッたんも頬を一層染め上げ、私の顔を見るだけだ。

「な、ななな、何?」

どういう事?

今のは、友達としての証なのだろうか。
それとも、妖魔の挨拶なのだろうか。

余りに予想していなかった展開に、私は口をぱくぱくさせるだけだった。
とにかく落ち着こうと胸に手を遣れば、そこはバクバクと煩い程に高鳴っている。

リッたんは、そんな私を見て、きゅっと眉を寄せて苦々しげに目を細めた。

「す」
「す?」
「好きなんです!」

渋い顔のまま、叫ぶように告げられた告白。

「え、えっ?」
「好きなんです、サキ様!」

同じ言葉を、今度はヤケクソのようにぶつけられる。

え、何?
今この人、何て言った?

パニックになりながら目を白黒させれば、リッたんは私の肩をぐいと引っ張って、そのままその腕に私を閉じ込めた。
近くに寄れば、頭半分程高いリッたんの身長が、ぽこんと私の目の端に映る。
思っていたより、胸板が厚い。
彼が普段から使っているらしい爽やかな柑橘系の香水の香りも、ふわりと鼻を擽った。

「す、すすすすす、好き?」
「わ、私は、サキ様の事が好きです。
一女性として、お慕いしております」

きゅっと腕に力を込められて、ほんの少し呼吸が苦しくなる。

私は、嫌だと抵抗する事も、背中に手を回して受け入れる事も出来なくて、ただ重なり合った身体からバックバックと鳴り出した煩い脈動の音を聞いていた。
それは、自分の鼓動の音なのか、或いはリッたんの物なのか、さっぱり分からなかった。

「な、な、な、そんな」
「サキ様は、一目惚れを信じますか」
「ひ、一目惚れ?」
「はい。
この様な感情は、私も初めてです。
ですが、貴女を初めて見たその時から、私は」

「男の子の割には、ちょっとアルトみたいで高い声だなあ」といつも思っていたリッたんの声が、何故だかちょっとだけ低くなって、静かに響く。
その甘い声に益々おたおたしてしまった私は、寝起きにこの刺激は強過ぎるよ、などと全く無関係な事を考えたりなんかしながら、「あー」だの「うー」だのと零す。

こういう時は、何て言えばいいのだろう。
無言でいるのも堪えられなくて、無意味な言葉を発するために口を動かすことしか出来ない。

リッたんの事は、好きだ。
可愛いし、優しいし、一緒に居て楽しいなあと思うし、凄く好きだ。

でも、一度たりとも恋愛対象として見た事は無かった。
男友達として見ているだけで、それ以上の感情はなかった。

突然過ぎる告白は、起き抜けの私に毒だった。
そういえば、エスにその類の事を言われた時はそれなりに意識したけれど、それでもその際はシンの存在が邪魔をして、此処まで動揺しなかったように思う。

不意に、リッたんの腕の拘束が緩くなった。

「すみません。
困らせてしまいましたね」

私の動転具合を察知したのかもしれない。
リッたんは、すっと身体が離して、小さく頭を下げた。
さっきとはまた違った、ちょっと悲しそうな顔をしたリッたんが、やけに痛々しい。

私は、彼を傷付けたかった訳じゃない。
確かに驚いたけれど、そんな顔をさせたかった訳じゃないのだ。

「そんな事は、無いよ」

そう返答したものの、その後はどう言葉を継げばいいのかが分からない。
すると、リッたんは下した頭で床を見つめたまま、「では、また明日」と言った。

「お疲れになってはいけないので、早くお休み下さい」

リッたんは、私と目を合わせることなく、早口で言って扉へと駆けてしまった。
そして、また軽くお辞儀をして、私一人を残し、部屋を後にしてしまった。

急に部屋の中が静かになった。
けれど、私の心臓は相変わらず静けさを取り戻す事が無かった。
むしろ、このままでは一生分の働きを為してしまうのではないだろうかという程に早く動き、身体もじっとその場に立ち尽くすだけで精一杯だった。





TO BE CONTINUED.

2007.08.14


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