まあね、好きな子程よく観察ってしてしまうものじゃない?
そうすれば、自然と見えてくる物もあるんだよねえ。
けれど、君も本当に物好きだよね。
よりによって、あの糞真面目な男ばかりを目で追うなんてさ。
「忍ぶれど 色に出にけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで」
そういえば、日本にそんな歌もあったっけなあ。
Just Marriage
020/壁に耳有り、障子に目有り?
城下の人達がお城に抗議しに来た一騒動から…、そしてエスの二度目の来訪から、早数日。
彼は、よく私の元を訪ねて来るようになった。
けれどそれは、部屋の窓から出現という、無作法な事この上ない登場がほとんどだ。
もちろん今日も、私が鏡台の前で髪を梳いていると、後ろからいきなり和歌を詠みながら現れた。
「何、いきなり…」
余りに度々あるので、いい加減この訪問にも慣れてしまった。
私は、ブラシを鏡台に戻してから、エスの居る方へと振り向く。
すると彼は、「お土産だよ」と言って、大層大きな薔薇の花束を持って立っていた。
こういう気障な彼の遣り方は、やはりイタリア人だなあと感心してしまう。
着ている女物の着物と薔薇の組み合わせは笑っちゃうくらいにチグハグだけど、それでも何処と無く目を引く格好良さがあるのは、妖魔特性の物だろうか。
ここ数日で、また私は妖魔という生き物に対して博識になった。
勿論まだ知らない事は沢山あるのだろうけれど、初めて此処に来た時に比べれば、大層な進歩だ。
例えば、各妖魔には、私達人間と同じ様に、出身の国があるという事。
目の前の男エスはイタリア出身。
ラークさんや薄羽は、二人とも同じフランス。
リッたんはドイツで、シンは中国。
皆最初はそれぞれその国で暮らしていて、麒麟が作り出した異次元の狭間から此方へ来たそうだ。
妖魔は、本来の本能で此方の世界に惹かれる傾向にあり、そのせいで、大概の妖魔が此方に来て、そのまま此処で生活しているらしい。
尤も、ラークさん曰く、人間界より此方の世界の方が、妖魔達にとって過ごし易いとの事。
私にはよく分からないけれど、その生き物が自分に一番適した所へ直感で向かおうとする事は、当たり前の事なのかもしれない。
もしかしたら、帰巣本能とも言う動物的なアレだろうか。
だが、麒麟が作り出した異次元の入り口は、ほんの一瞬で閉じてしまう物もあれば、一定期間開いたままの物もあるらしい。
その長時間開いたままの跡地を利用して妖魔達は此方に来るらしいのだけど、麒麟も常に一つの場所に居る方では無いらしいので、その姿を見た者はほとんど居ないと言う。
ラークさんは、直接麒麟に会って異次元の入り口を作って貰い、私を此方の世界に連れて来たそうだが、今となってはそれも過ぎた話。
その時に使った異次元の穴は、すでに閉じてしまったのだそうだ。
だから、今の私が日本に帰る術は…、やっぱり無い。
とはいえ、エスだけはその帰る方法を知っているようだし、何より私も今すぐに帰ろうとは余り思わなくなってきているから、然程困ってはいない。
というより、エスに頼めば帰れるかもしれないと分かったその時から、お父さんと離れた心の負担も、ずっと軽くなった。
後は、お父さんがそんなに気に病まないでいてくれる事を願うのみだ。
それから、エスが以前ラークさんの事を「猫」と呼んでいた訳も分かった。
最初の日にシンが説明してくれたように、妖魔達は動植物が突然変異した特殊な生き物だ。
つまり、ラークさんは、白い猫が変化した妖魔だったのだ。
そのせいで、エスも「あの猫」などと言っていたのだろう。
ちなみに、エスは自己申告していた様に、ドラキュラ宜しく、蝙蝠。
リッたんは意外な事に狼で、薄羽は可愛らしい蝶々。
そしてシンは…、事もあろうか、根暗っぽい烏だ。
いや、似合っていると言うべきか、よりによってと言うべきか。
微妙な所ではあるけれど、何だか私は色んな意味でびっくりした。
「ところでさ」
血を吸う妖魔らしい妖魔な蝙蝠男、エスは、あれ以来私に体の関係を無理強いする事は無くなった。
まあセクハラ紛いなボディタッチは異様に多いし、たまに訳の分からない事を言ったりやったりするけれど、でも初日の時に比べると、何となくマシになった気がする。
だからと言って、私も警戒心が一切無くなった訳では決してないけれど…、それでも彼に対する印象は、少し変わった。
というのも、数日前の話に遡るが、二度目に私の元を訪れたエスは、私をベッドの上に放り出したものの、それ以上の事は一切して来なかったのだ。
私は、色々な事が一度にあり過ぎて若干疲れていたせいか、どうでもいい話をエスと話している間に、眠ってしまっていたらしい。
全身に張り詰めていた緊張が、余りに柔らかいベッドのせいで急に切れてしまったのかもしれないし、若しくは彼が何か魔法でも掛けたのかもしれない。
現に、目蓋を閉じきってしまう最後に見たのは、エスの何やら呟く唇だった。
目を覚ました時には、その場にエスは居なかった。
エスは寝こけてしまった私に手を出すどころか、シーツを掛けてくれてまでして、静かに立ち去っていた。
とはいえ、鎧を着たまま眠ったせいで、起きた時は随分とあちこちが痛かったけれど…、それでも目覚めた時は、やけに頭がすっきりしていた。
変に優しい所があると分かったこの男、エス。
彼は、今日も此処まで飛んで来たのだろうか、悪魔すら髣髴させる蝙蝠の羽を器用に消しながら、私に真っ赤な薔薇を手渡してくれた。
そういえば、先代の王様も、薔薇の妖魔だったらしい。
その為か、私の部屋にもよく薔薇が飾られていて、至る所に薔薇モチーフの置物もある。
これも最初こそくどい様に思えたが、慣れてしまえば結構普通だ。
エスが持って来てくれた薔薇も、とてもいい香りがした。
「君ってさ」
花束を受け取り、匂いを嗅ぐべく、鼻を近付ける。
すると、エスが突拍子もない事を言い出した。
「もしかして、シンに惚れちゃったの?」
その突然の質問に驚いた私が「はいっ?」と聞き返した声は、きっと物凄く裏返っていたと思う。
「いや、そうだよね。
シンがたまに近付いて来たら、面白いくらいに顔真っ赤にしちゃってるし。
それでいて、いつも目で追っちゃったりなんかしてさ」
「んなっ、な、な」
「動揺してるね。
図星でしょ?」
「んな事ないよっ」
「んな事あるよ。
僕、凄いサッキーの事を観察してるのに」
「か、観察なんてしなくていいっ」
「だって気になるんだもん、仕方が無い」
事も無げに、まるで「今日は天気がいいですね」とでも言う様なテンションで簡単にエスが言う物だから、私はあたふたしながら反論した。
だが、私はエスの言う所に大いに覚えがあったし、確かにあの真っ黒黒助が気になって仕様が無い毎日を過ごしていたので、はっきりと「ノー」だと言い切れなかった。
とはいえ、本当にこの感情が恋愛感情なのかどうか、私自身まだ少し分かり辛い感じもあったりする。
確かに、好きか嫌いかと問われれば、好きという目盛りに八割方傾いている様な気もする。
けれど、シンは今までの恋愛対象と掛け離れ過ぎていて、はっきりとした所が曖昧になってしまっている。
生まれてこの方、私が好きになってきた男というものは、顔はまあ格好いい方に分類分けされるものの、性格もそれなりに良かった。
少なくとも、私には優しくしてくれた。
付き合っても、別れるまではそれなりにいい恋人関係を築けていた。
けれど、シンはそのタイプと丸きり違うのだ。
顔だけはミラクル的に群を抜いて好みだけれども、性格ははっきり言って粗が目立つ。
何だかんだで面倒見が良く、騎士っぽい所なんかは凄くプラスポイントだけど、私に対しての態度は最悪と言っても過言ではない。
まあ嫌われているのだろうから仕方の無い事かもしれないけれど、普通であれば途中で冷めてもおかしくないほど激悪なのだ。
実際、私は何か言われる度に、毎回物凄く腹が立つ。
「この野郎、一回後ろから殴ってやろうか」と思ってしまう事だってある。
仕舞いには、一騒動があった時にシンにときめいてしまったのも、一時の間違った感情だったのではと、後で考え直してしまった事もある。
それなのに、その怒りが落ち着いた頃には、やはり「彼に優しくして欲しい」と願ってしまう。
何だかんだと理由を付けて、彼のいい所を探そうとしてしまっている。
そんな風に矛盾した心情が常に行ったり来たりして、自分の事ながら、私は未だうまく心の舵取りが出来ていなかった。
だから、エスが言う事にも、下手に肯定も否定も出来ないまま、中途半端な反論だけしてしまった。
その時、ふとエスの後ろの壁に掛けていた時計が目に入った。
見れば、その針はシンとの剣術の時間がすぐそこまで来ている事を示していた。
このままでは、またあの雷親父に怒られてしまう。
遅刻なんてしてしまえば、ただでさえ嫌われているというのに、更に関係が悪化してしまうかもしれないという程に怒鳴られるに違いない。
私は、慌てて花束をベッドの上に置き、翔って部屋を後にした。
大概、私が部屋から出れば、そこでエスともお別れになる。
だから、エスの下らない問答を続けるのも、今日はこれで終わりだと思っていた。
けれど、今日に限って、エスは珍しくも当然の様に私の後を追って来た。
彼が私の部屋以外に出る所を見るのは、これが初めてかもしれない。
「じゃあ、サッキーは僕のがいい?」
追い掛けて来ながら、またしても問うてくるエス。
「何?
さっきの話の続きをまだするの?」
「そう。
で、僕の方がいい?
答えてよ」
「ちょっと、誰がエスなんか。
大体、初めて会った日に何したか覚えてないの?」
「覚えてる、覚えてる。
惜しかったよね、あんな途中で終わっちゃうなんて」
「何処が!
そんな事する様な男の人、好きになんてなれません」
「大丈夫だよ、もう君の許しを得ずにしないから」
「信じ難いけどね、エスの言う事は」
「うん。
僕も自分の事ながら、信じ難いとか思ってる」
部屋から飛び出し、私は一生懸命遅刻しない様に駆けて行く。
それなのに、必死な私とは相反して、平然とした顔で付いて来るエス。
この辺が、エスも無駄に上級妖魔なんだなあと感心する所の一つだ。
先程、彼が言った「自分の事ながら信じ難い」という台詞が多少気になりはするものの、この言い方も彼の性格故だと最近分かったので、私はそれ以上突っ込まない。
エスは、自分の欲求に素直な人だ。
常に自分のしたいようにして、言いたいように言う。
そんな性格をしている。
「じゃあ、ラークみたいな紳士な感じが好み?」
また、エスが続けて問うて来る。
今日のこのしつこさは何だのだろう。
「はい?
ラークさんが?」
「そう。
僕、サッキーの為ならそういうタイプになってあげてもいいよ。
どう?」
ぱたぱたと二人廊下を小走りしながら、ああだこうだと訳の分からない質問をしてくる。
彼は、こういうお喋り好きな所も、一々イタリア人なのかもしれない。
けれど、その質問の内容がちょっと問題だ。
いつだって返答に困るものばかりだ。
「ら、ラークさんは…、美人だし、優しいけど、でもどっちかって言うとお兄ちゃんっぽい人だし」
「人じゃなくて妖魔ね」
「…逐一揚げ足取るなあ。
シンみたい」
「じゃあ、シンに付き従っている坊やみたいなのが好きなの?
あの子、結構可愛いんじゃないの?
君と仲もいいみたいだし」
そこまで言って、エスは急に腕を掴んで来た。
急いでいた体が、ガクンと立ち止まる。
真面目に受け答えするのも、大概にしておけば良かったのかもしれない。
突然何かと振り向けば、相も変わらず何を考えているのか分からない表情をしたエスと視線がぶつかった。
「リッたんの事?」
「彼みたいな純粋で真っ直ぐなのが好き?
もし彼が君の事好きだって言ってきたら、どうするのさ」
掴まれているものだから先に進めなくて、仕様が無く私は口を開く。
しかし、振られた質問が更に複雑になってしまっているから、どう答えていい物やら少し困ってしまう。
「そんな事、ある訳ないじゃん」
「どうする?」
「だから、そんな事は…」
「どうする、って僕は聞いてるんだよ。
有り得る、有り得ないなんて事は聞いてない」
「こ、断る理由は、ないと思うよ。
リッたんは…、そりゃ優しいし可愛いし、好きだよ。
でも」
何だか答えにくいその詰問に、私はしどろもどろと口を濁らせた。
嫌だなあ。
こういう恋愛話って、女の子同士なら楽しいんだけど、男の人に聞かれるのはちょっと気まずすぎる。
それに、嘘か本当か分からないものの、一応エスも私の事を好きとか言ってくれた事もあるんだし。
しかし、その時。
「廊下のど真ん中での立ち話は止めて貰いたいがな」
突然横から声を掛けられて、私の心臓はぽーんと胸から飛び出しそうになった。
驚いて其方を振り向けば、階段から下りて来たらしいシンとリッたんが、私とエスをじっと見ていた。
余りにビックリしてしまったので、どうして彼らが此処に居るのだと軽くパニックになりながら辺りを見渡してみたが…、成る程、此処は階段がある廊下の真ん中で、シン達がいつ来ても可笑しくない場所だった。
人に聞かれてはならない話をしていたものだから、ついエスと二人きりで居る様な錯覚を覚えていた。
驚きの余り、口をぱくぱくさせるしか出来無かった私。
けれど、その横に居たエスは、シンに向かって手を上げて挨拶をした。
「や、久しぶりだね」
いつも通り不機嫌面をしたシンは、ちらりと一度エスの方を睨むだけで、すぐに私の方へと目を向けてきた。
うーん。
何だかその視線が、いつも以上に恐い気がする。
「おい、人間。
剣術鍛練の時間を忘れるな。
俺は、人間如きの為に待つほど暇ではないからな」
「…はい」
「このまま此処で立ち話などしていたら、どれだけ遅れる事になったか考える事くらい、貴様にも出来よう」
「はい、御免なさい」
「誰かと交わした約束の時間に遅れるなど、普通の感覚では出来る事ではない。
その程度の礼儀くらい、身に付けておくんだな」
「はい、御免なさい」
シンから出て来た言葉は、やはり常以上に怒気を含んだ声色だった。
シンに愚痴愚痴と文句を言われるのは半ば日常ではあるものの、つい先程までエスと恋愛絡みな会話をしていた分、下手に意識してしまって、その言葉がぐさぐさと心に突き刺さる。
いつもみたいに言い返したり、逆ギレする気分にもなれない。
すると、私の代わりにエスが口を開いた。
「シンってば、サッキーの事いい加減名前で呼んであげなよ。
いつまでも、人間人間ってさ」
「サッキー、だと?」
「この子の愛称だよ。
僕が考えたの。
可愛いでしょ?」
「愛称?
何を馬鹿馬鹿しい」
「ね。
それならせめて、咲雪って名前があるんだから、それらしい呼び方してあげなよ。
可哀想だよ」
「ならば、女」
「種族から性別に呼称が変わってるだけじゃん。
君、何怒ってんのさ。
普段の調子に輪を掛けた様に、不機嫌丸出しだよ?」
私の肩にぽんと手を置いてきたエスは、懐から扇子を出して可笑しそうに笑う。
その時、近くに寄られたせいか、エス独特の香りがつんと鼻に衝いた。
エスの香水の香りは、結構きつい。
嫌いな香りではないけれど、どうしても気になってしまうその香は、エスと出会った初日の事を嫌でも思い出してしまう程に妖艶に漂う。
その香を嗅ぎつつも、私はエスの言った内容に意外な所があったので、些か驚いていた。
いつも「サッキー」「サッキー」と訳の分からないあだ名で私の事を呼ぶエス。
けれど、エスってばちゃんと私の本名を知っていたらしい。
てっきり、彼は「サッキー」というのが本名だと勘違いしているのかと思っていた。
全く、ちゃんと分かっていたのならば、もう少しマシな呼び方をしてくれても良かったのに。
そんなエスは、相も変わらず常の調子でシンに言う。
「どうしてそんなにご機嫌斜めなのさ?」
「貴様が、追放された身のくせに此処に居るからだ。
さっさと出て行け」
「でも、僕を追放した張本人であるゼカトリア王は、もうこの城から居なくなっちゃってるよ。
だから、その追放令も、そろそろ時効じゃない?」
「ふざけた事を言うな。
時効などある筈なかろう」
「けど、今のトップは、その追放令を出したゼカトリア王じゃなくて、このサッキーでしょ?
そのサッキーと僕、もうかなり仲がいいんだよね。
すでに顔パスで城に入り浸れるくらいじゃないかな」
「この人間はまだ此処の右も左も把握出来ていない程に無知だ。
そんな奴に、貴様と関わる事の良し悪しも分かる訳が無い」
「それでも、サッキーは城主だよ。
城のトップであるこの子が僕に出て行けって言わない限り、居てもいいんじゃない?」
今にも掴み掛かりそうな勢いで威嚇するシン。
それ対して、飄々と応えるエス。
まるで陰と陽な二人に挟まれて、どうすればいいものやらと、私はちらとリッたんに視線を移す。
すると、はたと目が合ったリッたんは、かっと頬を赤くして下を向いてしまった。
最近は赤面する事も少なくなった彼だが、今日は一体またどうしたと言うのだろう。
エスが居るから、緊張でもしているのだろうか。
そう不思議に思っていると、シンはずいと一歩近寄って来た。
「女、この男に今すぐ追放令を出せ。
俺が直々に追い出してくれる」
シンは、私の肩に掛けられていたエスの腕を、ぱんと怒り宛てら振り払った。
恐らく、何を言っても無駄だろうエスの処遇を、紛いなりにも王の後継者である私に押し付けるつもりなのだろう。
だが、それ以前に、一度エスが追放された身だという事を聞いて、私はビックリしていた。
まあ、エスの事だから、何やらまずい事でもしでかしていたのかもしれないけれど。
たとえば、王様を怒らせる様な事とか、普通では考えられない様な、そんな何かを。
けれどそれは、もう過去の話。
確かにエスは変な人だけど、それでも今もまたそこまでする必要は無いと思った。
過去は過去、今は今。
現に、今すぐ何か良からぬ事を企んでいる訳ではなさそうだし。
私を襲おうとした前科があるにせよ、それももう過ぎた話だ。
最近は、そんな素振りも然程見えない。
「私は嫌だよ。
別に、少しなら居てもいいじゃない」
私は、シンの言った事を拒否した。
その返事を聞いて、シンは益々苦虫を噛み潰した様な顔をする。
「貴様…」
「それに、そんなに嫌な人とかじゃないし、悪い事しようと思って此処に居るのでもなさそうだし」
そこまで言えば、益々シンの整った顔が崩れていった。
何から何までが気に入らない、といった表情だ。
エスが、すぐさま間に割って入る。
「あー、ほらほら。
そうやって怒りやすいとこ、シンの悪い癖だよ。
幾ら僕がサッキーと仲良いからって、妬かなくてもいいじゃない」
「っな、誰が!」
けらけらと笑って、今度はぐいと私を身体ごと引き寄せたエスに、シンはまた声を荒げた。
二人の遣り取りから、どうやら仲が悪いらしい事はすぐに分かった。
いや、エスはシンの事を然程悪く思ってなさそうだけれど、少なくともシンはエスの事を毛嫌いしてそうだ。
ありえない程に堅物な彼からすれば、エスの様な破天荒なタイプは鼻に付くのかもしれない。
すると、この場を唯一収める事が出来るだろう人が現れた。
ラークさんだ。
「おや、これは…」
それだけ言い、口を噤んだラークさん。
私にとっては、天の助けだった。
お仕事の最中なのだろう、彼は手に古そうな沢山の本を抱えている。
「ラークさん!」
「咲雪様。
これはまた随分と蒼々たるメンバーを引き連れておいでですね」
流石のラークさんもエスの存在に驚いたのだろう。
彼は、エスとシンを交互で見て、些か困った様な顔をした。
そして、やや逡巡してから、私を抱え込んでいるエスにだけ視線を移して、静かに言った。
「エスク。
貴方は一度この城から追放された身分なのですから、余り城内を出歩かない方が宜しいかと。
周りの者が騒ぎます」
「でも、この城を統べるべきサッキーは、居てもいいって言ったよ。
トップであるこの子の許しが出たんだから、いいんじゃない?」
「おや。
エスク、貴方は何処までご存知なのですか?
何故、咲雪様が今の長だと分かるのですか?」
「ま、事の次第は全部かな。
面白そうだから、ずっと見てたんだよね」
その言葉に、シンはきゅっと眉間に力を入れた。
完全に癖になっているのだろう彼のその所作は、今ではもう見慣れてしまった。
「だから僕、此処に居ても構わないでしょ?」
エスが事も無げに言う。
ラークさんは少し考える素振りをして、それから再度口を開いた。
「そうですか。
まあ、貴方の事ですから薄々は予想していましたが、仕方がありませんね。
城主たる咲雪様の許可は、絶対ですし」
「ラーク、やっぱ君は話が分かるね。
ま、サッキーが駄目って言っても、僕は最初から通う気満々だったけど」
その台詞に、ラークさんは溜息を一つ吐いた。
エスは、一人楽しそうな顔でご機嫌に笑った。
シンは、難しい表情をしたまま小さく舌打ちをした。
リッたんは、複雑な面持ちで事の成り行きを見ている様だった。
そして私は「何やら面倒な事が起きそうだなあ」なんて、ちょっとだけ後悔してしまった。
TO BE CONTINUED.
引用:平清盛「拾遺和歌集・恋六二三」
2007.07.11
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