どうしていいのか分からなくて、とにかく名前を呼べば、ただ「部屋に居ろ」と言われた。
その響きはまるで「お前には関係無い」と言っている様で、得体の知れない不安と同時に、一抹の寂しさを感じてしまった。
「咲雪様」
為す術も無く立ち尽くしていたら、薄羽がすぐ傍まで寄って来て、私の右手を両手で優しく包み込んでくれた。
そして「大丈夫ですわ」と、小さな子をあやすように優しく言葉を掛けてくれる。
「薄羽」
「彼に任せていれば、何も問題はありません」
「でも、さっきリッたんが、暴動って。
しかも、十も人が居るって」
「心配ありませんわ、あのシンヅァンですもの。
彼は、ああ見えて本当に頼りになる男です」
その暴動が、果たしてどういう物かきちんと分かっている訳ではないけれど。
でも、それが良からぬ物なのだという事くらいは、流石の私にも分かった。
現に、先程まで静かだったお城の中も、リッたんが現れた後から急に慌しくなってしまった。
おそらく、皆が騒ぎに気が付き始めたのだろう。
あちこちで、ばたばたと賑やかな足音が聞こえる。
私は、握ってくれている手をそっと離し、薄羽に一度笑い掛けた。
頼り無い笑顔だったかもしれない。
けれど、それが今の私に出来る、精一杯の表情。
「咲雪様?」
薄羽が不安げに私の名を呼ぶ。
それを振り切って、私もシン達が下りて行った階段を追った。
勿論、すぐに薄羽に呼び止められた。
その時の彼女の声色は、心成しか切羽詰っていた。
だからと言って、此処で立ち止まっている訳にも行かない。
動き出した足を止めたくない。
「ねえ、薄羽」
「はい」
ふと振り返って、もう一度薄羽と目を合わせる。
「皆、武器を持ってるって言ってたでしょう?」
「え、ええ。
それより咲雪様、何処に?」
「そんなの、シン一人に任せてなんて居られないじゃない。
私、行くよ」
大きな音をたてて階段を駆けて行って、ただ向かうはお城の門。
シンの元。
果たして今の私が行った所で何の力になれるか分からないけれど、むしろ足手纏いになるのかもしれないけれど。
それでも、大勢の中にシン一人だけを向かわせるだなんて、そんな非情な事は出来なかった。
況してや王様の事、乃至は私の事が関係しているのなら、尚の事だ。
我関せずと黙っているのも、私の性に合わない。
昔から、自分だけ特別扱いをされるのは嫌いだった。
弱いからといって、過保護にされるのは嫌いだった。
私だって、出来る事は自分でやりたい。
誰かの力になれるのならば、進んで何かをしてあげたい。
勿論、今の私がそう思えるのは、中途半端に剣の扱いに慣れたせいもあるのかもしれないけれど。
お願い。
誰も、怪我などしたりしませんように。
私はひたすらそう祈りながら、籠手の中に潜んでいる剣に、ぐっと念を寄せたのだった。
Just Marriage
016/恋した瞬間
お城を出て、外へと繋がる大門へ一直線に足を向けた。
すると其処には、村人達が入って来ないように四苦八苦している門番さんが居た。
やいやいと文句を言っている村人達は、その門番さんを押し退ける様な勢いで捲くし立てている。
シンの姿は見えなかった。
何処かで擦れ違ったのだろうか。
或いは、あの輪の中に入っているのだろうか。
「王は何処に行った!」
「この城はどうなるんだ!」
口々に抗議している村人達。
その手には、先程リッたんが言っていた様に、各々武器を携えている。
私は、その輪の中に入ろうとまた一歩足を踏み出したが、すぐに後ろから肩を掴まれてしまった。
誰だろうと振り返れば、其処には武装したお城の騎士の人。
彼は、私に「危険です、お下がり下さい」と言った。
しかし、そんな事を言われても、あの中でシンが揉みくちゃに、もしくはボコボコにされているのを想像したら、「はい、そうですか」と素直に引ける訳もなく。
シンは少しムカつく奴だけど、でも知っている人が目の前で傷付けられるだなんて、いい気がしないに決まっている。
それがたとえ、凄く憎んでいる人であったとしても、だ。
そんなもの、普通の人間であれば当然の感情だと思う。
誰かが傷付けられて平気な顔をしていられるほど、私は冷酷ではないし、無情でもない。
だから、やきもきしながら、「でも」と私は反論した。
けれど、それと同時にまた村人達の声が一層大きくなって、上手い具合に私の言葉も掻き消されてしまった。
「シンヅァン様!」
「シンヅァン様!」
その一際大きな声は、シンを呼ぶ物だった。
もしやシンに何かあったのかと村人達の方を向けば、彼らも此方を向いて大声を発していた。
何故、私の方を見てシンの名前を呼ぶのだろう。
不思議に思ってきょろきょろと辺りを見渡してみる。
しかし、シンの姿は何処にも見えない。
私は、訳が分からなくなって、一歩足を後ろに引いた。
その瞬間、どんと背中が何かに当たった。
壁だろうか。
その正体を調べるべく振り返ってみる。
すると、其処には難しい顔をして立っているシンが居た。
彼は、やや狼狽している私の顔を一度見下ろして、それからすぐあからさまに怪訝な表情を作った。
おそらく、部屋に居ろと言ったにも関わらず、此処まで私が来てしまった事を怒っているのだろう。
言葉に出さずとも、彼の苛々はしっかりと伝わってくる。
でも、あの場で自室に引き篭もっていられる程に、私も薄情では無いのだ。
自分の事で誰かが傷付くかもしれないと分かっていて、無視なんて出来る筈がない。
叱られる前に先に弁解してしまおうと口を開いたが、シンは私の言葉を待たずに、黙って村人達の方へと歩いて行ってしまった。
その背中を引き止めようと手を伸ばすも、先程私を止めた騎士の人がまた離してくれなかったので、その手も空を掴むだけで終わってしまった。
かつかつとシンが歩を進めると、それに合わせて村人達の声も静かになった。
もしかしたら、皆はシンを恐れているのかもしれない。
そう思いつつその後姿を眺めていると、彼がぴたりと足を止めた。
それと同時、村人達の中で口を開く者は、完全に居なくなった。
「王の件であれば、今すぐ知らせる事は無い。
早々に立ち去れ」
村人達の前に立ったシンは、いつもの冷静な声でそれだけ言った。
しかし、そのシンの言葉は逆に皆を煽ってしまったらしく、折角静かになった場は、またしても喧騒に揉まれそうになった。
ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる暴動者達。
それを必死で食い止めようとする門番さん。
シンは、微動だにせず腕組みをして立っている。
その時、一人の興奮しきった村人が持っていた槍の先が、シンの頬を軽く掠った。
その槍の刃から、小さな赤い血が飛び散った。
私からはシンの後姿しか見えないので、きちんとした所は確認出来なかった。
それでも、その直後に彼が頬を軽く片手で拭ったので、怪我をした事だけはすぐに分かった。
瞬間、私は逆上した。
「やめなさい!
私は、このお城の後継者だよ!」
思わず、誰にも負けない程に大きな声を張り上げてしまった。
言ってしまった途端、「しまった」と口を押さえるも、悲しいかな、後の祭りだ。
かっとなったとはいえ、つい口を滑らせてしまった。
私の言に、村人達は一瞬きょとんとしたけれど、すぐにざわざわと騒ぎ出した。
振り向いたシンも、私の顔を見て、思い切り眉間に皺を寄せて睨んでくれた。
王様の後継者として私が居る事を知っているのは、まだお城の者達だけだ。
城内の手続きやら何やらがまだ完全に済んでいないらしいので、村人達は私の存在自体を全く知らない。
ラークさんは、いずれきちんとした形で後継者の存在を公表すると言っていたけれど、今は未だその時では無いからと、お城の中だけの秘密としていたのだ。
それ以前に、村の人達は、王様が居なくなった事自体を今まで内緒にされていた訳だし。
それなのに、言ってしまった。
自ら秘密をばらしてしまった。
「どういう事だ!」
「そうだ、どういう事だ!」
村人達が、困惑を隠し切れず口々に騒いだ。
そりゃ第三者らしき者が口を出せば、況してや王不在時に「己が次期後継者だ」と名乗り挙げれば、こうなるのは目に見えていた事だ。
「わ、私は…っ」
衝動に任せて下手に参戦したものの、怒りの矛先が此方へと向けられた事に、私は動転してしまった。
皆の剣幕に、どう返せばいいものやらとおろおろしていれば、傍に居る騎士が「城にお戻り下さい」と軽く私の肩を押してくれた。
けれど、一度自ら口を出してしまったからには、それに素直に従っていい物かどうか分からない。
私のせいでヒートアップしてしまった住人達は、再び暴言を飛び交わせ、携えていた武器を高々く上げている。
不味い、と思った。
私のせいで、益々事態が悪くなってしまった。
ぎらぎらと光る剣や槍が、シンと門番さんに突きつけられている。
このままでは、また誰かが怪我をしかねない。
どうしよう。
私が変な事を口走ったばかりに。
その時、団子になった人の脇から、きらりと光る物が目の端に映った。
ほんの一瞬の事だったけれど、それが危険なものである事は私にも分かった。
武器だ。
切っ先が光る、何か鋭利なものだ。
それが、此方を目指して飛んで来た。
私は、咄嗟に両手を顔の前に持って行った。
運良く今は剣術の後なので、私は全身に鎧を纏っている。
ガードをすれば、生身の身体に深い怪我をする事も、恐らく無い。
まあ、多少の怪我は、あるかもしれないけれど。
しかし。
「いかにも、あの方はこの城の後継者だ」
私に衝撃が訪れる前に、シンの低い声が耳に届いた。
「確かに、先代の王の事に関しては、弁解の仕様も無い。
詫びても足りない程だ。
その分、この方だけは何があっても御守りする」
見れば、先程飛んで来ると思われた、光る飛び矢を手で掴んでいるシン。
彼はそれが私に届く前に、直に掴んだのだろう。
矢の刃を握っている掌からは、ぼたりと一つ真っ赤な血が落ちた。
「約束する。
次期王が無くなる時は、このシンヅァンの命も枯れる時だ。
俺は、今度こそ最期までこの方に従い、護り、付いていく。
必ずや生涯を通して傍に居る」
そう言って、シンは掴んでいた矢を放って地に落とした。
からんという乾いた音と共に、またぼたぼたと赤い滴が地面を濡らしていく。
傷は存外深かったらしく、鮮血の染みも石畳の上に大きく広がった。
各々に武器を振り翳していた人達も、シンの迫力に怖気づいたらしい。
或いは、彼に深い傷を付けてしまった事で我に返ったのだろうか。
皆、おそるおそる各々の腕を引っ込めている。
その見事な引き様に、私の横に居た騎士も、「流石だ」と小さな声で呟いた。
シンが騎士達の憧れの一人であるらしい事は、以前リッたんから聞いていた。
強くて頼り甲斐がある彼は、全ての騎士の見本にもなっているのだと。
その期待を裏切る事なく、確かに今のシンは、有り得ない程に格好良くて、威厳があった。
次期王に誓いをたてるその言葉は、たとえ本当は私に向けられた物ではないにしても、ぐらりと心臓が大きく傾くほどに様になっていた。
勿論、たった数言でいきり立った人達を鎮めてしまうのだから、彼は普段から町や村の人達に尊敬されているのだろうけれど。
「追って、詳しい報を入れる。
それまで各自待っていろ」
その最後のシンの言葉に、先刻までの怒りは何処へやら、完全に静けさを取り戻した村人達は、シンと私達に低く頭を下げ始めた。
もう騒ぐ者は一人も居なかった。
シンは完全にこの場を落着させてしまった。
けれど、私の心だけは、もう今までのように穏やかでは居られなかった。
とくとくと煩く鳴る、心臓の音。
全身を巡る、熱い血潮。
シンの言葉は、単なるその場凌ぎだ。
或いは、王に仕える者として、当然の台詞だったに違いない。
それでも、未だ私の中では煩いくらいに彼の声が何度も何度も巡っている。
だって、「生涯を通して傍に居る」だなんて。
しかも、私を庇って怪我までしてくれるだなんて。
ねえ、シン。
貴方が何とも無しに口に出したその誓いの言葉は、そのやり方は、年頃の女の子にとって、ちょっときつ過ぎるかもしれないよ。
TO BE CONTINUED.
2007.06.15
present for 沙柚様.
[Back]