面倒な事というものは、常に立て続けに起きる。
願ってなどいなくとも、順番待ちをしていたかの様に訪れてくれる。

全くもって、不愉快な事だ。
まだ現状は何も良くなっていないというのに。

Just Marriage
015/RIOT

人間の小娘の鍛錬も幾許か順化してきたかと思っていれば、それは突然の事だった。
見上げた先の階段から、この城の姫である薄羽姫様の身体が傾いたのだ。

俺は、咄嗟に腕を伸ばした。
勿論、薄羽姫様は立派な妖魔だ。
俺などが手を貸さずとも、大事ない事は分かっている。
だが、騎士の性ゆえ、体は勝手に動いていた。

すとん、と軽い体が落ちてくる。
俺は、片手とはいえ、何とか薄羽姫様を腕に抱える事が出来た。
不意に近付いたその柔らかい身体からは、多種の花が渾然一体となり、洗練された優しい香がした。

「大事なくて良かった」

淡々と、腕に抱えていた相手に労りの言葉を落とす。
すると、長くて白い巻き髪が美しい姫は少し笑って、傾倒していた姿勢をすぐに正した。
俺も、腰に回していた己の腕をそっと放した。
それから、ふと顔を上げて、自分達が居る城内を見回した。

姫の事はさておき、つい先程から感じていたのだが、やけに城の様子がおかしい。
騒がしいという訳ではないが、静か過ぎるという訳でもない。
どうも落ち着きの無い召使が数人、そそくさと何かを隠すように歩いている。

もしや何か緩急な事でもあったのかと思い、廊下の向こうの方で見回りをしている騎士の様子をちらりと窺ってみる。
しかし、それらは然して普段と変わりが無い。

ただ先刻から、特定の召使だけがそわそわと行き交いしているのだ。

何だ?
一体、何があった?

「ねえ」

すると、階段の数段下に居る人間の小娘が口を開いた。

「今日は鍛錬場に顔を出さなかったけど、何かあったの?」

その言に「そういえば、今日は姫も姿を現していなかったな」と思い出した。
横に居る姫に視線を移してみる。
姫は、些か返答に困っていた。

姫は、毎日人間の鍛錬に付き合っている訳ではない。
概ね顔を出される傾向にあるが、決して休む事なく、という程でもない。
故に、今朝、姫が鍛錬場に顔を出さなかった事に対しても、俺は然して気にしていなかった。

しかし、この人間の小娘は、そんな些細な事も引っ掛かっていたらしい。
姫が階段から転げ落ちそうになった所を目の当たりにして、まだ不安げな顔をしてはいるが。

黙っていると、姫が言った。

「ええ、ええ。
その事なのですけども…」

そこまで言って、また黙り込む薄羽姫様。
そして、今度は「シンヅァン」と、再度俺の方を向いた。

その声色は、少し物憂げだった。
案の如く、鍛錬中に何か問題でも起きたのかもしれない。
俺は、「何でしょうか」と言下に返した。

「実は、城外で良からぬ噂が飛び交っていると、今朝、召使に聞きましたの」
「良からぬ噂、ですか」
「ええ、ええ。
何やら…、その、何と言えばいいのかしら」

その姫の言葉に、やはり召使の間だけで何かが広がっていたのかと、俺は忍びやかに納得した。
けれど、人間が近くに居るからか、姫はやや言い難そうに口篭り、普段から伏せがちの視線を足元に移すだけだった。

姫が言わんとしている事は、多分に城の事。
乃至は王や後継者、人間の小娘を取り巻く何れかの事だ。

真に、心優しい姫の事だ。
この人間の存在を邪魔者扱いしている訳ではないだろうが、それらを本人の前で話す事に気を遣っているのだろう。
何より、姫はこの人間の小娘と懇ろにしていると聞く。
それ故、姫はうまく舌を動かす事が出来ないようだった。

その雰囲気を読み取ったのか、或いはまた何か他の事でも考えたのか。
俺が何か返そうと口を開くその前に、人間は矢継ぎ早に言った。

「あっ、わ、私。
早く着替えたいから、自分の部屋に戻るね!」

迂愚でありながら、自分の立ち位置に気を利かしたのだろうか。

俺と姫が立っていた階段の傍を、たんたんと駆ける様に通り過ぎ、姫に向かってのみ笑顔を向ける、人間の小娘。
そして「また後でね」と何心無く言った。

だが、その時。

「シンヅァン様!」

人間の小娘が完全に俺達から離れてしまうその前に、階下から切羽詰った声が聞こえた。

声の主は、姿を見ずとも我が部下の物だと分かったので、俺は黙って顔だけを其方に向けた。
自室へと向かおうとしていた人間の娘も、その只ならぬ様子にはたと足を止めていた。

「シンヅァン様、大変です」

ばたばたと階段を駆け上がり、俺のすぐ近くまで来たリッターは、息を整わせる事もなく、二度俺の名を呼んだ。
それに「何があった」と、ざわつく心を隠して、あくまで冷静に問い掛ける。

「城下の者共が、門の前に集まっている模様です」

その部下が告げた内容は、案の定、杞憂で終わりそうも無い物だった。
俺は、ぴくりと片眉を吊り上げた。

姫は、何か思い当たる節があったのだろうか。
少し悲しそうな顔をして、細くて白い指を口元に当てている。

「どうやら、先代の王が亡くなられた事が、何処からか伝わったようなのです。
皆、武器を携えて口々に王を出せと文句を言っております」
「数は?」
「ざっと見た限り、十程度でしょうか」

部下が常の冷静さを欠きながら報告した瞬間、隣に居る姫はやや神妙な面持ちになった。
勿論、俺も例外ではない。
これは、そう簡単に解決しそうな問題ではないからだ。

しかし、王が居なくなったその時から、遅かれ早かれこの様な事態になる事は想像が付いていた。
むしろ、いつかは露見して当たり前なのだ。

先代の王の影響力は強かった。
その王が亡くなったとあれば、誰しもが動揺する。
このような暴動紛いの事が起きる事も、誰しもが分かっていた。
ただ、その時期がいつになるかまでは分からなかったが。

「そうか」

俺は一言だけ返し、これからどうしたものかと小さく息を吐いた。

数は、幸いにも十程度。
一人で片付けられない訳ではない。

何より、城下から来ているのであれば、下級妖魔や名も無き妖怪、良くても中級妖魔程度だ。
己の力で無理矢理黙らせる事も、決して難しく無い旗色だ。

しかし、一つ問題がある。
城前に暴徒らが集まっている理由は、王消失の露見が原因だろうから、下手に手を出しては、今後の城の信用問題にも成りかねない。
単なる謂れのない攪乱などであれば、切って捨て置けばいいだけの事。
だが「王の失跡」「後継」と、ただでさえ不安定な状況下、これを切掛けに後々大きな暴動になる様な事は避けておきたい。
だからこそ、我が部下リッターも危惧しているのだろう。

「ラークは?」

面倒な事になった物だと、俺はこの様な厄介事に一番頭が回るであろう友人の名を出した。
奴は物の駆け引きや事の裏を考えるに長けた性質をしているし、この程度の手数事を軽く交わす術の一つや二つ、簡単に導き出すに違いないだろうから。

「それが、今朝から出ていらっしゃるので」

我が部下から返って来たのは、期待外れな注進だった。
どうやら今一番頼りになりそうな奴は、この大事な時に留守らしい。

立て続けに起きる不運な煩に、俺はここ最近酷くなる一方の頭痛を、ぐっと堪えた。
仕様が無い。
此処は、俺自らが手を打つしかなさそうだ。

腹を括る様に、再度嘆息する。
それから、未だ落ち着かないらしい部下へと声を掛けた。

「リッター」
「はっ」
「万一の事に備え、周りの警備を固める手配をしろ」

すぐ横を見遣ると、姫が気を揉んだ面持ちをしていた。
それに俺は小さく頷く。

今、城内でこの問題を解決できるのは、恐らく俺だけだ。
姫に心配をかけさせる訳にもいかない。

先程まで上って来ていた階段を引き返し、問題が起きているらしい城前へと歩を進めた。
リッターも、姫と人間に軽く一礼し、すぐさま俺に続いて来た。

「シン!」

その時、突然背後から切羽詰った声が掛けられた。

一体どうしたのだと振り返れば、突然起きた事に頭が付いていかなかったのか、これでもかという程に不安そうに立ち尽くしている人間が、俺をじっと見詰めていた。

その表情に、特段掛ける言葉も見付からず、況してや人間を巻き込んで大騒ぎする程の事でもないので、俺は「部屋で休んでいろ」と、それだけを返して再度踵を返した。
その俺の科白に、人間は些か動揺した空気を漂わせたようだったが、それにはもう俺も応えず、城外へと続く大門へとただ足を進めたのだった。





TO BE CONTINUED.

2007.06.11


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