ほんの些細な事が気になる。
それが切っ掛けで、視線は自ずとその人を追う。
嫌いな筈であったとしても、何故か目が離せなくなる。
恋の始まりは、小さな事から。
いつだって、それが愛し合う男女の始まり。
Just Marriage
014/好きな人、居る?
悲しいかな、この世界に来てもう何日も経ってしまった。
具体的な数字にして、早二週間。
その間も、どうやって日本に帰るかばかりを考えていたけれど、残念ながらその方法も見付かっていない。
人を殺す気かと突っ込みたくなる厳しい剣術のお稽古も毎日で、城中こっそり麒麟探しするのも、すでに日課になっている。
一応、ラークさんに「城内に麒麟は居る?」と聞いてみたけれど、その際は若干困った顔をして首を横に振られてしまった。
だから、未だこのお城に麒麟が居るのかどうか、分からない。
ましてや、その麒麟とやらがどんな姿をしているのかも分からない。
一度会った事がある筈のラークさんは、子馬のような容姿だと言っていたけれど、自分の目で確かめない限りは、実際に見付けたとしても麒麟だと判断出来ないかもしれない。
此処の世界に無理矢理連れて来たラークさんの事は、やはり憎めないままだ。
彼は凄く私に優しくしてくれるし、今すぐ日本に帰る事以外は、何でもお手伝いさせて下さいと言ってくれた。
扱いだって完璧に紳士だし、勝手に連れて来られた事以外では、何処もケチの付け様が無い。
その上、彼は、私が「帰りたい」と言えば、少し悲しそうな顔をする。
駄目だと上から押し付ける事もなく、ただ「勝手に連れて来てしまい、申し訳ありませんでした」と言って、謝ってくれる。
人間がこの世界でいかに下等な存在だと扱われているか分かってしまった今では、彼のその懇ろな態度は、凄く身に染みた。
そのせいで、どうも私はラークさんの事が嫌いになれなかったし、むしろどちらかと言えば好きな部類だった。
ラークさんに勝手に此処に連れて来られた事に関しては、正直な話、やはり少し憤りを感じる。
でも、そんな事も掻き消してくれるくらい、ラークさんは本当にいい人で、優しく接してくれた。
だから、過ぎた事を…、ましてや麒麟を使う以外の帰り方はラークさん自身も分かりかねているようなので、これ以上彼を責めるのも可哀想な気がした。
それでも、常に私の中にあるのは、お父さんの悲しそうな顔だった。
私が居なくなって、お父さんは寂しがっているかもしれない。
それ以前に、心配しているかもしれない。
いや、居なくなった時期が時期だから、私が家出でもしたのかと思い込んでいるかもしれない。
気弱なお父さんの事だから、それが原因で自殺でも図っているかもしれない。
そんな事を考えれば、やはり元居た世界が名残惜しく、むしろ不安になってくるのも事実で。
ラークさんは凄く親切だし、リッたんはいいお友達になってくれたし、薄羽と居たら和めるし、シンと居たら…、いや、あれは論外か。
けれど、毎日毎日退屈という言葉が無い程に、皆は私に良くしてくれる。
元の世界を忘れられるくらいに、楽しい日々を提供してくれる。
そういえば、薄羽は「妖魔は退屈な生き物」みたいな事を言っていたけれど、私が以前していた生活に比べたら、断然此方の方が楽しい。
彼女が言う所の「退屈」という単語が何なのか、さっぱり私には分からない程だ。
だから、いつも私は葛藤していた。
お家に帰りたい。
帰りたくない。
その様な相反する感情が、ふとした瞬間に何度も何度も入れ替わる。
せめて、お父さんの安全さえ確認出来れば、少しは気休めになるのかもしれない。
でも、今の私にはそれすらも出来ない。
それが、凄く悔しくて、寂しい。
その想いを少しでも紛らわす為に、剣術は比較的役にたっていたのかもしれない。
勿論、好き好んでやっている訳ではない。
ただ、何かをしていないと、時折感じる焦燥感と虚しさに、妙に押し潰されそうになってしまう事があるのだ。
何かをしなければならないという事は、今の私にとって有り難くもある。
余計な事を考えないで済むし、寂しい気持ちや悲しい気持ちも、少しは薄らぐ。
それに、鍛錬場に行かなければ行かないで、またあの嫌味男に何を言われるか分かった物ではないし、思い切り身体を動かせば、悶々とした気分の解消にもなる。
同時に少々の怪我も付いて回ったけれど、でも、そんな事は然して気にならなかった。
私の一日の流れは、まず午前中にシンとお稽古をして、午後からはほとんど自由時間だ。
お城以外は外出禁止になっているが、それでもそのお城は余りに広いので、暇なんて物は全く無い。
女同士の会話を楽しむ為に薄羽の所に遊びに行ったり、紅茶を淹れるのが上手なラークさんの所でお茶をご馳走になったりするのが主だけれど、何処に行っても新しい発見がある。
それらで私が驚いていれば、一人を除いて彼らは皆、にっこり微笑んでくれたりする。
もしかしたら、彼らにとって私は、赤子が玩具を見付けて喜んでいるみたいにでも見えるのかもしれない。
そういえば、鍛錬場でシンに出される妖怪達にも慣れてきた。
というより、随分と剣の扱いが様になってきたような気がする。
まあシン大先生に比べたらまだまだ全然駄目なのかもしれないけれど、それでも初めての時に比べれば、私は結構成長した。
元より学校の四教科はずば抜けて良かったので、剣術自体も得意分野だったのかもしれない。
長かった髪の毛も、動き回るのに鬱陶しかったから、リッたんにすっぱり切って貰った。
ちなみに、肝心の巨大烏賊は倒せていない。
今はまだ、それよりレベルが低いらしい小さな妖怪の相手ばかりをさせられている。
合間に、シンに頼んで憎き烏賊にリベンジもしている。
その度に、悲しいくらい返り討ちにあっているけれど、でも昔に比べたら少しはいい線まで行くようになった。
そんな私の鍛錬に付き合ってくれる薄羽は、何故だか知らないけれど、私が妖怪を倒す度、私以上に喜んでくれる。
初めて私が妖怪を倒した時など、「今日はお祝いパーティーですわね」なんて言って、まるで初潮を迎えた娘をお祝いするお母さんみたいに言ってくれた。
それから、鍛錬用にがっちりした鎧も特別に宛がわれた。
シルバーの肩当てや胸当て、籠手など、大事な所はほとんどカバーしてくれる優れ物だ。
そのお陰で、いつも軽い怪我で済んでいると言っても過言では無い。
しかも、肩当てには半透明のストールまで付いていて、動く度にそれがひらひら揺れ、自分で言うのも何だが、妙に華麗に動けている。
いや、その様な錯覚を受ける。
鎧自体の重さも、最初こそズシンときて仕様がなかったが、今では随分と慣れてしまった。
これらは全てシンが用意してくれた物らしいのだけど、サイズが不思議なくらいぴったりだったので、私は「もしかして、寝ている間にでもスリーサイズを計った?」と聞いた。
勿論、その後は物凄い顔で睨まれてしまった。
そして、同時に剣も新調されていた。
というより、以前リッたんに渡された物を、腕の籠手の中に内蔵してくれていた。
普段は出ていないのだけど、一定の角度に揃えて腕を振れば、そこからジャキンという格好いい音と共に剣が姿を現す仕組みだ。
剣自体はまだ好きになれないけれど、でもその音だけはとても好ましかった。
これも、初めて私が烏賊と戦った時、いとも簡単に剣が吹っ飛ばされるのを見て、シンが考えてくれたそうだ。
彼曰く、私には握力が無いらしい。
とはいえ、あんな巨大烏賊と比べられたら、誰だって握力は無いに等しいと思うのですけども。
そんな風に、この二週間、慌しくも楽しくお城で生活してきた、この私。
だが、幾ら日が経っても、シンの私に対する態度は相変わらずだ。
彼は一度たりとも私を名前で呼んでくれた事はないし、いつだって「おい」とか「貴様」とか。
酷い時には「人間」「女」と、普通名詞や代名詞なのだ。
だが、驚く事に、メイドさんや他の騎士が居る時だけは、いつもの命令口調が無くなってしまう。
まあ、彼らが居なくなった瞬間には、すぐにそれもいつもの嫌な性格に元通りになるのだけれども、そのオンとオフの使い分けには正直驚かされた。
まあ、王の後継者として扱わなければならないのだから、仕方が無い事なのかもしれないけれど。
でも、それならばそれで、常から優しくしてくれてもいいんじゃないかなあと思ったりもする。
シン以外のこのお城の騎士達やメイドさんは、私の存在を疑うどころか、逆に喜んでくれている。
私が彼らの立場だったならば、剣も何も使えない王の後継者ってどうよ、とか思う。
しかも、今までは王に後継者が居た事すら話題に出なかったらしいし、疑問を抱く筈だ。
けれど、彼らにとって、そんな些細な事は問題ではなかった様だ。
むしろ、私には隠れた力があるのだと信じて止まない様子だったし、王の秘蔵っ子として話も進んでいるみたいだった。
そんな上手い具合に何処でどう話を持って行ったのかは分からないけれど、それでもどうやら私が余程馬鹿な事でもしない限りは、このお城で生活していく分には、何も心配が要らなかった。
中でも、ラークさんお手製の香水は随分と効果がある様で、近くを通るだけで、皆には「高貴な香り」だの「さすが王様」など言われていた。
だから、私はでこぼこやりながらも、城内で何とかうまく生活している。
特に大きな問題は無い。
いや、無い筈だった。
「ねえ、シン」
今日も今日とて、頑張って剣術に励んでいた私。
鍛錬場を後にし、先に階段を昇るシンを後ろから呼べば、此方を一切振り向かないまま、「何だ」と言葉少なに返って来た。
そのぶっきら棒な言い方に若干むっとしたけれど、声を掛けても無視される事もよくある事を知っているので、それに比べればこれも幾分かマシな反応だと言える。
彼に対してムカつくのは変わらずだけれど、紛いなりにも剣術の指導教官をしてくれているのだから、それなりにコミュニケーションを図ろうと、私は毎日彼に話し掛けている。
その内容は、ほとんどその時に思いついた様な、どうでもいい物ばかり。
だから、実際はきちんとコミュニケーション出来ているのかどうかは分からない。
ましてや、彼のその時々の機嫌によって、返事は返してくれたりくれなかったりで、結局、仲が良くなったのかどうかも定かで無い。
だから今回も、私は女子高生として当たり前の会話を提示した。
特に他意はなかったし、ふと思いついたままの質問だった。
「好きな人って、居る?」
その問いに、シンは物凄く不快だと言わんばかりの顔をして、此方を振り返った。
普段から眉間に皺が寄っている人ではあるけれど、今はその三割り増しだ。
「人など好きにならん」
その皺を緩める事なく、吐き捨てる様に言われた言葉に、私はまたイラっとした。
あー、そうですか、そうですか。
人間など下等な生物は恋愛対象にはならないと言いたい訳ですね。
私の質問の仕方が悪かった訳ですね。
「じゃあ、好きな妖魔の女の子は居ますか」
どうもこの陰険男は、私の揚げ足を取る事が好きならしい。
ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うと、大概何かを言い返す。
それがたとえ、先程の様な簡単な質問であったとしても、だ。
けれど、ここでまた詰まらない文句を言っても埒が明かない。
内心は思い切り悪態をついてやったけれども、敢えてそれは口に出さなかった。
今日は疲れ過ぎていて、喧嘩をする気にもなれない。
すると、シンは小さく溜息を吐き、また前を向いて階段を昇り始めた。
「それがどうした、気でも触れたか」
此方を見る事なく、無愛想に言う。
そのつっけんどんな態度。
人を馬鹿にする言葉。
私は、面白くないと言った顔で、すぐさまシンに続ける。
「シンって不器用そうだから。
誰か好きになっても素直になれなかったり、或いはその自分の気持ちにも気付かなそうだよね」
それは、私なりに皮肉を込めて言った言葉だった。
彼のようにあからさまに嫌味を言わず、だからと言ってこのまま黙っておくのもストレスが溜まる気がしたので、私なりのちょっとした報復だった。
口が悪くて、短気で、糞真面目で、鈍感で。
きっと彼はその様な性格をしているのだろうから、華やかな色恋沙汰には無縁な筈。
そう思って、私は野次ってやったのだ。
すると、私の心の内が読めたのか、彼は「何だそれは」と常以上に不機嫌な声色で返してきた。
「俺は馬鹿に馬鹿扱いされる覚えはない」
私は、「そもそもシンがちゃんと質問に答えてくれないからじゃない」と、心の中で反論する。
シンは、他人の目の前以外では、私の事を嫌っているという態度を微塵も隠してくれない。
というより、本心から、必要最低限、私と関わり合いを持ちたくないらしかった。
その時、丁度階段の上から、薄羽のふわふわした真っ白なロール髪が見えた。
薄羽だ。
シンの不機嫌な口振りに宛てられて、己まで若干憮然としていた私だけれども、大好きな彼女の姿が見えたので、ちょっと嬉しくなって声を上げた。
「薄羽!」
薄羽は、少し天然な所がある綺麗なお姫様だ。
最初こそ「この子大丈夫かな」などと思っていたが、話せば本当に可愛らしい子だったので、今ではリッたんと同じくらいいい友達だと思っている。
「まあ、まあ、咲雪様」
張り切って呼びかけたので、薄羽もすぐに此方に気が付いてくれた。
今日は珍しく私の鍛錬に顔を出して来なかったので、何かあったのかなと心配していたのだが、その笑顔を見る分には、特段体調が悪い風でもない。
にこやかに笑う顔が、彼女は本当に美しい。
ラークさんもそれに張るくらい綺麗だけれども、薄羽の笑顔はまた一際違う。
敢えて言うなれば、花の蕾が綻んだ様な微笑みだった。
しかし、その笑顔に、私が手を大きく上げた瞬間。
此方へ寄って来る為、階段を下りて来ようとした薄羽の身体が、ぐらりと傾いた。
急な事に、私は「危ない」と声を出す事も出来ず、はっとして上げていた手を己の口に当てるだけだった。
見ていられなくて、思わず目も瞑ってしまった。
どうしよう。
私が声を掛けたせいで、薄羽が階段から落ちてしまう。
だが、予想していた大きな音は、聞こえてこなかった。
「大丈夫ですか、薄羽姫様」
代わりに聞こえて来たのは、ただ落ち着いているバリトンの声だった。
おずおずと目を開けてみれば、そこには薄羽を片手で抱き留めている、私の剣術の教官、シン。
彼が、落下する前に薄羽を見事にキャッチした様だった。
「ええ、ええ、大丈夫ですわ。
有り難う、シンヅァン」
「いえ、大事なくて良かった」
「あら、あら、大袈裟です」
慌てていたのはどうやら私だけだったようで、二人は淡々と話していた。
抱き留められた身体を少し正して、薄羽はにこりとシンに笑い掛ける。
「私だって、妖魔の端くれです」
「何を仰いますか。
薄羽姫様は立派な上級妖魔であり、私共が皆付き従う程の高貴な姫君でございます」
「まあ、まあ。
有り難う、シンヅァン」
薄羽の笑顔に、シンはやや伏せ目がちにして答えた。
勿論、彼のこんな騎士としての従順な台詞は、初めて聞いた訳じゃない。
お姫様に対しては、流石のシンも常に礼儀正しい言葉遣いをする。
シンだけじゃない、ラークさんやリッたんだってそうだ。
それはずっと前からの既知な事なので、今更分かった訳でもない。
けれど、何故だか私はその二人の雰囲気に圧倒されて、すぐに駆け寄って行く事が出来なかった。
シンは、私の剣術の指導をしていて、ただそれだけで。
だから、私が怪我をしそうになっても、大概は無視で。
まあ、初めて烏賊に挑んだ時はきちんと助けてくれたけれども。
それでも、薄羽の様に大事に抱えられる事は決してなく、ただの俵担ぎだった。
それこそ荷物でも扱う様な、そんな扱いだった。
その時の私は鎧を着ていたから大変な怪我をしないとか、薄羽はドレスだから受身も取れないだろうとか、そういう問題ではない筈。
そんな事など関係なく、きっと何か根本的な扱い方が違う気がする。
何だかその違いが、妙に胸に引っ掛かった。
だって、言葉遣いだけならもう慣れていたけれど、人当たりまでこんなに違うだなんて。
ここまで差を付けられるだなんて。
私は、一体何なのだろう。
人間って、そんなに駄目な生き物なのだろうか。
怪我しようが、死んでしまおうが、全く意に介さない程度のものなのだろうか。
シンにとって、私は本気で邪魔な存在なのだろうか。
その事実が、やけに私の中で響く。
薄羽は、可愛くて美人だ。
それでもって、凄く優しい。
私なんかにも本当に良くしてくれるし、どんなに下位の妖魔に対しても絶対に卑下に扱ったりしない。
しかも、この城の中で一番優しい心を持った妖魔だとも言われているらしい。
だから、色んな人に愛されて、シンにも愛されて…。
…シンにも、愛されて?
そこまで考えが行き着いて、私ははたと思考を止めた。
目の前では、もうシンから体を離し、此方を見ている薄羽。
けれど、未だ薄羽を心配そうに見詰めている、シン。
薄羽は好き。
凄く好き。
だけど、シンに労わる様な眼差しを向けられている薄羽の笑顔に、不思議と胸がちくりと痛んだ。
TO BE CONTINUED.
2007.06.03
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