それは、昨夜の事。
「今日より、咲雪様をこの城の後継者として扱います」
ラーク様の執務室で、シンヅァン様と私は、この城の今後の政策とその留意点を聞いていた。
その時の我が上司であるシンヅァン様は、苛々とした感情を一切隠す事無く、無言で腕を組んでいた。
そんな上司の横顔を見ながら、私も内心どうしたものかと考える。
あの可愛らしい女性を、この城の後継者に?
何故、彼女にその様な大きな負担を?
勿論その「後継者」という身分も、ただの偽り事だと分かっている。
それでも、あのぱっちりとした眼に、意志の強そうな整った眉。
つんとした小さな鼻に、柔らかそうな杏色した唇。
何より、とても滑々としていて、妖魔としての性を掻き立てられる様なあの肌を持った彼女に、もしもの事があったとしたら…。
そこまで考えて、私は生まれて初めて抱いたその感情に戸惑いを覚えた。
嗚呼。
もしかしたら私は、これからこの城を統治しようとしているその人間の女性に、恋という物をしてしまったのかもしれない。
Just Marriage
012/最初のお友達
暖かい日が差し込む、ガラス貼りのコンサバトリー。
その中で薄羽という天然お姫様と話をしていたら、突然後ろから話し掛けられた。
声がした方を振り向けば、其処にはカーキにも近い緑色の髪をした男の子が一人立っていた。
その顔を見て、私は「ああ、最初にシン何とかって奴と一緒に居た子だ」と、昨日の事を思い出した。
年は、多分私と同じくらいだと思う。
身長は私より幾分か高い様だけれど、百八十センチはありそうなラークさん達に比べれば、まだまだ発展途上というところか。
何より、折り目正しくお辞儀をし、顔を上げた際に見えたくりくりとしている焦茶色の瞳には、「男の子なのに、まるで犬みたいに可愛いなあ」等と思ってしまった。
けれど、身体付きは十分に成人男性らしかった。
腰元に挿している短剣二つを普段から使っているのだろうか、しっかりと鍛えられている。
胸には薄茶色の簡素な鎧を付け、腕には黒い籠手とベルトがぐるぐると巻いてある。
完全武装といった訳ではないけれど、それでも一見しただけで、明らかに騎士だと分かる服装だ。
しかし、その男の子の名前がすぐに出て来なかった為、私は人差し指を立てて前後に振りながら、目線を宙にやって独り言を言った。
「あー、えーっと」
確かリットンだかリプトンだか、そんな名前を言っていた様な記憶はある。
この世界の人達は、皆日本人離れした名前ばかりだから、どうも一発で覚える事が出来ない。
特に、シン何とかって男の人は、物凄く長い名前だった様な気さえする。
すると、その男の子が「リッターです、咲雪様」と、すぐさま名乗ってくれた。
頬をほんのり赤らめながら喋る様が、異性だというのに何とも可愛らしい。
そういえば、昨日も「瞬間湯沸かし器みたいだ」って思ったんだっけ。
彼は極度の照れ性とか上がり性とか、そういった性なのかもしれない。
「ああ、そうだ。
リッター君だったね」
名乗られた名前に納得した様に言い返せば、またその子は一段と顔を赤くして、「はい」と一言だけ言った。
けれど、何々だろう。
その余りに酷くなっていく赤い顔に、「そんなに緊張するほど私の事…、乃至は人間が嫌いなのだろうか」と、逆に寂しくなってきた。
「ご機嫌麗しゅう、リッター。
今日は何の御用でしょうか」
薄羽がのんびりとした口調で言って、優しい笑顔と共にリッター君の前に出た。
また軽く礼をしながら、リッター君も口を開く。
「はい、咲雪様を捜しておりました」
「あら、あら、そうなのですか」
リッター君の説明に、薄羽は何やら納得したのか、「それでは咲雪様、また後程」と、早々にこの場を切り上げようとした。
出会った時の様にスカートの裾を指で摘み、お姫様らしいお辞儀をする薄羽。
そして、ふわふわしたスカートを揺らしながら、まだ奥に続いているらしいお花達の中へと消えていく。
私は、「二人きりにしないで」と薄羽を引き止めようとした。
だって、何だか気まずいじゃないか。
ラークさんや薄羽からは人間に対する敵意は見えないけれど、このリッター君の緊張っぷりや不自然なものがある。
シン何とかという人同様、余程嫌悪する何かがあるのかもしれない。
それなのに、気が付いた時には薄羽の姿は見えなくなっていた。
結局、気まずいリッター君と二人きりになってしまった。
「えーと、何かあったの?」
薄羽が居なくなり、仕方が無いので彼に向き合ってみる。
緑髪の男の子リッター君は、「は、はい」と、僅かにどもって返事をした。
それから、「これを、咲雪様に」と、後ろ手に持っていたらしい一メートル程ある大きな剣を手渡してくれた。
その剣は、柄に高級そうな茶色の皮が巻かれており、剣格には銀で出来た薔薇とその蔦の細工が絡まる様に取り付けられていた。
おずおずと鞘から引き抜いてみる。
すると、刃先にまで繊細な薔薇の絵が刻まれているのが分かった。
凄い。
単純に、そう思った。
これも一種の芸術品だ。
けれど、初めて見る本物の剣に、私の身体は強張ってしまった。
「…何、これ」
「はい、咲雪様がお使いになられる剣です。
急遽、咲雪様用に作らせました」
「別に要らないのに」
「しかし、今日より早速剣術の稽古も始まる様ですし」
剣術自体に余り乗り気ではなかったが、「そういえば、シン何とかが剣術のお稽古の先生だとか言っていたな」と、ぼんやりラークさんの言葉を思い出した。
剣をまじまじと見てみる。
今日から、これを使ってチャンバラごっこをしないといけないのか。
しかも、その稽古を付けてくれるらしい相手は、あのシン何とかという憎らしい男だ。
これからまた嫌味やら何やら腹が立つ事ばかりを言われなければならないのかと思うと、げんなりしてしまう。
「私、こんな大きいの、嫌だなあ」
「は、そうですか?」
「何だか重たいし、腕が振り回されそうだし」
「大丈夫です、すぐに慣れますよ」
「しかも、剣道とかフェンシングとか、そういうのもやった事ないし」
文句がいの一番に出てきてしまった。
けれど、リッター君に渡された剣に付いている飾り細工はとても凝っていて、一見すれば可愛い様な格好いい様な、どちらかと言えば好ましい類だ。
ただの芸術品としてのプレゼントなら、もっと喜べたかもしれない。
しかし私は、実際にこれを振り回さなければならないのだ。
生まれてこの方剣など持った事が無い私からすれば、その腰にくる様な剣の重さは、煩わしい以外何物でもない。
手にした瞬間、ずしりとした負荷が全身にかかるし、果たしてこんな物をどう扱えばいいのか全く分からない。
いや、むしろこんな物を振り上げたら、自分の腕がすぽんと抜けてしまいそうだ。
「もっと軽いのとかがあればいいんだけど」
「でしたら、作り直させましょうか」
「いや、折角作ってくれたんだし、これでいいんだけど…」
「そう、ですか?」
「でも、あわよくば、その剣のお稽古自体を無くしたい」
ぶつくさと返せば、目の前に居たリッター君は、少し困った顔で笑ってくれた。
その時の、眉毛をへにゃりと下に下げ、首も僅かに左に曲げて笑む様は、女の私から見てもとても可愛らしい事この上無い。
とても好感が持てる。
「リッター君ってさ」
何だか変に嬉しくなって、不意に雑談がしたくなった。
緊張し過ぎて真っ赤になるほど私の事を嫌っているのかと思いきや、こうやってきちんと会話をしてみれば、そうでもないような気がしてきた。
まあ、内心では本当の所どう思っているのか分からないけれど、それでもあのシン何とかって男に比べたら、全くもって月とスッポンだ。
このリッター君は、先程まで一緒に居た薄羽の、「美しい」とか「可憐」とか、そういった高貴な言葉が似合う系統ではない。
どうも庶民的な、むしろ懐かしいとも言える様な可愛さと親しみ易さを持っている。
だから私は、余計にこの男の子が気に入ってしまった。
此処がもし日本だったならば、商店街のおばちゃん達に可愛がられるタイプだろう。
或いは、近所に住む色気むんむんのお姉さん達とか。
「女の子にもてるでしょ」
年上女性の心を鷲掴みにでもしそうなその笑顔に、私がからかう様に言ってやる。
すると、「そんな事は!」と、彼は昨日の様に一度に顔全部を真っ赤にして、大きく首を振って否定した。
「でも、もてそうだし」
「そ、そんな事はありません!」
「嘘。
可愛いとか、結構言われた事あるでしょ?」
「は?
か、可愛い、ですか?」
「うん、そう。
リッター君て、可愛いわね、とかって」
にやにやして続ければ、もうこれ以上どうやって顔を赤くするのだろうという程に赤面して、「滅相も無いです」と反論するリッター君。
どうしよう、本当に可愛い。
面白い。
彼のつんつんした緑の髪は、よく見れば濃い緑と薄い緑のツートンカラーで、時折動いた際に見えた中の方の毛は、また一段と濃い色になっていた。
染めているのだろうか。
そうだとしたら、意外にお洒落な子なのかもしれない。
「でも、本当に可愛いもん、リッター君」
「そ、そんな、咲雪様」
「ああ、そういえば此処に来てからずっと思ってたんだけど。
その様付けとかって、どうにかならないのかな」
「…は?」
もうどう反応していいのか分からなくなっているリッター君に、とりあえず手渡された剣を鞘に戻し、自分の腰元に挿そうとしながら、私は言った。
でも、剣を腰に挿した事などない私は、その剣もすとんと地面に落としてしまう。
「何かさ、私、様付けなんてされた事ないんだよね。
だから、せめてリッター君くらい、私の事を咲雪って呼んでよ」
「え、そ、それは」
「どうせ年も私と近いんでしょ。
だったらいいじゃん」
「いえ、しかし」
先程、薄羽に言われた言葉を、逆にリッター君に言ってみる。
私は、余りに綺麗な薄羽を呼び捨てにするのは、おこがましい事だと思った。
では、リッター君は、何で私を呼び捨て出来ないのだろうか。
仮初だとしても、一応私が王様だからだろうか。
けれど、皆に様付けされるだなんて、そもそもの私のキャラではない。
薔薇の香水だとか、豪奢な剣だとか、何もかもが私らしくない。
それならせめて、この年の近そうな男の子に、もう少し親しみを込めて呼んで欲しい、と思った。
私が居た世界を思い起こさせるような、同年代の友達が欲しい。
たとえそれが、偽物なのだとしても。
何より、この男の子は、すでに私の正体を知っている訳だし、何も支障はない筈だ。
皆が皆、他人行儀だなんて寂しいじゃないか。
自分らしくないものばかりで固められるだけではなく、私だけが蚊帳の外だなんて。
そういえば、昨日不法侵入してきた蝙蝠男は、私の事を「イッキーサッキーウッキー」と、訳の分からない呼び方をしていたっけ。
でも、あれはあだ名とはちょっと違うかな。
向こうが勝手に言ってただけだし、私は彼の事を何も知らない訳だし。
「咲雪が駄目なら、サユとか、サキとか、さっちゃんとか、そういうあだ名でもいいから。
私、高校でもよくそう呼ばれてたし」
リッター君が色好い返事をしてくれないので、更なる提案をしてみた。
やはり、駄目なのだろうか。
この子も、人間なんて仲良く出来ないと思っているのだろうか。
金属がぶつかる音を立てて落ちてしまった剣。
それに気が付いたリッター君は、すぐさま腰を屈めて取ってくれようとしたけれど、それを制し、私は自分で剣を拾った。
腰に挿す事は諦めた。
手で一度抱え直し、もう片方の空いた手で、リッター君の手を握る。
「ね、私達、お友達になろうよ」
駄目元かな、と思った。
やはり嫌われてるのかな、と思った。
年の近い、というより、やっと「親しみ易い」と感じられる妖魔の子に会えたと思ったのだけれど。
シン何とかっていう嫌味野郎は私の事を毛嫌いしていたけれど、このリッター君はおそらく大丈夫だろう、と。
むしろ、私なんかとでも「種族」とか「人種」とか関係なく仲良くしてくれるかも、なんて期待した。
しかし、そう思ったのも束の間だった。
手を握ったと同時、リッター君はびくりと肩を大きく揺らして、可哀想なくらい大きな反応をしたのだ。
「あっ、ご、御免。
触られるの、嫌だったかな」
やっぱり妖魔は皆、人間が嫌なんだ。
そう咄嗟に判断した私は、すぐにその手を離した。
悪い事をしたのかもしれない。
それとも、身の程知らずという奴だろうか。
私の勝手な期待と思い違いで、気安く触れてしまったリッター君の手。
その手は、ほんの一瞬しか触っていないけれど、若干硬くごつごつしていて、流石男の子といった感じだった。
だが、急に離れたその手に少し驚いた様な顔をしたリッター君は、はっとした表情で私の顔を見た。
その面付きに、何かあったのかと私も同じ様にびっくりすれば、彼は一度離された私の手を、ぎゅっと両手で握ってきた。
「さ、サキ様と!」
「…は?」
「サキ様と、そう呼ばせて下さい!」
手を握ったまま、彼は物凄い勢いで私に言った。
その時の彼といったらまるで叫ぶ様に大きな声だったので、私は思わず一歩後ずさりしてしまいそうになった。
何をそんなに一生懸命になっているのだろうか。
そんな事は分からないけれど、リッター君の頬は相変わらず真っ赤で、それがやっぱり可愛くて、私は小さく笑いを零して返した。
「リッター君、様は要らないよ」
「し、しかし、サキ様はこのお城の後継者ですから」
「じゃあ、二人きりの時くらい、様は外して」
「い、いえ、その様な事をしては、いつその癖が出るか分かりませんし」
きゅっと強く手を握られたまま、私は笑いながらお願いした。
でも、当のリッター君は根がかちこちに真面目なのか、断固として様付けを譲る風も無い。
「うーん、分かった」
意外にも頑固な彼に、仕様がないので、私も譲歩して諦めた。
まあ、様付けとはいえ、辛うじてあだ名っぽいかもしれない。
友達っぽいかもしれない。
こうやってあだ名で呼び合う相手が出来た事が、純粋に嬉しい。
ほんのちょっとした事だけど、やけに嬉しい。
正直、人間外らしい美形な集団に囲まれて、これからどうしたものかと思っていた。
親しみが湧くタイプは、一人として居なかった。
だから、こういう気の合いそうな、少なくとも年が近い子と話が出来た事は、逆に新鮮だった。
確かに、ラークさんや薄羽達は目の保養になる。
見ていて飽きない。
だから、ラークさんや薄羽が駄目だとか、そういう訳ではないのだ。
ただ、私の中での位置付けの問題だ。
ラークさんは優しいお兄ちゃんみたいな感じだし、薄羽も癒されこそしそうだけれど、その高貴さが邪魔をして、好ましくはあっても親しみまでは持てない。
何より、あの完璧なまでの美貌は罪だと思う。
だから、たまにはこうやって気の置けない様な人とも一緒に居たい。
まあ、厳密に言えば、リッター君も美形集団の中に十二分に入る。
けれど、それとこれとはまた少し違う気もする。
ほっとした様にリッター君が笑った。
これで、今度こそ友達だ。
「じゃあ宜しくね、リッたん」
初めて出来たそのお友達に、私は出来る限りの笑顔を貼り付けて、彼と同じ様に両手で握手した。
まだぎこちない感じはあったけれど、その距離感はこれから縮めていく事が出来たらいいなと思う。
しかし、当の彼は、「りったん?」と、聞き慣れない言葉を聞いたかの様に困惑した表情を浮かべた。
私は、「リッターだから、リッたんね」と説明を付け加える。
それに、彼は「ああ」と、声に出さずに納得した。
その時の彼の顔は、女の子の私がいじらしくなるくらい、やっぱり最高に可愛かった。
TO BE CONTINUED.
2007.05.19
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