妖魔というものはね、どんな生物よりも優れている生き物なんだ。
だからこそ、絶対に欠かせない掟三箇条というものもある。
それらを統合して、その妖魔の格が決まるのさ。

まず、他を魅了する美貌。
他を威圧する力。
他に屈しない誇り。

この内、たった一つでも欠けてしまえば、それはすでに妖魔であって妖魔では無い。
下級妖魔。
要は、ただの落ち零れになってしまうんだよ。

勿論この僕も、それらをちゃーんと備えている、エリート妖魔。
いわゆる、上級妖魔に当たるんだけどね。

だから、人間の一人や二人くらい、ちょっと細工をしただけで、虜にさせてしまうのも訳無いよ。

Just Marriage
008/let's make a love!

大きなベッドのスプリングが、また軋んだ。
蝙蝠の妖魔らしい変な男が、ずずいと私に寄って来る。

そのせいで、近くなるその男の顔とか、匂いとか。
先程までは離れていて余り分からなかったけれど、その男からはちょっと派手で妖艶で、何処か東洋エキゾチックなオリエンタル系の香りがした。

嫌だ、もう。
頭がくらくらする。

視線はその男から離せない。
瞬きすらするのを忘れて、ただじっと見詰める事しか出来なかった。

何だか極上に甘くて危険な毒にでも侵された様に、身体は芯からじんじん疼いた。
心臓も馬鹿みたいにばくばく言っちゃって、このままでは一生分の心拍数をオーバーしてしまうのではないかとさえ思った。



「サッキーって、よく見たらそれなりに可愛いよね。
年も若いみたいだし、お肌もプリプリだ」

唇が触れるか触れないかの距離まで追い詰められて、男は目を細めて笑った。

ゆっくりと頬を撫で、擽るように耳たぶの裏まで移動する、彼の黒い扇子。
そのままゆっくりと下へと落ちていって、首筋を何度も行ったり来たり往復した。
その動きがまるで、首筋にある何かを確認している様にも思えて、危険を察知した私の中の本能は、ざわざわと騒ぎ始めた。

嫌だ、嫌だ。
嫌なのに。

まるで魔法だ。
催眠術だ。

何も出来ない。
ただじっとしているしかない。
彼を、甘んじて受け入れるしかない。

「ラークもいけない事をするよね。
予想外な事だったから、ちょっとビックリしちゃったよ」

ゆっくりと、本当に凄くゆっくりと、焦らす様に身体を寄せて来るその男。
何か言い返したくても、私の口はうまく動かなくて、ただ黙って見詰め返す事しか出来ない。

「けど、日本人にしたってチョイスが素晴らしい。
あいつも結構、見る目があるのかもしれないね」

するすると、扇子の先端は私の制服のシャツの中へと潜り込む。
身体は、大袈裟なくらいにびくりと強く強張った。

それが可笑しかったのか、目の前の男はまたちょっと嬉しそうに八重歯を覗かせて妖艶に笑う。

「敏感なんだね」

からかう様に言って、とんと肩を押される。
私の体は、簡単にシーツの上に倒された。
男は覆い被さる様な、むしろマウントポジションともいえる体勢で、私をじっと見下ろしてくる。
その不敵に細められた目は、獣とかハンターとか、そんな獰猛なもの以外の何物でも無かった。

ぷちぷちと、存外優しく外されていく、私のカッターブラウスの釦。
一つ、また一つと下に下っていけば、当たり前の様に私の身体は剥き出しになっていった。
本当は抵抗したくて仕様が無いのに、隠れた心の何処かでは、この男に無茶苦茶にされたいという想いも燻っている。
むしろ、どちらかといえばその欲求の方が大きくて、身体は全く言う事をきかなかった。

全ての釦を外されれば、私の地肌と胸を隠す下着が姿を現した。
ひやりと直接身体に触れた冷たい空気は、妙に官能的で、けれど酷く現実的だった。

嫌だ、嫌だ、嫌だ。
このままじゃ、私、本当に食べられちゃう。
…それに今日のブラ、余り可愛いやつじゃなかった気もするし。

そうちぐはぐな事を考えながら、私は火照った身体をそのままに、今朝の記憶を辿っていた。

確かに今日身に付けているのは、近くのスーパーで千九百円だった黄色いブラと、セールの時、三つで九百八十円になっていた花柄のパンツだ。
最近は彼氏も居なかったから、別に一々お洒落する程でも無いしなあと、然して見栄えもしない適当な物を付けていたのだ。

危険百二十パーセントな状況下で、今朝の選択を今更ながら後悔していると、扇子をまた懐に収めた男が、今度は直に私の肌に手を滑らせてきた。
大きな逞しい手で脇腹をゆっくりと撫でられれば、扇子の時とは比べ物にならない程に下半身がキュンと疼く。
首筋をゆったりと舐める様に触られれば、じんと目頭が熱くなって、涙が滲み出そうにさえなった。

そんな私を相変わらず愉快そうに見詰める男は、ほんの少しだけ体勢を崩して、今度は太股に手を伸ばしてきた。
今私が履いている学校のスカートは、規定の長さより十数センチも短く切られているので、その男の指もすぐに一番の目的地に到達する。
布越しとはいえ、何だか妙に疼くその場所に男の指先が触れた瞬間、私の全身には、びりびりと痺れる電気が走った。
そればかりか、自分でも驚く程に悩ましげな声を上げてしまった。

「や、やっ」

嫌だ、嫌だ。
もう本当、恐いのか、恥ずかしいのか、嬉しいのか、悲しいのか。
何が何だか分からない。

あられもない声を出してしまって、背までぴくんと跳ねて反応してしまって。
先程から全く纏まらない思考回路に、私は益々困惑していった。

いつもの私なら、この様な強姦紛いな事をする男なんて思い切り引っ叩いて、何処か遠くへ逃げ出している筈だ。
一発、蹴りをお見舞いしてもいい。

けれど、今の私は、相変わらず眼前の男から目が離せない。
身体の何処かが、この人自身を欲しがっている。
相反する心と身体に、全てがばらばらになっていく。

色々と葛藤している私を他所に、男は、私の鎖骨に強く口付けてきた。
ボリュームのある唇でちゅうっと強く吸われれば、下半身を中心にどくどくと熱が回り、腰がびくびくと反応した。
恐怖からか、手もかたかた小刻みに震えたけれど、それに気が付いた男にその手すら強く握られる。
今度こそ、私は泣き出しそうになった。

でもそれは悲しくて涙が出るのでは決してなくて、その男の事が妙に恋しくて、愛しくて、貪欲に彼自身を求める心が強くなり過ぎて。
恐れと綯い交ぜになって溢れてくる不思議と切なく疼く心に、欲望に、涙が出そうになったのだ。

何だ、もう。
訳が分からない。

どうして私は、こんなにもこの男に惹かれるのだろう。

「咲雪様」

その時、扉の向こうからテノールの優しい声がした。
その声のした方に男が目を逸らした瞬間、急に私の身体も軽くなった。
何だか魔法が解けたみたいだ。
血液の流れる音が聞こえる程に昂ぶっていた全身も、まるで冷や水を掛けられた様に冷めてしまった。

私は、思い切りその男を突き飛ばそうと、手と足に力を入れて起き上がった。
今だ。
今しかない。
逃げるなら、今を逃す訳にはいかない。

けれど、その時にはすでにもうその男は私の上から避けていた。
瞬間ワープでもしたのだろうか、窓の傍まで移動している。

「邪魔が来たから、仕様が無いね。
じゃ、また」

驚いて呆然としてしまった私にそう言い、男は窓に足を掛け、事もあろうかそのまま窓から飛び降りた。
私は、たまげた余り悲鳴を上げる暇もなかった。
身動ぎする余裕もなかった。

ふと我に返った瞬間、窓から飛び降りたその男の顛末が脳裏を過ぎった。

もしかして彼は、地面に打ち付けられ、ぺちゃんこになっていないだろうか。
内蔵を全て散らして、グロテスクな事になっていないだろうか。

そうだとしたら、私は彼の自殺の目撃者なのだろうか。

今度こそ悲鳴を上げる番だった。
だが、私が声を発するより、部屋の扉が開けられる方が幾分か早かった。
中途半端に大口を開け、奇声が発せられる寸前にガチャリという音が聞こえたのだ。

振り返れば、そこには少しだけ驚いた表情をしたラークさんが、片手に小さな小瓶を持って立っていた。
彼が驚くのも仕方がない事だった。
だって、今の私はベッドで腰を抜かして、馬鹿みたいにあんぐりと口を開けている。
それだけなら未だしも、露出狂宜しく、結構とんでもない格好をしているのだから。

「ら、ラークさん」

私は、間抜け面をそのままに、扉の前で立ち尽くしているその人の名前を呼んだ。
すると、緊張していた糸もぷつりと切れてしまって、もう一度その名前を呼ぼうとした時には、へなへなと身体がベッドに沈んでしまった。

ラークさんが、慌てて近くまで駆け寄ってくれる。

「大丈夫ですか」

そう言って、半裸で肌蹴てしまったシャツを、そっと私に掛けてくれた。

その声と手付きが余りに優しかったものだから、私は思わずラークさんに抱き付いた。
でも、ラークさんは私を払い避ける事もなく、「申し訳ありません」と何故だか謝りながら、背中にゆっくりと手を回し、頭を撫でてあやしてくれた。

ラークさんの腕の中はほんのりと温かくて、柔らかかった。
猫のようだ。
そう安心していると、今度は急激に目蓋が重たくなってきた。
それには、抗う事なく素直に従ってしまった。

目を閉じて、夢の中へと入り込んでいく。
その時、ふと昔の淡い記憶が思い出された。

まだ私が一人で何も出来ない程に小さかった頃、嫌な事があった度に決まって強く背中を押してくれていたお母さん。
傷付き、涙を流す私を抱き締めて、背中を優しく撫でてくれていたお父さん。

家が恋しい。
やっぱりこんな所、帰りたい。
こんなもの、おかしな夢を見ているとしか言い様が無い。
怖い事ばかりだ。

懐かしい温もりに包まれて、一人心の中で思う。
無性にお父さんに会いたくもなった。

まどろみの中、ぼんやりとしたまま「お父さん」と呟いてみる。
すると、私を抱いていた大きな腕の力も、ほんの少しだけ強くなった気がした。





TO BE CONTINUED.

2007.05.06


[Back]