目眩を覚えた。
今まで何度となく頭を抱える事はあったが、これ以上に心身共に負担に思った事は久方ぶりだった。

頭も痛い。
特に、眉間の辺りが酷く疼く。
これからの苦労を考えたら、それだけで気絶しそうな程に、強く、強く。

Just Marriage
006/否応無く

「何がこれからの話だ。
お前」

随分とふざけた話を。

そう思いながら、けれど心の片隅では妙な不安を感じつつ返した。
それに旧友は「もう咲雪様を向こうの世界に連れ帰る事は出来ないよ」と、何食わぬ顔で俺の言葉を遮った。

ある程度予想してはいたものの、こうもはっきりと言われてしまうと、此方にももう少し心の準備が要るというものだ。
仕舞いには、「移動手段である麒麟はもう解放してしまったし、また捕まえるのも骨を折る。何なら君が探して来てくれるかい」だなんて言いのけた。

その飄々とした物言いに、言いたかった言葉もつい飲み込んでしまう。
喉の奥ではぐっと何かが込み上げたが、それもすぐに消化される事なく消えていった。
否、消すしかなかった。

昔から思っていた事だが、全くもってこの『ラーク』という友は、何処までも策士な奴だった。
或いは、本当は常に何も考えていないだけなのか。

その定かな所は誰も知る由もないが、おそらく前者の方が可能性は色濃い。
なぜならば、自分には数え切れないほどに「謀られた」と思った件があるからだ。

だが、それほどまでにこの男が策略家なのだとしたら、今更とはいえ、本当に食わせ物だと思う。
腹の中では何を考えているか分からない。
何がしたいのかも見当が付かない。
今回も多分にこの国の事を考えてこその行動だろうが、それにしてもこの現状は余りにも不可解だ。

先程この友が言った様に、この目の前の娘を元居た場所に戻すには『麒麟』が必要になる。
麒麟とは、空間を越える事が出来る唯一の生き物だ。
おそらくラークがこの娘を此方に連れて来たのも、奴が麒麟を何らかの手段で捕まえて空間移動したのだろう。

だが、その麒麟はなかなか姿を現さない事で有名な生き物だ。
子供と甘い菓子類が好きだという噂があるにはあるが、それらを用意して構えて居たとて簡単に見付からないのだから、勿論、捕獲出来るものでもない。

その上、麒麟はこの世に一匹しか居ない生き物で、希少生物でもあるのだ。
姿形は子馬の様だと聞いた事があるが、実際自分の目で確かめた事がないのだから、俺自身もはっきりした事は言えない。
それ程までに貴重、且つ珍しい生き物なのだ。

その生き物を奴がどうやって捕まえただなんて、今は聞く気も起きなかった。
そんな事を聞いたとて、うまくはぐらかされて終わりだという事が分かっていたからだ。

ここで簡単に俺に教えてしまえば、俺がこの娘をさっさと送り返す事まで奴は計算しているのだろうから。
だからこそ、出来る筈もない、「君が麒麟を探してきてくれるかい」という底意地の悪い言葉まで吐いたのだろう。

俺は嘆息した。

「俺には執務がある。
お前も然り、暇じゃない筈だ。
他の者に頼むにしても、そんな大事を成し遂げる事が出来る奴が居るとも思えない」
「そうなんだよ、シン。
あれを捕まえるのはかなりの手足れじゃないと無理だろうし、けれど今この城は人材不足だ。
つまり、だ。
この城が落ち着いた後でないと、誰も咲雪様を元の世界に連れ帰る事が出来ないんだよ」

わざと神妙なトーンで説明するラーク。

何が、「手足れでないと無理だろう」だ。
実際、そうなんだろう。
俺は、一人言ちた。

その時、俺達の会話を黙って聞いていたらしいみすぼらしい人間が、突然「ええっ」と声を上げた。
その間抜け面と言ったら、本当に脳味噌が頭の中に詰まっているのかと確認したくなる程に、見っとも無い事この上なかった。

「心配なさらないで下さいね、咲雪様」

ラークは、すぐに応対した。

「この城が落ち着き次第、必ずやお送り致しますから」

まるで本当にその娘を労っているかの様な優しい目つきに、こちらまで苛々させられる。
何故こんな人間に我ら妖魔が気を遣わなければならないのだというのだ。
普通は、逆だろう。

俺は、ラークの言葉にぼそりと小さな声で零した。

「こんな小娘、その辺に捨て置けばいいだろう」

どうせ人間の小娘には聞こえないと思っていた。
聞こえたとしても、意味が分からないだろうとも思っていた。

しかし、「何ですってえっ」と、思いのほか早い反応が返って来た。
想像していたより耳がいいだけでなく、威勢もそこそこあるらしい。
勿論、身の程知らずが吠えているだけではあるだろうが。

俺は、ふとその人間を観察してみた。

不自然に茶色に脱色して染め上げている髪は、肩よりやや長めだ。
双眼は奥二重だが、小さくはない。
何処か意志の強そうな…、否、生意気そうな瞳だ。
鼻と唇は比較的小さく、肌の色は黄色で、推測するにアジア人なのだろう。

年はまだ十半ばを過ぎて、二十まではいかない筈だ。
見た目の年だけを言うと、自分の部下であるリッターと変わらない程度だろう。

しかし、そのどれを取っても、然して印象強い顔立ちをしている訳ではなかった。
妖魔世界の中では埋もれる程度の容姿で、ましてや人間世界でも何処にでも居るくらいだろう。
実際、この人間の住んでいる国に行けば、この類の顔など腐る程居る筈だ。

それに、発育は女のくせに然程よろしくないのか、全体的に細身なようだ。
唯一声色と纏っている衣装で「女だ」と分かる程度だ。
どちらかと言うと「少女」と言うより「幼き少年」にも見えるが。

だが、物の数ではない剣幕で怒鳴り声を上げる様など、知れたものだ。
いかに知恵のない存在かどうかを自ら知らしめているようだ。

「喧しい人間だ。
そもそも、お前がこんな厄介な物を連れて来るから、更に面倒な事になるのだ」

ラークに向かって言えば、代わりに人間が噛み付いてくる。

「厄介とは何よ、厄介とは」
「厄介以外、何者でもないだろう。
まさか自分が此処の役に立つ存在だとでも思っているのか?」
「はあ?
私は急に此処に連れて来られただけなんですけど。
何で貴方にそこまで言われなきゃならない訳?」

やんややんやと煩い下等生物だ。
余程口が減らないのか、何を言っても言い返そうとしてくる。

それにまた何か言ってやろうとすると、すぐさまラークが間に入って来た。

「まあまあ、二人共」

嗜めるように言って、更に続ける。

「無理矢理連れて来てしまったのは私なんだし、無碍な事は出来ないよ。
咲雪様は、丁重に扱うべきだ。
まあ、帰還の件は、また今度でも話そう。
咲雪様も、今はこれからの話をしていきましょうね」

ラークは俺と人間に対して、やや違う言葉遣いをした。

この旧友は普段、誰に対してでも敬語を遣う。
だが、長い付き合いになる俺の前でだけは、割と砕けた口調になるきらいがある。

「う…、ま、まあね」

奴の一言で、人間はすぐに大人しくなった。

それにまた、理由の分からぬ苛立ちを感じる。
だからといって、此処でまた蒸し返す程、俺も馬鹿ではなかった。

「ふん、好きにしろ」

そうは言っても、自分でも正直驚く程にこの人間に不興な思いを感じて仕方がなかった。

此処まで不快感を感じさせる生き物も珍しい。
大して何もしていない、ただ此処に存在するというだけで、どうしようもなく苛々させられる。
同じ空気を吸っていると思うだけで嫌気が差す。

まあ、そうは言っても、これから先この人間が帰る時まで一切関わらなければいいだけなのかもしれない。
極力接点を持たないようにし、極力会わないようにする。
そうすれば、幾分か増しな筈だ。

そう言い聞かせ、俺は脳内で渋々今後のプランを立てた。
頭痛の種は、少しでも減らしておきたい。
ただでさえこの城は大きな問題を抱えているというのに、これ以上の心配の素に手を焼いていられないからだ。

たとえば、ラークが言うように、この人間が城を統治する事になったとしても。
俺は、一切関わらなければいいだけだ。
そうすれば、被害がくる事は然してないだろう。
遠目で見聞きするだけなら、憤りも感じずに済む筈だ。

しかし、そのすぐ後にラークから出て来た言葉に、俺は瞠目した。

「そこで、早速だけどお願いがあるんだよ、シン」

俺は、過去、ラークに齎された数々の「お願い」とやらを思い返してみた。

このタイミングでこの「お願い」は、危険だ。
恐らく、それは間違いなく。

随分と覚えのある嫌な予感があった。
昔の出来事が全てフラッシュバックする。
勿論、いい思い出など、ほとんどない。

「聞きたくない」

一瞬眩暈を覚えたが、どうにか反論した。
ラークがすかさず返して来る。

「でも、言わないと話にならないよ」

悪びれる風もなく、さも自分には何も非がないように言う旧友、ラーク。
返答をする気も起きず黙って居ると、更に続ける。

「困ったなあ。
他に頼む相手も居ないし、君にしか出来ない事だったんだけど」

聞く事すらも拒否すると、わざとらしく頬杖をつき、いかにもな「困った顔」を見せて来る男。

こいつは、謀るつもりだ。
俺を騙くらかして、いい様に動かそうとしている。

だが、それすらも拒否すれば、またしても俺が否応無く承諾してしまう様な嫌な事がついて回るに決まっている。
たとえば、この人間の存在を皆に知らせる、だとか。
城の現状を明かしてしまおう、とか。

そんな事をすれば、城内だけでなく城下も派手に騒ぐだろうし、それを俺が懸念するのは分かりきっている筈だ。
勿論、ラーク自身も被害を被るだろう。

しかし、奴の事だ。
自分だけうまく難を逃れるか、或いはそれを楽しむ方法でもあるのだろう。

全くもって、面倒な友人を持ってしまった。

「何だ、もうさっさと言え」

俺は、こんな奴と友であった事をつくづく恨んだ。
この城に仕えた事も後悔した。

胃が痛い。
頭痛が激しい。
先程まで「赤字」だの「後継者が居ない」だのどうだのと悩んでいたが、それすらも全て軽いものに思えてきた。

どうしてこいつは自ら厄介な物ばかりを連れて来るのだろうか。
そのどれもが最終的にはうまくいっているとしても、余りにも負担が多過ぎるものばかりだ。

今回の事もそうだ。
仮にうまくいく予定だとしても、人間の、しかも、しがない小娘にこの城総括の後継者など。
つまりは、王に仕立て上げるだなんて、どうかしている。

そうは言っても、こうなってしまえば腹を括るしかないのかもしれない。

麒麟の捕まえ方を、俺は知らない。
捕まえ方を自分で調べようにも、誰が知っているのかも見当が付かない。

勿論、目の前の男は知っているのだろうが、ただで教えてくれそうな輩ではない事を、俺は嫌になる程知っている。
一筋縄では済まない、目的の為なら手段を選ばない男だ。
俺に教える事など、まずないだろう。

俺は、ラークを脅してまで聞き出す事は出来ない。
長い付き合いだ。
剣の切っ先を友に向けるだなんて、俺には不可能といっても過言ではない。

仮にそんな事をしても、奴の事だから俺が本気で斬ってかかれない事を知っている。
だからといって、この娘をその辺りに捨てれば、目の前の男は黙っても居ないのだろう。

四面楚歌だ。
全てにおいて、俺に拒否権も選択権もない。

こうなったら、ただ願わくば、増えるだろう悩みの種が少しでも少なく済めばいい、と思うのみだ。

観念した俺に、ラークが笑う。

「ふふ。
実は君にね、咲雪様の指導教官になって貰おうかと思ってるんだ」

笑顔で言うにしては、随分と衝撃的な内容だった。
少なくとも、俺にとってはそうだった。

つい先程まで、この人間と関わらない方法を考えていたというのに。
それすらも、俺には許されないという事だろうか。

「何だって?」

怒気を隠さずに問う。
しかし、頭の中は真っ白だった。

この娘に城の統治をさせるだけに終わらず、奴は俺に娘の指導をしていけというのだろうか。
何を、馬鹿な事を。

真っ白な脳内とは相反して、先は考えただけで真っ暗だ。

「だって、考えてもみなよ。
先代の王の跡取りとして化けて貰うんだ。
それなりに武芸を学んでおいて貰わないといけないだろう?」
「そんなもの、わざわざ俺に頼まずとも、お前がすればいいだろう」
「ああ、それもそうなんだけど、私は生憎、剣を使えなくてね。
まさか咲雪様に私が得意とする武器の爪でも持たせろと?」
「しかし、何故俺が」
「初心者には、剣が一番無難なんだよ。
その剣は君が一番扱いに慣れているし、適任じゃないか」

いけしゃあしゃあと続ける旧友。
そのどれをとっても憤りを感じるものの、道理に適っているのだから、どうしようもない。

だからといって、ここで簡単に「諾」と言える訳もない。
言いたくない。

誰が好き好んで人間の世話役などするというのか。
ましてや、見ているだけで苛々させられる生き物などを。
そんなもの、不可能に近いだろうに。

すると、何も言わなくなった俺の代わりに、すぐ後ろに控えていたリッターが動いた。

「あの、差し出がましい様ですが、私で良ければ」

おずおずと申し出たリッター。
この部下は、俺と同じ剣使いだ。

確かに、リッターでも剣の使い方は十二分に教える事が出来る筈だ。
俺などより、よほど適任にも思える。

しかし、残念ながら、この部下は二刀流の短剣を扱っている。
剣を一度も握った事がないだろうこの人間に、いきなり二刀を捌く事が出来るだろうか。
この不器用そうな小娘が、それらを器用に扱えるとは思えない。
ただ持て余して、無駄な怪我を増やすだけだろう。

いや。
この人間が剣をうまく扱えようがどうだろうが、俺には関係のない事ではないだろうか。
そんなものは、リッターがどうとでもする筈だ。

関係はない、のだが。

「おや、そうでしたね」

リッターの申し出に、ラークがポンと手を打った。

「リッター、確かに貴方も剣を扱っていましたね」
「はい、まだ未熟者ではありますが」
「謙遜する必要はありません。
貴方の腕は私も買っています」
「あ、ありがとうございます」

褒められた事にやや照れて、リッターが返した。
ラークはうまく進んだ話に機嫌が良いようだ。

「ではリッター、貴方に頼みますね」
「はい、勿論です」
「咲雪様も、そうしましょう。
このリッターに、基本の剣術を教えて頂きましょう。
シンよりも優しく教えてくれるでしょうし、その方が咲雪様も楽しく出来る筈です」

人間の小娘も、俺に教えて貰うより断然いいと思ったのだろうか。
些か嬉しそうな顔を浮かべ、ラークに頷く。

恐らくこの娘は、「城を統治していく」という事をきちんと理解出来ていないのだろう。
楽観視し過ぎている。
一つの城を動かしていく事がいかに大変か、何も分かっていない。

だからこそ、剣術の鍛錬などと聞いても、遊戯か何かだと勘違いして嬉しそうにしているのだろう。
その程度しか考えていない筈だ。

これだから、凡愚は嫌いなのだ。
先の事を考えもせず、何もかもを軽く考え過ぎている。
弱く、脆く、意地汚く、浅はかだ。
先の事を考える脳味噌も持てないらしい。

少しでもへまをしたら、後が無いという事も分かっていない。

「もういい」

余りに不快な思いが募ったせいか、舌打ちと一緒に俺は口走っていた。

「もういい、俺がやる」

二度同じ言葉を言えば、リッターが困惑したように返してきた。

「え、あの。
でも」
「リッター、お前は何も口出しするな。
これは重大機密に関わる。
お前には荷が重い」

別に、リッターを信頼していない訳ではなかった。
むしろ、奴は俺が一番重宝している部下でもあるし、余程の事がない限り、失敗をする事もないだろうと分かっている。

けれど、この人間の間抜け面を見ていて、黙っていられる筈もなかった。
故に、気が付けば、声を荒げてラークの無理難題を自ら許可する返答をしてしまっていた。

正直、言ってしまった瞬間は「しまった」とも思ったが、すでに元の木阿弥だ。
目の前で、眼鏡越しににこりと笑う友と目が合った。
彼は、こうなる事を全てお見通しだったという事だろうか。

「では、決まりですね。
剣術はシンに任せておけば問題ないでしょうから。
すぐに腕も上達するでしょう」

そう言われると、人間の小娘は何とも言えない微妙な顔をして見せた。
相手がリッターから俺に移った事が不快らしい。
こちらこそ、本来ならば願い下げしたいところだ。

そこまで話が纏って、この件は一段落付いたとばかりに、ラークは立ち上がった。
リッターが姿勢を正す。

「さて、後の細かい事はまた決めるとして。
リッター、この件はくれぐれも他言してはいけませんよ。
私達と貴方だけの秘密にします」
「はい、承知致しました」

リッターは、ラークに敬意を表して深く頭を下げた。
真剣な顔付きをしていた。
だが、少なからず声色だけは気落ちしていたようだった。

その時、俺の脳裏に、ふと良からぬ考えが過ぎった。

今からでも遅くない。
やはりリッターに押し付けてしまおうか。
その方が、今後の自身の為なのではないだろうか、と。

この人間の小娘に関わって面倒事が増えるのは分かっている。
妖魔ばかりの城の中に人間が入って来るだけで問題なのに、その片棒を担ぐような羽目をさせられるのだ。
懸念しなければならない事は沢山ある。

しかし、一度引き受けた手前、ここでまたリッターに押し付ければ、己の顔に泥を塗る事になる。

仮にも俺はリッターの上司だ。
部下に嫌な事全て押し付ける等、馬鹿な輩のする事だ。
「一度やると言った事は何が何でもやり遂げろ」と常に言っているのは、誰でもない。
己なのだから。

俺は、忌々しい人間の顔を極力見ない様にしつつも、己の浅はかさを呪った。
その時、「これも全てラークの目論見だろうか」と諦めている自分が、情けなくも其処に居た。





TO BE CONTINUED.

2006.04.16


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