「初めて会った時、この人だと思った」という話をよく耳にする。
人が人を好きになるのは、「理屈」ではなく「感情」であるが、この場合の様に「直感」が働く事もある。
恋愛論の大家であるフランス作家のスタンダールは、愛が高まる第一段階として、「ハッとする印象」を挙げている。
これこそが恋愛感情の発端、つまり「恋心の兆し」だとスタンダールは述べている。
その初対面の相手から受ける感じを「第一印象」という。
人によって、或いは男女によって若干の違いはあるものの、相手の基本的な印象を構成するのは、最初の三十秒以内だそうだ。
その時に作られた最初の印象が、相手に対する感情を決定するわけだ。
一目惚れをすると、最初は相手の好ましい部分しか見ていないので、そのイメージはどんどん美化され、恋心も募っていく。
しかし、一目惚れは初対面の相手にしてしまう、ただの「条件反射」の一つに過ぎない。
現実を知れば、一気に愛も覚めていくだろう。
だから、一目惚れの感情は長続きしないのだ。
Just Marriage
005/second impression
「おい、ラーク。
これはどういう事だ」
扉付近で立ち尽くしていた黒尽くめの人は、ずかずかと、それこそ不機嫌さでどうにかなるんじゃないかという程な形相で、私とラークさんの近くまで歩み寄ってきた。
先程までは遠くに居たけれど、近くで見ると、益々美形さが分かってしまう。
何だか自分の存在が恥ずかしくなってしまう程に。
何というか、人間の遺伝子レベルが恐ろしい程に高いなあ、と思う。
それと比例する様に、私の心音も汗の量も、半端なく酷くなった。
やばい、やばい、やばい。
このままじゃあ心臓が早鳴りし過ぎて、むしろ一生分の働きを済ませて、止まっちゃう。
そんな中、ラークさんは相も変わらずにこにこ顔。
「嫌だなあ、シン。
何をそんなに怒っているんだい」
「何も彼にも無い、何故こんな者が居るんだ」
「私が連れてきたからだよ。
可愛らしいお嬢さんだろう」
さらりと褒められて、世辞と分かっていても、つい口元が緩んでしまう。
「え。
そ、そんなあ」
ラークさんがぽんぽんと肩を叩いてきた。
そういえば、「美人」とも表現できる程のイケメンに「可愛い」などと言われたのは、初めてだ。
私は顔を横に振って否定した。
とはいえ、謙遜しながらも嬉しいのは確か。
そもそも誰かに「可愛い」と言われて嫌な気がする女の子なんて、この世に存在しないと思うし。
勿論、単に言われ慣れてないってのもあるかもしれないけれど。
でもその私の態度すら癪に障ったのか、シン何とかという人は更に不機嫌な顔をして、またじろりと睨んできた。
そして、次の瞬間には何も見なかったかの様に、再度ラークさんに向き合った。
まるで私を目の仇か何かみたいに。
いや、存在すら否定する虫けらみたいに。
何だかなあ。
格好いいとか思ってたのに、ちょっとなあ。
というか、かなり感じ悪いかもしれないなあ、などと思って、些かむっとした。
「頼むから、どういう事か説明して貰えないか」
「困った奴だね、君も。
それは勿論いいけれど、きっと聞いた事を後悔すると思うよ」
頭痛でもするのだろうか、黒尽くめのお兄さんはこめかみを片手で押さえながら、再びラークさんに問うてくる。
それに、ラークさんは苦笑いを浮かべて、けれど少しからかう様なニュアンスで答えた。
その二人のやり取りに、何となく相互の関係性が見て取れた。
おそらく彼らは親しい間柄なんだろうけれど、ラークさんの方が一枚か二枚程上手。
多分、そんな感じ。
そんな風に、先程、シン何とかという男の人に感じた憤りをそのままに二人を眺めていると、優しい仮面を付けた方の白髪の美人さんは、困った様に笑ってソファーに座った。
そして、長い足を組み、さっきまで飲んでいたティーカップを口元へ持っていった。
「まあ、落ち付いて話さないか」
ラークさんが、相手に向かい側へ座る事を勧めた。
言われた本人のシンって人は、思い切り溜息を吐いてから、ラークさんの向かいのソファーにどすっと音をたてて座った。
全く、感じ悪いったらありゃしない。
それとは相反して、すこぶる可愛らしいリッターって少年はといえば、礼儀正しく少し身を正してその後ろに控えるだけだった。
その際に、忘れず彼は私にお辞儀してくれた。
ただ、私だけがどうすればいいのか分からない。
とりあえず、同じ様にその場に立っておいたけれど。
シン何とかという人が、急かすように口を開く。
「言ってみろ」
「せっかちだね、君は」
「いいから言ってみろ、時間がない」
「仕様がないね」
苛々とする態を、全然隠そうとしない黒尽くめの人。
本当に、余りに大人げないなあと思う。
少し癖はありそうだけれど、触ると気持ち良さそうなその黒髪だって、正に今は怒髪天だし。
怒気のせいか、纏っているコートに付いている首元の黒羽すら、ゆらゆら揺れている風に見える。
ラークさんもそんな彼を見て、苦笑いを崩せないままらしい。
けれど、それすらも諦めたのか、また少し紅茶を口に含んで、それから少し間を置いて形の整った口を開いた。
「実はね、咲雪様には今日よりこの城の城主になって、統治して貰おうと思って」
「はああっ?!」
そこで、私は思いっきり大きな声を上げてしまった。
しかも、今度はシンという人と、リッターと紹介された少年も、三人同時にだ。
つまりは、皆が一緒になって素っ頓狂な声を、これでもかという程大きな音量で上げたのだ。
もしかしたら、このかなり大きなお城ですら、全てに行き渡るんじゃないかという程に。
ラークさんはその反応すら予想範囲内だったのか、全く笑顔を崩さないままだったけれど。
いや、でも、ちょっと待て。
待て待て。
確か、このお城ってめっちゃ大きかったよね。
夢としか信じられない程に、大層な様相だったよね。
実際、まだ夢だと思ってるけれど。
でも、夢でも「城の城主」とか、意味が分からない。
つまりは、あれでしょ。
ここの王様とか王女様になって、「うむ、控えおろう」なんて言いながら、真っ赤な絨毯が敷いてある玉座に座ったりするんでしょ。
たとえば、ラークさんみたいな美形の膝の上に座って、リッターとかいう子みたいな美少年を侍らして、左団扇で暮らすんでしょ。
勿論、シンって人みたいに、感じの悪い男に足を舐めさせたりとかも有りかもね。
ああ、冗談はさておき。
信じられない。
さっきまでラークさんと二人で話してた時は、ちょっと「大変そうだな」とか、「神妙だな」とか、そんな風に思ってたけれど。
そもそも「我が主になる」って言ってたのは、こういう意味な訳?
でも、もしこれが本当に夢じゃないとしたら…。
美味し過ぎないか、それ。
「意味が分からん」
一番に返したのは、黒尽くめの人だった。
「どういう事だ」
「つまりは、この城の後継者になって貰うんだよ」
「益々意味が分からんわ」
「美形に囲まれる」というハーレム。
その幸甚にも似た事態に腑抜けてしまった私の代わりに、黒いお兄さんは一気に疲労困憊した面持ちで、その元凶に問い返す。
そのやや後方で、リッターと言われていたカーキ色の少年は、目を点にしている。
多分、私と同じくらい驚いて、言葉が出てこないでいるのだろう。
まあ、心境の程は私と全く違うだろうけれど。
「大体、この身なりを見て物を言っているのか。
これは女だ、城主にはなれん。
それ以前に人間だ」
「おや、女性差別は感心しないな」
「そうは言ってないだろうが。
人間だと言っている」
「それがどうしたんだい。
私達と同じより、君もその方がいいとは思わないかい」
「全くもって思わんわ!」
声を荒げる黒尽くめのお兄さん。
最初見た瞬間も眉間に皺が寄ってたけれど、今はそれが更に酷い事になっている。
むしろ、酷くなりすぎてそのまま形に残りそうな程。
いや、最初っからそんな作りだったかのかも。
普段から苦労しているのかもしれないなあ。
けれど、そこでふと私は気付いてしまった。
先程から彼らは「人間」だの何だのって、訳の分からない事ばかり。
もしかして、此処は夢だから、私以外の皆はロボットでしたってオチかな。
或いは、アンドロイドとか何とかいう、あのSFっぽい感じかもしれない。
だとすれば、これだけ作られた様に美形が揃っているのも、納得できるけれど。
「あのー、すみません。
さっきから人間人間って。
どういう事ですか。
貴方ら、ロボットか何かですか」
私は、彼らの会話を遮って、思った事をそのままに、ほんの少し前に出てみた。
それはちょっと「申し訳ない」っていうか、何だか自分は蚊帳の外に置かれている気がして、若干控えめには言ったつもりだったけれど。
でも、彼らの耳にはしっかり届いた風だった。
ラークさんは私に向かってにこりと目を細めて笑って、再度隣に座る様促してくれた。
シンって人は相変わらず無視だったけれど、ぴくりと肩が揺れていたから、多分何かしら思ったのだろう。
全く、初対面でここまで感じ悪く出来る男も珍しい。
それなのに、その顔が必要以上に綺麗で私の好みなものだから、全く始末に終えない。
シンという人が大仰に溜息をつく。
「ラーク、お前はこれに何も言っていないのか」
「話す前に君が来たからね」
「了承を得ずに連れて来たというのか」
「まあ、そうとも言うだろうけれど」
愚痴を零す様に言う黒い人に対して、ラークさんは組んだ足に肩肘を乗せ、頬杖をついて相手を見る。
その口元は若干釣り上がっていて、もしかしてもしかしなくても、きっと面白がっているのだと思う。
その二人の今の機嫌もさながら、今更だけれどラークさんってば全体的に白いし、シンって人は露出している肌以外は面白い程に黒い。
まさに二人は、陰と陽。
私は、おずおずとラークさんの隣に腰掛けた。
机の上に置いてある私の飲みかけの紅茶は、すでに冷めている風だ。
すると、黒髪のお兄さんは、きょとんとしている私に目を細めながら、徐に話しかけてきた。
「いいか。
よく聞け、人間。
俺達は貴様の様な下等な生き物とは違う」
眉間は相変わらず。
目つきは「睨んでいる」っていうより、互いに座っているから私と視線の高さはほぼ同じな筈なのに、少しばかりか見下ろした感じ。
私は「はあ」と、とりあえず返事をしておいた。
だって、彼が余りにおかしな事を言うものだから。
「妖魔という、動植物が進化した化身だ。
姿形こそ貴様らとほとんど変わりはないが、位や高貴さが断然違う」
「は?」
「貴様達人間を捕食ともする様な種族だ」
彼は、ますます意味の分からない言葉を並べだした。
何だって?
動植物が進化した化身だって?
何をそんなファンタジックな。
思いっ切り間抜けな声が、また出てしまうかと思ったじゃないか。
馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
「えーと、言ってる意味が分からないんですけど?」
「全く思った通り血の巡りの悪い娘だな。
我々は人間ではない。
それ以前に、その人間の血を啜って食らい、生活している。
これで分かったか」
その次の言葉を聞いて、私は一瞬固まってしまった。
何だって?
人間じゃないだって?
そんなまさか。
しかも、人間を食べるとな。
まさかまさか、いわゆる「妖怪」って奴ですか。
「はあ?」
まるで御伽噺。
そんな事ある訳ないじゃないか。
そりゃ確かに貴方達は面白い程に美形ではありますが、見た目は私と何も変わらない。
肌だって触ればふにふにしてそうだし、それも間近で見たらきっと毛穴だって見えるだろうし。
そもそも、いきなりそんな事言われて信じる人が居るのだろうか。
私は余りに馬鹿げて、けれど信じがたいおかしな話に、隣に座って居るラークさんを思わず振り返った。
もしその話が本当ならば、私はスプラッタもいいとこな程に、真っ先に彼に食べられていたのだろうから。
すると、私の視線に気付いた彼は、ちょっとだけ目を見開いて、でもすぐにそれを細めて微笑んでくれた。
前髪が長いせいで片目しか覗いていないけれど、きっとその隠れている方のガラス玉も、にこやかにしてくれているに違いない。
「本当なの?」
「ええ、嘘ではありませんね。
多少の過言はあっても」
私が尋ねると、ラークさんはやんわりと肯定した。
まあ、可も無く不可も無くって感じだったけれど。
「何が過言か。
俺は真実しか言っていない」
それなのに、シンって男はつくづく嫌味な奴というか何というか、ただぶっきらぼうに否定する。
しかも、だ。
「そもそも、こんなみすぼらしい人間の女等に王の代わりを、という事か。
馬鹿馬鹿しい、せめてもっと見栄えのする者ならまだしも」
次いで出てきた言葉が、これだ。
これにはさすがの私もぷっつんときた。
本当にこの短い時間に何度も何度も思ったけれど、本気で何々だこの男は。
もう前言撤回。
この黒尽くめの人、至上最悪最低な奴だ。
最初、ちょっとでも格好いいだなんて思った自分が恥ずかしい。
むしろ、なかった事にして欲しい。
「何ですって。
貴方、ちょっと格好いい顔してるからって失礼なんじゃない?」
むしゃくしゃする思いが我慢ならず、初めて私は怒鳴り声を上げた。
いや、何かもうここまで我慢した事を、皆に褒めて欲しいくらいだ。
まあ、その罵声の中にちょっとだけ相手を褒めるニュアンスがあったのは置いておいて。
「ほう、すると何か。
自分が多少なりとも見える容姿をしているとでも思っているのか」
「馬鹿にしないでよ。
私だって一人や二人や三人や四人位、告られた事あるんだから」
「ふん、世にはなかなかの物好きも居たらしいな。
それより、頭の中身も詰まっていないと見える。
告白の事を告る等と、下世話な言葉遣いを」
彼は、私の事など最初から相手にしていないとでも言いたげに、むしろそれ以下だと言う様に、いけしゃあしゃあと返してきた。
その言い振りに、腸が引っ繰り返る。
胃も噎せ返る様だ。
それっくらいに腹がたつ。
「あ、あ、貴方ねえ!」
「それに、そんな紛い物の作り上げた動詞を恥ずかしげも無く使う等、教養もない事この上ない」
「はあ?」
「いい事を教えてやろう。
告白するという言葉に類似したものでは、腹心を布く、肺肝を出す、肝胆を傾ける、胸襟を開く等がある。
最も、余り恋情の打ち明けでは使わないがな」
「人間じゃない」と宣告されたよりも、「醜い」と言われた方に反応した私も私だと思うけれども。
それでも、これはあんまりじゃあないかと思った。
別に私は彼に対して何も悪い事なんてしてないのに、初対面の人に対してこれだけ言ってくる男ってどうよ。
こんな無礼な奴、見た事ない。
いや、聞いた事すらない。
「まあまあ、喧嘩はそれくらいにしておいて。
これからの話をしようじゃないか」
その時。
私の背中をぽんっと叩いて、その場を和ます声がやや上方から降ってきた。
気分が高揚している私は思わずその彼すらも睨みそうになったけれど、でもちゃんとラークさんは宥める様に、再度背中を叩いてくれる。
その笑顔と優しさが、ほんの少しマリア様に見えた。
いや、この最悪男に比べたら、世の中全ての男が最高になるのかもしれないけれど。
TO BE CONTINUED.
2006.01.05
参考:樺旦純「男を理解できない女 女が分からない男」
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