「全ての人間の人生が、
神によって書かれた御伽噺である」
そう言っていたのは、彼の有名なハンス・クリスチャン・アンデルセン。
その言葉を私は信じているよ。
だって、どんな時でも神様は、沢山ある運命の中から、その人にとって一番幸せになれる運命を選んでくれるって。
私、絶対に信じてるから。
Just Marriage
004/first impression
「さ、どうぞ。
其方の方へお座りになって下さい。
今、紅茶を煎れますね」
「は、はーい」
とりあえず付いて来いと言われ辿り着いたのは、ラークさんの執務室というお部屋だった。
木製の大きな扉が特徴的な、ゴシック基調な空間。
中もアンティーク調な家具らしき物が多々あって、とても独特な雰囲気を纏っている。
決して厭らしい感じはしない。
上品で綺麗で、趣だってある、凄い素敵なお部屋。
本の中でしか見た事無いような様相とは、正にこの事だと思う。
その異空間の真ん中にあるベロア生地のソファーに腰をかけ、辺りを見渡してみる。
ラークさんは、白い、これもまたお洒落なティーポットとカップを持って現れた。
彼はそれらを立ったままで注ぎ、私の目の前の机に乗せた。
瞬間、アールグレイとシナモンの香りが辺りに広がった。
ああ、これは私の大好きな香りだ。
その香りに笑みを浮かべると、ラークさんは私の斜め向かいにあるお揃いのソファーに落ち着いた。
それから、「どうぞ」と、にこやかに紅茶を勧めてくれた。
私は、その勧められたカップに早速手を掛けてから、ラークさんに問うた。
「で、話って何かな?」
すぐに問われるのが分かっていたかの様に、彼は優しく笑う。
白いシャツが光を浴び、彼の爽やかさが増されている。
髪の毛だって、光に反射してきらきらと綺麗に輝いている。
先程まで着ていたコートの下にあった黒いスカーフタイプのタイも、腰に巻いているバーテンダーがしている様なエプロンスカートも、勿論その下に穿いているすらっとしたパンツも、嫌味がない程に似合っているんだから、全くどうしようもないなあと思う。
彼は、このままフランス人形にして部屋に飾ってしまってもいいんじゃないだろうか。
本当に、今更だけどこんなにも美形な人に会えた事が驚きだ。
「まずは、こんな所まで連れて来てしまって申し訳ありませんでした。
遅くなりましたが、貴女様にお詫びを」
呆けている私を余所に、彼はそう言って長い睫毛を少し伏目がちに閉じた。
眼鏡越しのその緑のガラス玉に、私はつい吸い込まれそうになる。
「まあ、それは別にいいよ。
何より、夢は思い切り楽しまなきゃだし」
「夢?
夢とは、この現状の事でしょうか?」
「うん、そうだよ」
ずずっと音を出して紅茶を吸い込めば、少し苦くて、けれど思ったとおり美味しい紅茶の味が口内に広がった。
ほんのりと渋みがあって、それなのに次の瞬間には少し甘めの砂糖と香ばしいシナモンが、苦味を嫌味なく掻き消してくれる。
こんな絶妙な感じが、私は昔から好きだった。
私は自分の好みのお茶を一言も伝えていないのによく分かるなあと、感心してしまう。
「こんなタイムトラベルみたいな事、現実にあったら驚きだしさ」
「えーと、咲雪様」
「それに、ラークさんみたいな美形のお兄さんにも会えたし。
まあ、お母さんもなかなかいい心意気をしてるよね」
「ああ、えーと、そうですね。
では、まず話しておかなければならない事があるのですが」
「うんうん、何。
今の私なら、何だって聞いちゃうよ」
一人ご機嫌に進めていると、彼は「驚かずに聞いて欲しいのですけども」と前置きし、少し申し訳なさそうに、形のいい眉根を顰めた。
私は、何の事かときょとんとした。
けれど、抱えていたティーカップをことんと机の上に置き、すぐに彼の話を聞く体制に入った。
その次の瞬間。
「驚くな」と言われていたものの、彼が言い出した現実に、私はこれ以上ない程に驚かされてしまった。
何だって。
今、私にどういう事が起きているんだ、と。
「咲雪様。
今、貴女様が身を持って体験しているのは、夢ではなく現実です」
「え?
だからラークさん、それは」
「仮に今この部屋のテラスから下に落ちてしまえば、紛れもなく貴女様は命を落とすでしょうし、二度と向うの世界に戻る事は出来ません。
だからといって、このまま貴女様を向うの世界に帰す訳にもいきません」
「は?」
「全く意思を確認せずに連れて来てしまったのは申し訳ないと思います。
しかし、どうぞ聞いて下さい。
今、この世界は、この国は、嘗て無い程の危機に陥っているのです」
ラークさんの面持ちは、至極真面目そのものだった。
むしろ、辛辣とも言えるくらいだった。
その鬼気迫る形相に、ほんの少しドキリとする。
おかしな事に、美味しかった紅茶がほんのりと苦くなった気がした。
さっきまで最高などろ思っていた筈の紅茶が、舌の上で渋さだけが際立ち始める。
ああ。
もしかしたら、今の私は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしているのかもしれない。
或いは、ラークさんの様に、眉間に皺を寄せているのかも。
ぼんやりと的外れな方向へと思考が向かう私とは反対に、彼は淡々と、尚且つ極力私にも理解出来る様に、気を遣ってゆっくりと喋ってくれる。
それでも、私の頭は、正直ついて行かなかった。
「そこで、是非とも貴女様のお力をお借りしたいのです」
そう切り出す、目の前の白髪美人。
彼曰く、この世界は私が先程まで居た世界とは全く異なる空間で、それでいて、密接に繋がりのある微妙な関係にあると言う。
それを利用して、彼は私が居た日本、つまり、私からすれば「現実世界」にワープしてきた訳で。
そんな事を言われても、信じられる訳がない。
むしろ、余りにおかしな話を聞かされて、前に乗り出していた体が固まってしまう様にさえ感じた。
ぴしっと背中の筋が音をたてる。
髪の毛も、彼宜しく真っ白になってしまいそうだ。
「我が城には…、といいますのも、各城にはその近辺を当時する主という者が居ります。
それが、今の我が城では居りません。
先日、その主であるゼカトリア王が無くなられてしまったのです。
そこで、我が城は大層不安定な立場にあるのです」
ラークさんは、このお城の現状をつらつらと話して聞かせてくれる。
たとえば、先代の城主には後継ぎが居なかった事。
その城主が居ない混乱に生じて、城内では揉め事が絶えない事。
まだ城外に主が居ない事は漏れてはいないが、それも時間の問題で、それがばれてしたったら、この城も終わりだという事。
そして、この近辺を統治している、つまりは今私が居る城の名前は、紫の城。
この世界では、「国」や「県」といった境界線がしっかりと引かれていないそうで、それ故、大体この辺り近辺全部が、この城の領地だという事。
全くもって、意味が分からない。
何故、私が此処に居るのだろう。
私が彼の、この城の何の助けになれるというのだろうか。
私がそう考えた、その時。
「失礼する、ラーク」
そう誰かの声がして、大きな木製の扉が開く音がした。
私とラークさんは同時に其方を振り返る。
其処には、真っ黒な羽根付きコートを羽織った、同じく黒髪の男の人が立っていた。
手には書類を数枚持っていて、いかにも「上役」といった感じ。
眉間には皺がぎゅっと寄っていて、気難しいオーラが全身から出ている。
ラークさんの柔かい感じとは大違い。
けれど、これまた桁外れに美形ではある。
肩まである不揃いで無造作に伸びている黒い髪に、すらっとした長い黒いコートという、全身真っ黒という身なりにも負けない程の、綺麗な容姿。
ここまで黒が似合う男の人を、私は知らない。
黒って少し取り入れるだけなら誰でも出来るけれども、ここまで全身で固めてばっちり決められる人は、早々居ないと思う。
それ程までに、綺麗な顔立ちをしているのだ。
目はきゅっと切れ長で釣りあがっていて、鼻筋もすうっと線の様に通っている。
唇はへの字で薄く冷たそうな感じだけれど、下手に肉厚唇より断然いい。
顔色は少し悪いけれど、体調でも悪いのだろうか。
けれど、そんな顔色をさておいても、もう何をとっても。
いや、はっきりいって、かなり格好いい部類だ。
何となくその顔の作りから「頑固者」って感じはするけれども、それがまた軽薄そうな男より断然いいと思う。
何だか、ラークさんに出会った時とはまた違う風に胸が高鳴る。
顔が心なしか熱い。
何だろう。
何でこんなにも緊張するんだろう。
「おや、いい所に。
シン」
ラークさんは、ふわっと笑って立ち上がった。
そして、「此方に来てくれ」と手招きする。
けれど、その黒ずくめの美形のお兄さんは切れ長の目を少しだけ見開いて、ぴくりとも動かなかった。
その時、ひょこりと後ろからカーキ色の髪をした少年が顔を出した。
黒尽くめのお兄さんより背は低くて、年的に私と同学年くらい。
まるで犬の様な可愛らしい目をした、本当に「美少年」といった感じの子だった。
健康的な肌の色。
鼻はつんと小さくて、唇はぷにぷにして柔らかそう。
何をとっても、黒尽くめお兄さんと真逆の様な存在だ。
しかし、その少年のような彼は、私と目が合った瞬間に一気に顔を赤くした。
まるで、瞬間湯沸かし器。
それが余りに可愛くて、私は一瞬噴出しそうになった。
それにしても、何で私はこんなにも美形揃いの人達に囲まれているのだろう。
この人達でアイドルグループでも組んだら、確実に売れると保証出来るくらいだ。
「何をしている、ラーク」
低くて胸にドクンとくる様な声を出して、黒尽くめのお兄さんはラークさんに問い掛けた。
心なしか、声が震えている様な気がする。
いや、身体も。
だけど、彼のその声を聞いて、私の胸の高鳴りも酷くなった。
傍にいるラークさんに聞こえないか正直心配な程に音をたてる、心臓の音。
血管が急激に太くなったのかと思うくらいに。
「この方はね、咲雪様と言って」
「いや、名前を聞いている訳ではない。
そうではなくて」
「見ての通り、人間のお嬢さんだ」
「は?」
「今日から、我が主でもある。
シンも宜しく頼むよ」
わなわなと問い掛ける黒尽くめの彼に対して、ラークさんは無敵のスマイルでにっこりと笑って応えた。
しかし、最後の一言が私も理解出来ずに、「はあ?」と声を上げてしまった。
その声は、黒尽くめのお兄さんと同じタイミングだったようだ。
同調した事が気に入らなかったのか、彼は私を睨んできた。
そんな別に睨まなくても。
一瞬、心臓がきゅっと小さくなったかと思ったじゃないか。
「咲雪様にもご紹介します。
この男はシンヅァンといって、私と同じ、この城の執務役です。
とはいっても、私と違って書面の整理だけでなく、剣術の方がたちますがね」
「ちょっと待て、ラーク」
「こう見えて、とても頼りになる男です。
どうぞ愛称を込めて、シンと呼んでやって下さい」
一人にこにこと上機嫌なラークさん。
私は、訳が分からず、とりあえずソファから立ち上がった。
頭は付いていかないままだったけれど、とりあえず自己紹介されたのだから、自分何かも言わなければならないのかと思って、少しだけお辞儀をした。
耳まで熱くなってるのが分からなければいいけれど。
おそらく、赤面しているだろうから。
「あ、あの、初めまして。
私は樹咲雪といいます」
「おい」
無愛想に、黒尽くめの美形の人が言葉を遮る。
しかし、ラークさんは淡々と話を進めていく。
黒尽くめのお兄さんのあからさまな怒りオーラなど、完全に無視だ。
もしかしたら、この人はかなりの策士かもしれない。
笑顔に隠されたその裏が恐い。
「で、そのシンヅァンの後ろに居るのが、彼の部下のリッターという者です。
まだ騎士見習といったところですが、よく出来た子ですよ」
紹介された少年が、やや焦りを見せる。
「あ、あの、ラーク様」
「さ、リッター。
女性に自己紹介を待たせるものではありませんよ」
「あっ、は、はい」
控えめに黒尽くめのお兄さんの後ろに立っていただけの「リッター」と言われる男の子は、急いで前に出てきて、私の傍まで足早でやって来た。
近くで見れば、なかなか強烈に美少年臭が凄い。
くりくりとした瞳は薄い茶色で、同じく元気の良い動きやすそうな茶色の衣服。
カーキと深い緑色のメッシュが入った髪の毛も、初めて見る。
でも、それら全てが全然違和感ない。
さっきまではラークさんの髪の色が云々とか思っていたけれど、それすら凌駕するこの美形揃いは何々だろう。
「申し訳ありませんでした」
リッターと言われた彼は腰を床と平行になる程に曲げて、深くお辞儀をしてきた。
その潔さというか真面目さが、本当に可愛らしい。
けれど、お辞儀した時に彼の耳の裏側が見えて、今度こそ少し笑ってしまった。
顔が赤い赤いとは思ったが、何をそんなに緊張しているのか、私にも負けない程に真っ赤に染まってしまっている耳。
彼は、その姿勢のまま、「私はリッターと…」と、自己紹介を始めてくれた。
だけど、それもすぐ様、先程の黒尽くめの美形お兄さんに遮られた。
確か、「シン」何とかという名前の…、ええと、何だっけ。
TO BE CONTINUED.
2006.01.02
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