その日、俺はすこぶる機嫌が悪かった。

朝から臣下に一番に報告されたのが、先月に纏まった筈の貴族との取引の話。
今頃になって破棄とはどういう事だと、正直その報告の部下を斬りそうにもなった。

そして次に耳に入れたのが、街でちょっとしたいざこざが大きくなって負傷者が出たとかどうとか。
それを、直ぐに一の自分の臣下であるリッターが状況を確認しに行ったそうだが、もう見るも無残だったようだ。
怪我云々より、破壊された家屋が激しいとの事。

これでまた我が城の財政が削られていく。

それだけならまだしも、不甲斐無い召使の一人が机上に置いていた書類を駄目にした。
あれは今日中に仕上げなければ駄目なものだったのだ。
それをよりにもよって今朝になって。

厄日だとしか言いようが無い。

そんな事が積み重なって、俺は本当に朝から機嫌が悪かった。
シンヅァン様、シンヅァン様」という自分を呼び止める声がある度、ちりちりと苛立ちが募る。

もうこれ以上不運な事が続かなければいい、とは思ったのだが。
よくよく考えてみれば、「良くない事は重なる」とも言う。
だからこそ、早く気が付けば良かったのだ。

自分の唯一無二の親友が、良からぬ事を企んでいると。

Just Marriage
003/厄日

「リッター、街のその後はどうだ」
「はい。
混乱は然程ありませんでしたが、家主がどうしてくれるのだと嘆いて来ました」

その日は、随分と天気が良かった。
快晴といっても過言ではない。
だが、忙しくて止まって誰かと話をする気にもなれない。
どちらかといえば、腸は煮えくり返る様な思いで苛々して仕様がなかった。

出来ればこんな日は雨か曇りの方がまだ随分と気持ちがいい。
天気と己の心情がちぐはぐだと、余計気が立ってならない。

「根源はもう捕えているのだろう。
それをどうにかして資金に出来るか」
「はい。
おそらく、家屋の半分程は修理出来ます」

自分の臣下である薄緑色の髪をしたリッターという少年は、俺の後ろを足早に付いて来ながら、今日の報告を続ける。

この少年は、年こそまだ若くて見かけも幼いが、仕事が出来、よく気が付くいい部下だった。
今では大事な仕事もそこそこ任せているし、それに応えようとしている様子も見て取れる。
地位的には、今はまだ見習いといった身分ではあるが、将来的に有望な男だとは思う。

もしかしたら俺を抜く様な素質も持っているかもしれない。
腰にさしている陰と陽の二つの短剣がきちんと光っているところからも、真面目でまめな一面も見受けられる。

「残りは?」

そんな部下に、不機嫌を隠さず問えば。

「…財政から削れますでしょうか」

相手は、申し訳無さそうに書類が入っているファイルを出してきた。

その少年の衣類と同系色の、茶色のファイルからはみ出ている数枚の紙。
それを手にとって見てみれば、機械的な書面の上、いびつにも乱暴に書かれた抗議の文面があった。

ふざけているのかと言いたくなる様な要求金額がすぐに目に入る。
どいつもこいつも、王が何もかも保障してくれると思ったら大きな間違いだというのに。

「何だ、この莫大な要求金額は」
「はい。
一応、本人にはこんなにも無理だと言ってはいるのですが…」

やや立ち止まって、その紙面につらつらと書かれている内容全てに目を通す。
そこには、「城がきちんと管理していない下等な輩が」とか、「保障をきちんと貰わないと、事業が出来なくなる」「王に奉仕も出来ない」など、最もな文句と過度な要求が所狭しと並んでいた。

「…頭が痛くなる」
「大丈夫ですか、シンヅァン様。
最近、余り休んでおられないのでは」
「仕方あるまい。
状況が状況だ」

そう言って答えれば、リッターも、「そうですね…」と、やや下を向いて俯いた。

そう。
我が城内は、現在状況がかなり不安定なところにあった。

大概、城には「城主」と言われる王が居る。
それなのに、今我が城には城主が居なかった。

とはいっても、つい先月まではその城主も居たのだ。
ゼカトリアという名の、偉大な王だった。

その王は多少横暴なところがあったものの、下の者を統率する力は秀でていた。
故に、たまに城外で小さないざこざがあったとしても、概ね「大して問題はない」と言い張る事が出来た。

その王に仕え、俺も早数百年が経つ。
けれど、その王が消息して状況はがらりと変わってしまった。

まず、城の中で、今まではなかったような小さな揉め事が絶えなくなった。
城外の者にこの事が知られれば、必ず攻め入られる。
我が城は、権力的に頂点に君臨している大きな城だ。
その城の王が居ないともなれば、下剋上宜しく謀反が起きても仕様がないのだ。

それを懸念してか、城の内部の者は皆不安がっている。
各々が口々に不平不満を零し、誰かと討論する。
それだけならまだいいのだが、終いには必ず喧嘩になっていく。

しかも、ゼカトリア王には後継ぎが居なかった。

皆の張り詰めた様な緊張と憂患が、分からない訳ではない。
今後の城の将来は、一寸先が闇だ。
だが、今は反乱を起こさない様に、以前より城に仕えている一部の者だけで「後継者が居ない」という事をひた隠しにするしかないのだ。

運良く、まだ宮仕えの中でも、「後継者が居ない」という事まで知っている者は多くない。
ただ、王が消息してしまった事に狼狽している事は事実だ。

おそらく本当の事情を知っているのは、この俺と、臣下であるリッターと。
そして、俺の昔からの友人ラークと、王の娘である姫達のみだ。

「…はあ」

この現状を考えれば考える程、溜息が出る。
眉間に皺も寄る。

そういえば、今朝はまだ唯一の相談相手である友人のラークに会っていなかった。
別に奴に会ってどうこうなる訳ではないが、資金面では奴に任せている部分も多大にある。

何せ、俺は執務をこなしてはいるものの、どちらかと言えば実践に出てどうこうするという方が向いているのだ。
別に一つの場所にじっとしているのが耐えられない訳ではないが、本来はそれも性に合わないのかもしれない。

だが、ラークは余り身体を動かすのが好きではないのか、ゆっくりと部屋で本など読む方が合っているのだそうだ。
まあ、奴の正体を考えれば無理も無いが。

「リッター。
ラークの所へ行って、資金の相談をした方が懸命だな」

故に、白と灰の色をした友人の事を思い出した俺は、そう言った。

「ラーク様ですか。
はい、分かりました」

リッターはすぐに承諾して書類を受け取ろうとする。

しかし、そのリッターの手を制して、俺は再度、書類を自分の方に寄せた。
そして、先程から本当に痛むこめかみを抑えて応える。

「いや、俺も行こう。
奴に相談したい事もある」
「あの事ですか」
「まあ、な」

そう答えれば、リッターは本当に心配している様な顔を向けてきた。

あの事といえば、この城の現状の事だ。
それ以外にはない。

早急にこの城の跡取りを見つけなければならない。
出来れば、先王のゼカトリア王に負けぬ程の高貴さを持ち合わせた者がいい。
それが居なければ、最終的にはこの城から選び出さなければならない。

勿論、王の娘である姫君が城を継げば早い話なのだが、基本的に女は男達に認められない傾向にある。
それではいけない。
上に立つ者が下の者に侮られるのが、一番いけないのだ。

そうなると、姫に誰か伴侶を見つけさせる、という方法もある。
そして、その男を王として迎え入れるのだ。

しかし、そうなると、その相手を誰にするかという問題になる。
つまりは、その夫となる男も、下の者に尊敬されるべき地位の持ち主でなければならないのだ。

臣下であるリッターと俺は、この現状をどうのこうのと話しながら、けれどその内容を誰にも聞かれない様に最低限の配慮をしつつ、長く続く螺旋階段と廊下を歩いて行った。

その間に何人もの宮使いと擦れ違い、朝の挨拶をされた。
だが、それに応じる気にもならなかった。

偏頭痛は一向に治まらないし、胃まで痛くなりそうだ。
精神的にも肉体的にも、とうの昔に限界が来ている。
いつ自分が倒れるかも分からない。
或いは、王の様に消失してしまうかもしれない。

俺達二人は、俺の友人ラークが普段使っている五階の執務室まで辿り着いた。
その執務室は、彼の人柄を表す様な真っ白の木製扉が特徴的だ。

別に、彼だけ目立つ様にそういった部屋にしている訳ではない。
誰だって「数沢山ある部屋を自由に使え」と言われれば、自然と各々に合った部屋を選ぶというものだ。
だから、根っからの紳士のラークは、美しいアンティーク調の物を好む性分故、此処を自分の場所だと特定したのだろう。

俺は、その扉をノックも無しに押し開けた。

「失礼する、ラーク」

普段は必ず礼を持って接するが、今日はそれすらも煩わしい。
それくらいに苛々して仕様がない。

「この前の話だが」

そして、俺は手に持っていた書類を彼に出そうとした。

しかし、そう言い放った先。
いつもの様に、日を背に浴びる事になる仕事机に、彼は居なかった。
少し離れたソファーで寛いでいるようだ。

彼が以前お気に入りだと言っていた低めのテーブルの上には、少しばかりの茶菓子。
手には、陶磁器のティーカップ。
辺りは、香ばしい紅茶独特の香りが広がっている。

いや、そこまではいい。
そこまでは良かったのだが、それ以外の事に俺は自分の目を疑った。

「おや、いい所に。
シン」

ラークはといえば、そんな俺を意に解さず、何食わぬ顔で言ってのけた。
そのにこりと笑った彼の横には、一人の人間。

彼は一人ではない。
見知らぬ者と、二人で茶など啜っていたのだ。
その事実に、俺の頭は付いていく事が出来なかった。

何だ。
奴は、何と話をしているのだ、と。





TO BE CONTINUED.

2005.10.21


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