良き事も、そうでない事も、全ては突然やって来る。
予期せぬからこそ、その喜びも、悲しみも、大きくなるのである。
NEW FACE! [01]
「お久しぶりですー、お義姉さん」
あずきは、学校から帰宅してすぐ、実家の店の手伝いをする。
制服姿のままではいけないので、先ずは自室に戻り、其処で作業着に着替えないといけない。
あずきが帰った頃には、店の忙しい時間は大抵終わっているのだが、それでもその流れは常の事だ。
だが、今日はその私室に、何故だか見知らぬ客が居た。
父や母、或いは弟の栗太郎の知り合いだろうかと思うものの、その先客は明らかに日本人離れしていた。
薄い緑の長い髪の毛をした、おっとりした少年。
少女かと見紛う程の愛らしさだが、声色が少年寄りだ。
あずきは、この少年が誰なのか、全く見当が付かなかった。
声だけは聞いた事があるような気がしないでもないが、顔は見た記憶が無い。
こんなにも日本人離れした、どちらかと言うと人間離れした色素を持つ少年を、あずきは知らない。
それなのに、少年は「お久しぶり」だと、しかもはっきりと「お義姉さん」とまで言った。
「お、ねえ、さん?」
「はいー、お久しぶりですー」
少年は、あずきを見て「義姉」とのたまう。
その事に大いに引っ掛かりを覚えたあずきは、山彦のように返す事しか出来ない。
あずきは狼狽していたが、そんな事も気にせず、少年はふと口元を和らげ、そのままゆっくりと目を閉じた。
あずきは、相手が何か話し出すのだろうかと思い、じっと様子を窺う事にした。
しかし、少年に何かを発する素振りは無い。
それどころか、こっくりこっくりと舟を漕ぎ出す始末だ。
「あの、ちょっと」
少年は、完全に転寝を始めていた。
誰かと話している間に居眠りをする知り合いなど、やはりあずきには居ない。
これは、見知らぬ子だ。
あずきは、近くに寄って少年を揺すった。
けれど、少年は目を開けない。
眠っているその顔は、何処かあずき家の居候、且つあずきの花婿候補によく似ていた。
「全く、やはりこうなったか。
おい、起きろ」
そのあずきの手をやんわりと退け、代わりに少年を起こそうとする者が居た。
気付かぬ間に、あずきの背後に立っていたようだ。
振り返れば、其処には長身の男が立っていた。
年にして、二十前後だろうか。
非常にきりりと整った顔をした、凛呼な青年だ。
しかし、幾ら端整な顔をしていたとしても、不法侵入も甚だしい。
あずきは、その長身の男をぎょっとして見上げた。
男は、茶色の長い髪をしており、肌自体も僅かに焼けていた。
健康的な肌の色と表現すべきだろう。
中でも目がとても印象的で、射抜くような強い光を携えている。
「あのう」
何故、知らぬ人間が二人も自分の部屋に居るのか分からなかったあずきは、恐る恐るその男に話し掛けてみた。
男は、あずきに向かって優しく笑う。
「ああ、あずき義姉さん。
今更ですが、お邪魔しています。
いつもすみません」
マントを軽く翻して、男は言う。
そういえば、このような重厚なマントを当たり前のようにしていた男を、他に一人、知っていた。
「えーっと、あのう?」
「兄さんは、まだ仕事中ですか?」
「兄さん、って事は、えーっと」
「きび団子ですよ。
まさか、別居中という訳でもないでしょう?」
やはり、あずき家の居候、且つ、あずきのフィアンセの、きび団子の王子の知り合いだったらしい。
しかも、きび団子の王子の事を「兄」と言っている。
彼の弟なのだろうか。
まさか、とは思っていたが、そのまさかが当たった事に、あずきは微妙な心地になった。
あずきは、きび団子の王子の家族が人型になっている姿を見た事は、未だ一度も無い。
そのせいで、きび団子家の中では、きび団子の王子だけが人型になれるのかと、勝手な先入観を抱いていた。
しかし、そのような理屈が通る筈も無かった。
きび団子の王子の婚約者だったさくら餅姫も、洋菓子国のシュークリーム王子でさえ人型をしていたのだ。
菓子達は、望みさえすれば、こうやって自由に人型を取れるのかもしれない。
「もしかして、チョコレートの」
「そうですよ、人型だから分かりませんでしたか?」
「いえ。
お、お久しぶり、です」
きび団子の王子の弟であるチョコレートきび団子は、兄であるきび団子の王子よりも僅かに背が高いようだった。
きび団子の王子も長身で、大概の女性がうっとりするような、いわゆる王子様らしい王子様だが、このチョコレートきび団子は、弟の割りに男らしい大人の魅力があるようだ。
「マスきび、早く起きろ。
今日は仕事で来たんだろう」
「ああ、そうでしたー」
居眠りをしていたのは、末っ子のマスカットきび団子の人型だったようだ。
よく見れば、髪留めがきび団子の形をしている。
次男とは異なり、三男は優しげな顔をしており、長男のきび団子をも思わせる。
兄弟故に似ているのだろう。
揺り起こされたマスカットきび団子は、とろんとした目蓋を持ち上げた。
頬がほんのりと赤くなっている。
余程眠いらしい。
「お義姉さんー、実は話さないといけない事がありましてー」
眠気眼のまま、マスカットきび団子はとろとろと喋り始めた。
あずきも、耳を傾けた。
三男のマスカットきび団子は、放っておけばまた眠ってしまいそうな様子だが、起きている間に喋る事くらいは、きちんと聞いてあげないといけない。
「えーとですねー、うーん」
マスカットきび団子は、考え込むように腕を組んだ。
何か難しい難題でも抱えているのだろうか。
じっと眺めていると、再び黙り込んでしまった。
そのまま待つ事、五秒、十秒、十五秒。
一向に新しい反応を見せない少年に、次男であるチョコレートきび団子も大仰な溜息を吐く。
「いけないな、また寝たようだ」
「え、また?」
「後の話は、俺がしましょう」
三男と同じように腕を組んだチョコレートきび団子は、あずきの勉強机に背を凭れさせた。
端からこの事を予想していたような落ち着き方だ。
そもそも、三男のマスカットきび団子は、非常によく眠る子だ。
ただ眠るだけではない。
喋っている間でも、団子姿で転がっている間でも、どんな時でも、一寸目を離した隙に眠りの世界に足を踏み入れている。
次男も、その事を重々承知済みだったのだろう。
承知した上で、直す見込みもない故、仕方がないと諦めている。
「でも、出来れば兄も一緒の方がいいのですが」
チョコレートきび団子は、あずきを一瞥し、思考を纏めるように天井に目を移した。
和菓子国の話であれば、あずきよりも、長男のきび団子の耳に入れておく必要がある。
あずきは、きび団子のただの婚約者だ。
しかも、単なる人間だ。
和菓子国の相談など持ちかけられたとしても、対処しきれる筈が無い。
しかし、この場にきび団子は居ない。
未だ仕事中なのだろう。
仕方なく、チョコレートきび団子は二の句を次ごうと口を開いた。
その直後、また違う声がした。
「僕なら居るよ、チョコきび」
その声主は、正しくあずきの婚約者のきび団子の王子だった。
先まで仕事をしていたのだろう、ちさか屋の作業着を着ている。
金髪の王子面をした美青年が作務衣を羽織る姿など滑稽な事この上ない筈なのだが、何故かこのきび団子の王子はそれを上手く着こなしている。
板に付いた、と表現した方が正しいのかもしれない。
「ああ、兄さん。
勝手にお邪魔して悪いね」
「今更だろう。
和菓子国の人達は、よくあずきに会いに来ているようだ」
千阪家に嫁いだきび団子の王子は、人間界でもそつなく人間として暮らしている。
時に、和菓子ならではのハプニングがあったり、人間では到底考えられない行動を起こす事もあるが、大きな騒動になった事もない。
ちさか屋でも、評判の良い看板息子として、よく働いている。
和菓子の知識も豊富なお陰で、職人としての腕も順調に磨いていた。
今では、あずきの両親からしても、立派な跡取り息子である。
あずきに「おかえり」のキスをしてから、きび団子の王子はあずきと共にベッドに腰掛けた。
三男のマスカットきび団子は、長男の登場に気が付かぬまま、相変わらず目蓋を閉じている。
次男のチョコレートきび団子は、その三男を尻目に懸けただけで、話を始めた。
「実は、父上と母上が」
次男は、先ずきび団子達の実の親の名を出した。
しかし、その名に、長男のきび団子の王子は、はっとして目を見開いた。
きび団子の王子の父である饅頭、母であるいちご大福は、和菓子の中でも高齢の方である。
お爺さん・お婆さんという程でもないが、息子三人を立派に育て上げた年には、疾うになっていた。
もしや、何か病にでもなったのだろうか。
きび団子の王子は、次男の言葉を遮った。
「父上と母上が?
一体、どうしたんだ」
焦りを孕んだ婚約者の声音に、あずきもどきりとした。
饅頭といちご大福は、愛する人の父母である。
将来、あずきの義理の親になるかもしれないのだ。
果たして、和菓子が病に伏せる事があるのかどうかは分からないにせよ、和菓子だからこそ掛かる病気もあるのかもしれない、と思った。
一番に思い付いたのは、単なる賞味期限切れによる腐敗だが、はてさて、和菓子国の和菓子達に賞味期限があるのかも不明だ。
「まさか、何処か身体でも悪いのか?
だから言ったんだ。
たまには運動しないと、どんどん衰えていくって」
「いや、そうじゃない」
きび団子の王子は、額の前髪を掻き揚げ、苦々しく言ったが、次男はすぐに否定した。
そして、机に凭れさせていた身体をきちんと伸ばし直す。
「とにかく、直に来て貰った方が早いかもしれないな。
今からだけどいいかい、兄さん?」
「ああ。
今日の業務は概ね片付いたから、時間ならある」
中途半端に言葉を濁され、益々きび団子の王子は不安に駆られた。
次男のチョコレートきび団子は、身体が悪い訳ではないと言っていたが、しかし何かあった事は事実らしい。
脳裏には、思い付く限りの不幸が目まぐるしく回る。
だが、この中でも一番の年嵩の者として、焦った顔を見せる訳にも行かない。
居直した次男に、きび団子の王子も立ち上がった。
そして、仕事中は邪魔になるからと、今まで纏めていた髪を、はらりと解いた。
あずきも同じように立ち、きび団子の王子の裾を掴む。
「いい職人になってるんだな、兄さん」
次男は、眩しそうに目を細めた。
何気ない所作だが、その長男の言動・立ち居振る舞いが、嘗ての「和菓子国の王子」では無いと感じたようだった。
一見しただけでは、次男のチョコレートきび団子の方が、粋な格好をしている。
ぴしりと決めたスーツに、臙脂色のマント。
若干日本離れしているものの、見栄え良く映るのは次男の方だ。
だが、その当の次男は、己には無い何かを見付けたらしい長男に、羨望の情すら抱いていた。
「褒めても何も出ないぞ」
長男は、心の端に不安を隠したまま、意地悪く笑う。
それから、あずきの手を握り、「一緒に付いて来てくれるね?」と首を傾げた。
あずきも、元よりそのつもりだったのか、こくりと首肯する。
きび団子の王子の手は、些か強張っていた。
三人が、出立の準備に入る。
しかし、ただ三男のマスカットきび団子だけが、変わらず気持ち良さそうに眠っていた。
TO BE CONTINUED.
2008.12.18
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