恋する君と、恋する心を。
未だ幼い君と、二人の旅路へ。

ダーリンはきび団子
008/ドキドキ・初デート♪

「さあ、起きて、あずき。
出掛けるよ」

そう言われて連れて来られたのは、饅頭の城から然程離れていない、桜茶の滝だった。
桜茶の滝は、ういろうの山を越え、揚げげっぺいの村も二つ程越えた所にある、清廉な癒しスポットだ。

さくら餅姫が城を出て行き、それをチョコレートきび団子が追い掛けて行ったのは、つい昨日の事。
「後で詳しい話をする」と言っていたきび団子は、その後、約束通りにあずきに何かを語る事はなかった。
あずきもまた、何やら考え込んでいるきび団子に問い詰めるだけの図太さも持っていなかった。
そして、そのまま一晩過ごし、突然揺り起こされたかと思うと、いきなりデートのお誘いである。

王を筆頭に城の者は、未だあずきをフィアンセと認めている風はなかったが、以前のように邪魔者扱いしているようでもなかった。
ただ、どう接していいのか分からず、些か手探りで今後の対応を決めかねているようであった。

以前から、それなりにきび団子からあずきの話を聞いていたらしい執事のかしわ餅は、然程態度を変えなかった。
応援する訳でなければ、反対する訳でもなく、ただ軽く嗜めるような事だけを言う。

そのかしわ餅に手渡されたお弁当を風呂敷でぶらさげていたあずきは、きび団子の案内で辿り着いた、目の前に広がる桜茶の滝に目を奪われていた。
頭には、すでに定位置となりつつあるきび団子が乗っている。
その滝を前にして、きび団子は「綺麗な場所だろう」と、何処か誇らしげに言った。

桜茶の滝は、黄味時雨の岩の間からさらさらと流れ、辺りに優しい香りを漂わせていた。
足場には淡い砂糖が敷き詰められ、所々に桃色の雪平の花も咲いている。
和菓子国は色鮮やかで非常に美しい国だが、この桜茶の滝は更に目を奪うだけの壮美なスポットだった。
あずきは最初、「さくら」という言葉に若干棘を感じ、敏感に反応したが、それ以上に滝が美しかった為、その小さな痛みもすぐに吹き飛んでしまった。

滝の近くには、すでに先客が居るようだった。
真っ黒な衣装に身を包んだ高身長の男と、男か女か分からぬ中性的な十代後半程の子が二人、何やら親しげに話をしている。

実際は、黒尽くめの男の方がぶっきら棒に、岩の黄味時雨を摘んでいる中性的な子を嗜めているようであった。
「拾い食いをして腹でも壊したらどうする」と男が言えば、「いいじゃん、美味しいよ」と、中性的な子が男にも食べるように勧める。

二人は決して恋人同士という訳ではなさそうだったが、だからといってただの知人という訳でもなさそうだった。
嬉々として中性の子が話し掛ければ、黒尽くめの長身の男は、「全く」と文句を言いながらも、何処か優しげな目で無邪気な相手を見詰めている。
あずきは、その微笑ましい二人に、小さな声で「いいなあ」と無意識に呟いていた。

しかし、あずきときび団子の存在に気が付いたその男と中性的な子は、さっさと滝から去ってしまった。
何処か他にも行く場所があるのだろう、「失礼」と軽く礼をしながら去る黒尽くめの男は、少し冷たそうな顔立ちをしていた。

あずきは、その先客の二人に同じように会釈をしてから、誰も居なくなった滝の水が溜まっている辺へと近付いた。
黄味時雨の岩に腰掛けようとすると、頭に乗っていたきび団子は、ぽんと先にその岩の上へと降り立ってしまった。
その直後、大きな白い煙が立ち上がる。
この光景も、もう見慣れたものだ。
煙が消えた頃には、其処に優しい顔をした人間姿のきび団子の王子が居た。

「おいで、あずき」

マントを外し、それを敷き布にし、きび団子の王子は座った。
あずきは、そのきび団子の男の横にちょこんと座ったが、王子は違うと首を振る。

「其処じゃないよ、此処」

そう言って引っ張られたのは、きび団子の王子の膝の上だった。
強引な男に、あずきは抵抗する間もなく、相手の胸を背凭れにするように座らされてしまった。
腰には、落ちないようにとしっかり腕を回されている。
しかし、これでは小さな子供が大きな大人に抱えられているようである。

「は、恥ずかしいんじゃけど」
「誰も見てないよ」
「でも」
「ほら、それより滝を見てご覧。
桜の花弁が一緒に落ちて来て、とても綺麗だろう。
此処は願いが叶う滝とも言われていてね、よく正月にはお参りがてら人が集まるんだ」

誰も居なくなった場所で、二人の声と滝の音だけが流れる。
きび団子の王子は、あずきの頭の上に顎を乗せ、前方にある滝を指差した。
滝からは、茶と一緒に桜の花弁が流れている。
まるで着物の振袖のようなその光景に、あずきはつい目を奪われてしまった。

確かに、こんなにも美しい観光スポットだ、皆もこぞって見たくなるだろう。
しかも、願いが叶うとなれば、尚更だ。

あずきは、神秘的な情景を目に映しながら、背中にある男の温もりを感じていた。
きび団子の王子は、ほんの少し抜けているところはあるが、元来は頼り甲斐のある、心の優しい男である。
あずきは、それをここ数日で確りと分かっていた。

「あずき、一寸話を聞いてくれるかい?」

あずきの木履を履いた足が、ちゃんぽんと水に浸かる。
桜茶は冷たく冷えていて、此処まで歩いて来たあずきの足を程好く冷やしてくれる。

その心地良い水に癒され、滝に視線を注いだまま、何処か幸せな心地に浸っていると、頭上でぽそりときび団子の王子が言った。
あずきはくるりと首を後ろに向けたが、「前を向いたままでいいよ」と、きび団子は制する。
あずきは、また目線を前の滝へと映した。

「さくら餅姫はね」

けれど、きび団子の王子から紡がれたその第一声に、ぴくりとあずきは身体を強張らせた。
それに気が付いた王子は、あずきの腰に腕を回したまま、あずきの手をそっと撫でた。

「隣町のお城のお嬢さんでね、僕が幼い頃に、よく遊んでいたんだ。
僕より年下で、チョコきびと同い年でね。
末弟は未だ生まれていなかったから、チョコきびと三人で、それこそ毎日のように一緒に居たよ」

きび団子の王子は、過去の話をぽつりぽつりと話し始めた。
あずきは、目を前に向けたままだったが、先程のように景色を楽しむ余裕がなくなりかけていた。
しかし、きび団子の王子の口は噤まれる風はない。

「その頃から、よく、さくら餅姫が言っていたんだ。
大きくなったら、きび王子のお嫁さんになりたい、って。
それで、僕はいつも適当に流していたんだけど」
「でも、結婚の承諾の話は覚えてないって言ってなかった?」
「あれは嘘なんだ、本当は。
今でも覚えているよ、彼女の要求を呑んだ日の事は」

黙っていたあずきが口を挟めば、きび団子の王子は申し訳なさそうに否定した。
その王子らしからぬ「嘘を吐いた」という過去に、あずきは少なからず驚いた。

何処か天然お馬鹿なきらいはあるものの、このきび団子の王子の根は、とても誠実な男だ。
そんな男が嘘を吐くなど、あずきには想像し難かったのである。

「でも、僕はね、さくら餅姫の事を何とも思っていなかった。
だから、約束だってする気もなかったんだ。
幾ら幼くとも、紛いなりにも僕は王の後継者だ。
守る気もない約束なんて、するものじゃないと分かっていたよ」
「じゃあ、どうして」
「余りに毎日毎日言われていたものだからね。
互いに成長すれば、どうせそんな口約束も忘れると思って、つい一度だけ頷いたんだ。
けど、それがいけなかった」

きび団子の王子は、きゅっとあずきを抱える腕に力を込めた。
あずきは、その許しを請うような腕の上に、そっと己の手を乗せた。
優男とはいえ、あずきには無い、逞しい成人男子の確りした腕だ。
手の甲には、節ばった筋も窺えた。

「僕がいいよと言った時に、弟のチョコきびの酷くショックを受けた顔を見てしまったんだ。
チョコきびは何も言わなかったけれど、ずっとさくら餅姫の事が好きだったんだろう。
僕は、弟の初恋を奪ってしまった」

きび団子の王子は淡々と述べていたが、其処には確かな戸惑いがあるようだった。
幼かった頃の事とはいえ、何か強く思う事があったのだろう。

「それ以来、出来る限りさくら餅姫とは接点を持たないようにしたよ。
三人で遊ぶのも止めた。
僕は、さくら餅姫の事を何とも想っていなかったし、チョコきびの恋も応援したかったしね。
でも、まさか、さくら餅姫が未だにその約束を覚えていたとは思わなかった。
結果、僕はチョコきびとさくら餅姫の二人を傷付けた。
最悪の失態だね」

きび団子の王子の腕の拘束は、益々強くなった。
最初の軽い手の回し様とは、随分の差だ。

けれど、あずきはそれが嫌だとは思わなかった。
寧ろ、自分からもきゅっと王子の腕にしがみ付き、何か言葉を掛けるでもないのに、大丈夫だと念を込めた。

「僕の事を、最低だと思うかい?」
「ううん」
「あずきは優しいね、本当に」

心成しか不安げに問うきび団子の王子に、あずきはふるふると首を横に振る。
その慈愛ある返答に、きび団子の王子の声音は常のものへと戻った。

きび団子はきび団子なりに、当時の事をずっと反省していたのだろう。
そう思うと、あずきも責める事など出来なかった。

「さあ、願い事をしよう。
叶うかもしれないよ」

話を切り替えたきび団子の王子は、あずきの腕を取り、神を拝むように手を合わせた。
どうやら和菓子国でも、お願いをするポーズは人間達と、しかも仏教の世界と変わらぬらしい。
きび団子の王子の大きな手に包まれて、あずきの小さな手が重なる。
あずきは、心の中で、そっとささやかな願い事をした。

早く、きび王子も、さくら餅姫も、チョコきびさんも、幸せになれますように。

あずきが一番に願ったのは、それだった。
我が家への帰宅ではなく、当たり前のように出て来たのは、他人の幸せを思い遣るものだった。
つい数日前のあずきであれば、考えられない事だ。
勿論、あわよくば、その幸せの輪の中に自分も入っていればいい。
ついでのように、そのような想いも付け足した。

「あずきの初潮が早く来ますように」

しかし、心の中であずきが願っていれば、きび団子の王子は声に出して、事もあろうか非常に破廉恥な願い事をしていた。
驚いたあずきは、閉じていた目をばっと見開き、後ろを振り向いて抗議する。

「ちょ、ちょっと、きび王子!」
「あずきのお願い事は何?」
「そんな変な事、お願いせんでよ!」
「変な事じゃないよ、僕の切実な願いだ」

先程までのしおらしさは何処へやら、きび団子の王子はニコニコしたまま言ってのけた。
やはり、この男の本質は純粋で、誠実で、しかし大事な所がボケているらしい。
その上、願掛けだけでは満足出来なかったのか、きび団子の王子は、ゆったりと膝の上で寛いでいたあずきの下肢に腕まで突っ込んできた。
この矢庭なセクハラに、あずきは色気の無い悲鳴を上げ、思い切り力を込めてアッパーをかました。

拳は見事にクリーンヒットし、男を人間の姿から、ただの球形の和菓子へと戻らせていた。
そのせいで、空中高く打ち上げられた小さなきび団子は、大きな円を描いてぽちゃんと滝の中へと入って行った。
あずきは、そんなきび団子の安否を心配する事もなく、大きな声で「馬鹿ー!」と叫ぶ。
滝の近くは小さな森になっているので、あずきの声も山彦のように響いた。

あずきの声の後、またもや人間の姿に戻ったきび団子は、悪びれた様子もなく、びしょ濡れのまま顔を出した。
どうやら、水に浸かるか否かの辺りで人間の格好へと戻ったらしい。
きび団子のままでは、水に濡れてふやけてしまう恐れがあるからだ。

「あれ?」

だが、すいすいと泳いでいたきび団子の王子は、不意に首を傾げて己の手を見た。
先程、あずきの下着の中に突っ込もうとした指の先が、ほんのりと赤く染まっていたのである。
どうやら血のようだ。

もしや先程の衝撃で怪我でもしたのだろうかと思うも、何処も痛くも痒くも無い。
確かに思い切り殴られた顎は痛んだが、それで出血する程のものでもなかった。
となると、考えられるのは、ただ一つ。

「あ、あずき!
これはもしかして」

あずきに初潮が来た。

そう察したきび団子の王子は、驚きと喜びを一杯に孕んで声を上げた。
滝に掛けた願いが、早速叶ったのだ。
しかし、きび団子の王子が目を遣った先には、あずきと一緒に、見慣れぬ男が立っているではないか。

きび団子の王子のさらさらした髪とは正反対の、くるくると柔らかそうな茶色の短い髪。
根元は焦げ茶だが、毛先は淡い茶掛かったクリーム色に染まっている。
顔こそ端整なものだが、優男のきび団子の王子とは反して、そのきりりとした目にはワイルドな魅力。
この和菓子国では見た事のない、野生的な美丈夫だ。

その男は、ただ共に立っているだけではなく、口を塞ぎ、あずきを後ろから羽交い絞めしていた。
ただならぬ状況に、きび団子の王子ははっと顔を引き攣らせる。

「んー、んー、んー!」
「あずき!」

見知らぬ男の腕の中でもがくあずきに、きび団子の王子は名を呼んだ。
あずきも、小さな腕を精一杯伸ばして、きび団子の王子に助けを求めている。
だが、王子は未だ滝壷近くの水の中に居る。
手を伸ばして届くような距離でもない。

きび団子の王子が慌ててあずきの方に泳いで行こうとすれば、怪しげな男は、さっと辺りに目配せした。
途端、周りからは見た事もないジンジャークッキー達が、フォークを持って現れた。
伏兵だ。

「ボンジュール、きび王子。
油断したようだな」
「誰だ!」
「俺様は洋菓子国の皇太子、シュークリーム王子だ。
この娘は、この俺様が貰って行く!」
「何だと?」

フォークの切っ先をきび団子の王子に向けたクッキー兵達は、未だ水に浸かっている王子へじりじり近寄って来た。
きび団子の王子は、武器も何も持たずに此処まで来てしまった事を後悔した。
しかし、十分に悔いる間もなく、シュークリーム王子だと名乗った男は「アデュー」と、あずきを小脇に抱えて走って行ってしまった。

「あずき!」

きび団子の王子は、根限り叫んだ。
あずきも、解放された口で、涙を一杯に含んだ声で助けを求めている。

あずきの悲痛な泣き声に、きび団子の王子は、ちっと舌打ちを打った。
どうやら、簡単にこの場は切り抜けそうもない。
だからといって、みすみす負けを認めて、あずきを手渡す気も毛頭なかった。





TO BE CONTINUED.

2008.09.02


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