こんな気持ち、知らない!
こんな感情、要らない!
こんな想い、知りたくない!

だけど、恋とはそういうもの。
幼い子は、未だそれを掴めていない。

ダーリンはきび団子
005/無理難題

あずきは困っていた。
突然設けられた話し合いの場。
応接室らしい部屋に通されて、横にはきび団子、正面にはさくら餅姫と王である饅頭。
まるでこれから裁判でもなされるような空気の重さだ。

「さて、きび王子」

落ち着いた声で王が言う。
あずきは、その方をちらと見たが、目線をずっと合わせるだけの度胸もなく、すぐに下方へと視線をずらした。

「何ですか、父上」
「先程の、証拠とやら。
どうやって見せるのか、説明してくれないか」

きび団子は、態度こそは凛としたままだったが、その後は上手く返す事が出来ないでいた。
勢いのまま口にしてしまった買い言葉。
愛する女が貶されている事に我慢ならず、つい言ってしまったが、実はその後の事などとんと考えていなかったのだ。

「わたくしに良い考えが」

きび団子が沈黙していると、さくら餅姫が口を開いた。
ピンクの生地が愛らしく、また、とても美味しそうで、たとえ人間でなくとも見惚れるだけの高貴さを持っている。
未だ成長しきれていないあずきなど、比べ物にもならない。

きび団子とて、人間になれば非常に端麗な顔になる。
絵本から飛び出して来たような、整いすぎた優男になる。
このさくら餅姫も、さぞかし美人になるのだろうなと思ったら、やはりあずきの心がちくちく痛んだ。
この十四年間一度も味わった事の無い、嫌な胸の痛みだ。

「このお城から数キロ歩いた先に、汁粉沼がありますでしょう」

さくら餅姫は、頭に乗っている赤茶色の葉を優雅に揺らしていた。
ぱちりと開いた目に付いている睫毛が、つんと上を向いている。

「その汁粉沼に、金の玉が落ちていると言います。
わたくしにそれを見せて頂けたら、考えてもいいですわ」

つんと言ったさくら餅姫に、きび団子は「そんな無茶を」と言った。
だが、王はさくら餅姫の提言に、それはいいと声を上げた。

「汁粉沼には、幻の金の玉があると言ったな。
確かに、それを見つけ出す事が出来るようであれば、認めてやっても良いかもしれん」
「しかし、父上。
汁粉沼がどれだけ大きいか分かっているのですか。
あんな所で、あるかどうかも分からない、たった一つの金の玉を探すだなんて、無理にも程がある」
「だが、それくらいの事をしてくれなければ、お前の妻として認める訳にはいかんな。
ただでさえ、何の取り得もなさそうな娘さんだ。
それくらいの奇跡を起こす力がないと」
「そのまま汁粉沼にはまってしまったらどうするんですか。
たとえ人間であったとしても、あそこは底無しだと言われているのですよ。
溺れ死んでしまうに決まってる!」

きび団子は、提案された内容に大いに文句があるようだった。
それもその筈で、あずきは知らないが、その汁粉沼というのは、足を滑らせ、溺れた者は助からないと有名な底無し沼だった。
時折、命を顧みない無謀な輩が、その幻の金の玉を探そうと躍起になるらしいが、その大概が汁粉に呑まれて帰らぬ者になるか、途中で根を上げるかのどちらかと言われていた。

あずきは、きび団子の尋常ならぬ顔付きに、正体の分からぬ不安に押し潰されそうになった。
そもそも、何でこんな所に居るのだろう。
本来なら、さっさと家に帰っている筈なのに。

そう思えば、この状態が道理に合って無い気もした。
だからといって、そんな事はしたくないと、強く出るだけの勇気もなかった。
ぴりぴり張り詰めた空気の中で、一人場違いな事を言う度胸など、未だ十四歳の小娘にはなかったのである。

結局、その無理難題は押し通される事となった。
きび団子は最後まで駄目だと言っていたが、満場が一致してその案が進められてしまった。
あずきも、これでいいかと同意を求められ、皆の強過ぎるプレッシャーに頷くしかなかった。
本当は、そんな事などどうでも良かった上、あわよくば家に帰りたいと願っていた。
けれど、やはりその要望も通されなかった。

そもそもきび団子の訳の分からぬ我儘によって始まった騒動だ。
汁粉沼など危険な場所には行かせたくないと、命を庇護するような事こそ言ってはくれたが、それでも事の発端はきび団子の一方的な求婚から始まった。

あずきは、きび団子の事など愛していなかった。
ただ、余りに心地よいキスには流され、傍に居れば落ち着くな、程度は思っていたが、明確な恋愛感情とはまた違っているように思っていた。
勿論、さくら餅姫が現れてから感じた胸の痛みも、まさか恋に纏わる何かとは思いもしなかった。

話し合いが終わり、王である饅頭や、お后であるいちご大福、執事のかしわ餅など、城の関係者は皆部屋を去っていった。
きび団子は、何処か神妙な面持ちで黙っていた。
あずきも、椅子に腰掛けたまま、微動だに出来ずにいた。
普段使わせて貰っている私室に戻るにしても、皆に混じってワイワイと帰るだけの図太さは無かった。

やっと静かになった頃には、きび団子とあずきだけが残されていた。
あずきは、ちらと横に居るきび団子を見てみた。
丸い球形をしているきび団子もまた、あずきを見上げていた。

「御免よ、僕が不甲斐無いばかりに」

きび団子は、頭に乗せている王冠をテーブル上に置き、静かに言った。
だが、その声と同時に、あずきの目からは大粒の涙が零れて来た。
決して可愛いとは言い難い崩れた顔つきで、ぶるぶる震えて唇を噛み締める。
それでも、溢れて来た涙は止まる術を知らなかった。

きび団子は、咄嗟に人間の姿に変身した。
そして、あずきをすっぽり包めるだけの成人男子の腕で、優しく彼女を抱き締めた。
きび団子の王子の腕の中は、あずきの大好きなきび団子の香りで一杯だった。
それは、実家で経営しているちさか屋と同じ、酷く懐かしい香りでもあった。

きび団子の王子が大きな手の平で背中を撫でてくれれば、えぐえぐと引き攣った声がほんの少し落ち着いた。
頭一つ半程違う高身長の男の顎は、あずきの頭の上に乗せられていた。
まるで父のようだと見紛うその逞しい男の胸からは、母のような無償の愛も感じ取れた。

男の腕に抱かれながら、あずきは色んな事を頭の中に巡らせていた。
帰りたいという感情が一番に働いたが、何故かそれを掻き消すだけの不安も何処かに住み着いていた。
たとえば、己が帰った後、きび団子とさくら餅姫が二人一緒に仲良く暮らすとする。
その光景は、想像しただけで嫌悪されるものだった。
寧ろ、名前も知らぬ真っ黒い感情が、心臓から飛び出してきそうだった。

初めて味わう醜い心の揺れに、未だ幼いあずきは泣く事しか出来なかった。
自分が何をしたいのかも分からなくなって、パニックを起こしていた。
それを、きび団子の王子は分かっているのかいないのか、ただ柔く抱擁するだけで、言葉は何も掛けなかった。
けれど、あずきにとって、それは有り難い事でもあった。
今何かを言われても、それに返すだけの余裕もなかったのだ。

漸く落ち着いてから、きび団子の王子はあずきの顎を片手でくいと持ち上げた。
この行動の流れを、あずきは知っていた。
人間の姿になっているきび団子が、身長差があるあずきにキスをする際、決まってやる所作だ。

ぐいと上に持ち上げられた顔は、未だ涙でぐちょぐちょではあったが、それすらも愛しいのか、きび団子の王子はふと目を細めた。
そのまま互いの唇が近付いていく。
慣れているようでいて全く慣れていないあずきだが、今は跳ね除けるだけの元気もなく、ただ為すがままにそれを受け入れようと目を閉じた。

「待ちなさいよ」

折りしも、後少しで互いの影が重なるという時、透き通った高い声が部屋の中に響いた。
どきりとしたあずきが其方を見れば、見た事もない美人がドアの傍に立っている。

「貴方がたは、未だ公認の仲ではないのでしょう?
そのような破廉恥な行為は、止して貰えないかしら」

前髪を横に流し、長いピンクの髪の毛を上方で一つに束ね、裾がデコレーションケーキのようにふわりと拡がった愛らしいワンピースドレスを着た、十代後半程の美しい娘。
つんと尖った小さな鼻に、猫のように大きく吊った目。
ふっくらした唇は、何処か和菓子の生地を思わせる。



「さくら餅姫、か?」
「そうよ。
私だって人間の姿になるなど、造作も無い事。
そんな貧相な娘よりも、随分と綺麗だと思うけど?」

つんけんした言い方をする女は、正しくさくら餅姫の人間の姿だった。
きび団子は、一度あずきの背を軽く叩いてから、ゆっくりと身体を離した。

「どうして僕達の仲を邪魔するんだ?
君に恨みを買った覚えなど無いが」
「言ったでしょう、ずっと好きだったって。
わたくしは、貴方の妻になる為だけに此処まで美しさに磨きをかけたのよ」
「父上に何かをかどわかされているなら、止めた方がいい。
さくら餅姫、君は」
「きび王子、貴方は本当に何も分かっていないのね。
わたくしは、小さな頃からずっと貴方だけしか見ていなかったわ。
貴方の妻になるのだと、ずっと信じて来たのよ。
小さな頃にも言っていたわ。
そうしたら、貴方はわたくしを妻にしてくれると言ったじゃない!」
「それは、本当に幼い頃の話だろう。
僕はその時の事などほとんど覚えていないし、何より君に恋愛感情など抱いた事も無い。
仮に結婚の約束をしたとしても、それはただのママゴトだ。
子供の遊びの延長で言ったに過ぎない」

きび団子の王子の態度は、あずきに対するものとはころりと変わり、さくら餅の姫にきつく当たった。
それが気に入らなかったのか、かっとなったさくら餅の姫は、近くにあった花瓶を掴み、あずきの方へと投げて来た。

「何をする!」

さくら餅の姫の暴挙に咄嗟に反応したきび団子の王子は、その花瓶ごと身体で受け止めた。
ばしゃりと音をたてて、きび団子の王子の黒のストライプスーツと赤マントは濡れる。
庇われたあずきにも、数滴、水が飛び散ってしまった。

「きび王子はわたくしのものよ!
誰にも渡さないんだから!」

癇癪を起こしたさくら餅の姫は、怒鳴って部屋を出て行った。
ハイヒールの駆ける音が、どんどん遠くなっていく。

あずきが先程まで流れていた涙の跡に手を遣れば、その頬はカピカピに乾きつつあった。





TO BE CONTINUED.

2008.08.28


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