切なる願い。

貴女が僕の事しか考えられなくなればいい。
僕の事が脳裏に焼きついて、離れなくなるくらいに。

その為には何だって出来る。
貴女の気を引く為なら、どんな自分にもなれる。

たとえ誰かに卑怯だと言われても。
詰られてもいい。
蔑まれてもいい。

それでもいいから、貴女が欲しい。

ねえ、だから僕は時に思うのです。
僕の吐き出した欲が、貴女の身体の中から全てを侵略していく事が出来たなら。
中から貴女を壊して、蝕んでいって。
本当の種みたいに植え付けて、根を張って。

そんな事が出来たなら。
なんて、なんて素敵なんだろう、と。

ねえ、貴女。
そうしたら。
そうしたら、何度も貴女の中に注ぎ込んでもいいですか。
僕の全てを搾り出して、繰り返し、繰り返し、貴女の全てを喰らい尽くすように。

THE CARD GAME
012/DEATH MATCH

「ハアー」

日は暮れかかり、オレンジ色の雲が美しく空に浮かんでいる。
風は少しばかり止んでいるが、それでも肌には心地良い。

男は、長身の身体を猫背に丸め、ポケットに手を突っ込みながら、小さな溜息を吐く。

「体が怠いネ」

独り言を呟き、ぶらぶらと歩くのは、人通りがない裏通りだった。
辺りには人が住んで居なさそうな古びた建物があるだけで、申し訳ない程度に設置されている切れかけた街灯が、ちかちかと道を照らしている。

其処を、銀髪の男ジョーカーは、ただ目的の場所へと歩を進めていた。
足取りは心なしか重い。
久方ぶりに身体に疲労が溜まっている。

何より、それ以上に、不快な想いが胸にずっと引っ掛かっていた。

自分が関与していない間に、飛鳥が他の女と関係を持っていた。
それが、異常に気に食わない。

すると、その時。
この場に不似合いな、鈴を転がしたように透き通る声が、男の背後から響いた。

「今晩は、ジョーカー」

それは、今、男にとって一番耳にしたくない声だった。
普通の人間ならば、その可愛らしい声に、どきりと胸を高鳴らせる事もあるだろう。

だが、今のその男にとっては、ただ煩わしいもの以外、何物でもなかった。

「yeah, queen」

不愉快な想いを隠しもせずに男が振り返ると、其処には桃の髪とパステルの布を纏った少女、ハートのクイーンが立っていた。

柔らかそうな髪からは、甘い妖艶な匂いが漂っている。
ふわふわと広がっているスカートの下からは、細くてしなやかな下肢が二本覗いていた。

「こんな所で会うなんて、珍しいネ。
アンタみたいなお嬢様が、こんな辺鄙な道歩いてたら危ないんじゃない?」

からかうように男が言えば、少女は剣呑に目を細めた。
その硬い表情が気に入らなかったのか、男は片眉を持ち上げ、目の前の相手を上からぐっと見下ろした。
緊張しているのだろう、少女は頼りなげな膝を僅かに震えさせている。

「待ってましたから」
「待ってた?
誰を」
「貴方をです。
この辺りに貴方のお家があると聞きましたので。
私、貴方にお話が」

未だ幼いながらも色気を十分に纏った少女は、男の無言の威圧と視線に耐えられなかったのか、若干下を見たまま小さな声で言葉を紡いだ。
握り締められた拳も、ふるふると力無く震えている。

男は、唇の端を上に持ち上げ、余裕めいた笑いを零した。

「アア、奇遇だネ。
俺もアンタに話があったの」

ふんと鼻にかけるように吐き捨てれば、少女は僅かに驚いた表情をして顔を持ち上げた。

自然にかち合う二人の視線。
男は変わらず見下す眼差しで相手を見た。

「まあ、家にあげてユックリ茶でも啜りながら話したいとこなんだケド。
残念、ソレはチョット御免被りたいんだよネ」
「ええ、勿論構いません。
此処で」
「ン、そうだネ。
此処で十分。
アンタ、アスカの匂いをプンプンさせてて凄いムカつくし。
下手したら、このまま殺しちゃいそうだしネ」
「え?」
「アンタ、風呂には昨夜ちゃんと入ったの?
汚らしい」

さらりと侮蔑する言葉を忘れず、男は少女に鋭い視線を送った。
しかし、少女はその男の挑発に触発されたのか、肩に力を入れて大きな眼で睨み返してきた。

二人の空気は、急にぴんと張り詰めた。
近くでは、ちりちりと電灯の切れかかる音がしている。

「私をどうしようが勝手です。
貴方にはそれが出来るでしょうから。
しかし、マスターで遊ぶのは止めていただけませんか。
それだけは、どうしても我慢出来ません」
「ハア?
誰が誰で遊んでるって?」

少女は男に食って掛かるように反論した。
だが、その予想もしてなかった科白に、「聞き捨てなら無い」と、男も必要以上に反応した。

「貴方が、マスターで」

返された言葉に、男の不快感は頂点に達そうとしていた。

元々猫背なところを更に曲げ、ぎろりと少女を覗き込む。
睨みあげたその先にあったのは、淡い色をした大きな眼球。
水色の透き通ったガラス玉が、酷く熱く燃え、強い意志を秘めている。

「アンタ、ふざけてんの?
適当な事言ってたら、ただじゃおかないヨ」
「ふざけてなど、いません」

一言一句、凛とした態を少女は崩さなかった。
それすらも気に入らなかった男は、思い切り顰め面をして少女に見せた。

夕日は男の銀色の髪を橙に染め上げていく。
それが、寄せた眉間にも濃い影を作る。

「とにかく、それだけ言いに来ました。
お時間を取らせてすみませんでした。
では、私はこれで」

他者が見ると、ごくりと唾を呑み込んでしまいそうな程に、緊迫した空気。
その空気を終わらせるように、少女はくるりと踵を返した。

かち合っていた視線が外れた瞬間、少女の肩に入っていた力も、ほんの少し緩んだ。
正直、この緊張した空気に少女は慣れなかったのだ。

「hey」

しかし、相手の男はそうではなかった。
呼び止める言葉を一言発した後、気が治まらなかった怒りをそのままに、ぐいと少女の腕を掴んだのだ。

力が入り過ぎたのか、男の長い爪は、細い彼女の上肢に食い込んだ。
少女は未だ十代半ば。
男はそれよりもずっと年を取っている。

だが、嫉妬に年齢は関係ない。
手加減なんてものは、出来るはずがなかった。

この少女は、己に勝ち誇ったつもりなのだろうか?

そう思うと、銀髪の男の胸中で、苛立ちの針が一層大きく揺れた。
憎らしい。
こちらが先に目をつけたのに、自分のものだと唾をつけておいたのに…、矢庭に飛鳥の心を奪っていくだなんて。

「queen, チョット、アンタ」
「何ですか」
「アスカの事好きなんだろうけど、あの子、元々は女だからネ。
それに、身の程を弁えなヨ。
マスターである彼女に各下のアンタが釣り合うと思ったら、大きな間違いだ」
「十分、承知しています」

≪挿絵≫

少女は男の方を振り向いて応えた。
そして、「離して下さい」と小さな声で呟いた。
痛みの為か、目元は強く顰められている。

そのか弱そうな態に、男の僅かながらの冷静さは、更に掻き消されそうになった。
己の持っていない、けれど今は男である飛鳥が好みそうな風体に、更に苛立ちを感じたのだ。

そもそもこの少女に会う一寸前まで感じていたのは、この少女に対する嫉妬だった。
本人に会わぬままだから、少しは増しだった。

けれど、こうも目の前でその魅力を振り撒かれては。
その上、宣戦布告紛いまで言われては適わない。

只でさえ落ち着かなかった心が、益々どす黒く染まっていく。

「一々ムカつくヨネ、アンタ。
今まで大人しくしてたから、イイ子だと思ってたのに」
「何を」
「ネエ、何がアンタをそんなに付け上がらせてるの?
身の程知らずの恋?
一種の気の迷い?
そんなに発情してるのなら、俺が犯してあげよっか?
今すぐこの場で、二度と立ち直れない程に、酷く痛く」

言葉と共により強く握られる少女の腕。
男の身体から香る遊廓特有の香りと、禍々しい憎悪。

少女は酷く悲しそうな顔をして、大きな瞳一杯に無言で涙を溢れさせた。

「二度とその面をアスカの前に晒すな。
あの子は俺が先に目を付けた。
もう俺のモノなんだから」
「そんな」
「don’t be silly, crazy girl !」

ぶつけるように吐いた男の科白と共に、強く握られた腕からは骨が軋む音がした。
それこそギチギチと、このままいくと恐らく折れてしまうだろう程にだ。

少女は、苦痛の余り呻き声を零した。
辺りを照らしていた電灯も一つ、完全にぶつりと切れてしまった。

それを合図に、少女は思い切り男を突き飛ばして走り去った。
少女の瞳からは大きな雫が一つ頬に零れたが、電灯が切れてしまったせいで、その涙を男が見る事はなかった。





TO BE CONTINUED.


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