此処は、あんたの夢の中。
だから、あんたは『マスター』、所謂『主人』と呼ばれる訳で。

マスターの身体が男になっている訳?
ああ、細かい事は分かんないけど、大方、潜在意識で望んでたんだろ。
それか、余程男っぽい気性だったのか。
違うか?

それから、さっきの奴。
自分では『クラウン』なんて言ってたけど、俺らは皆『ジョーカー』って呼んでる。
何の枠にも捉われない自由気ままな奴だから、結構嫌われてるらしいけど、俺は割と好きなんだ。
皆知らないだけで、本当はいい奴なんだぜ。

他に、この世界には、『キング』とか『クイーン』、あんたを含む『エース』や『デュース』。
その他にナンバー各々…。
例えば、『スリー』とか『ファイブ』とか、数字の三から十までが各四人居る。
だから、俺以外にも『ジャック』って奴が後三人居る訳。

ちなみに、あんたはエースという位だけど、スペードのエースだけ、特別に『マスター』って呼ばれているんだ。
つまり、別名『マスター』ってところだな。

後、ジョーカーは二人。
で、この世界の合計人口は、四駆ける十三足す二で、五十四。

ああ、いやいや。
あんたの世界と違って、ちゃんとした名前じゃないよ。
てゆうか、この世界の住人に正式な名なんてない。

ジャックっていうのも…、うーん、そうだな。
あんたらの世界でいう、社長とか、課長とか、そんな位とか役職名みたいな感じ。
俺らはそういうのを、『ランク』って言ってる。

ん?
いや、だから俺に名前はないって。
本名って事だろ?

ないない。
けど、『モデルネーム』ってやつが、高ランクの奴のみ付いてるけどな。

あー、そうだな。
所謂、あだ名ってやつか。
俺は一応、『ヘクトル』っていうんだ。

でも、そのモデルネームで呼び合う奴らなんて、基本的にこの世界には居ない。
覚えるだけ無駄だし、俺らは個人に執着しないから。

ま、あんただけは別だけどな。
あんたのランクはエースだけど、スートがスペードだし。
この世界の頂上に君臨する奴だし。
だから、さっきも言ったように、あんただけはそのモデルネームである『マスター』って呼び名で呼ばれるんだ。

あ?
いや、ジャックって呼べよ。
気持ち悪い。

だから俺らは嫌うんだって、そういう名前で呼ばれるの。
ま、同じランクがこの世界には四人いるから、紛らわしい事は紛らわしいけど。

あ、そうそう。
四人揃った時、どうしても各々使い分けたい時は、モデルネームじゃなくて、スートとランクを合わせて呼ぶんだ。

え?
『スート』?

ああ、『スート』ってのはな…。

THE CARD GAME
003/好きになれ

「スートってのは、スペード、ハート、ダイヤモンド、クラブっていう、四種類のマークの事」

歩きながらそれだけ簡単に説明した直後、ジャックという少年は口を閉じた。

しかし、飛鳥にとってはそれだけで十分だった。
寧ろ十分過ぎて、限度を超える程だった。

というのも、少年の口から出てくる言葉といえば、何やら聞き慣れない難しい片仮名だらけで、頭が付いていかなかったのだ。
況してや、飛鳥は突然この世界に来たばかりの身だ。
そのような異世界の話をぺらぺらと話されても、理解できる訳がない。

だから、彼がそこで説明を切った事に、飛鳥は内心ほっとしていた。
尤も、これ以上話されても、聞く気など毛頭なかったのだが。

「着いたぜ、此処」

そう言って、少年が立ち止まって指差した場は、仄暗い電灯が印象的な、和風テイストなスラム街だった。
それは余りに珍妙だったが、滑稽な雰囲気とは打って変わって、がやがやと沢山の人で賑わっていた。
大方、市場か商店街の類なのだろう。

余りに人が多過ぎるせいか、飛鳥には数メートル先も確認する事が出来なかった。
少年が先刻言っていた、「人口は全部で五十四」という話も、果たして本当なのだろうかと疑いたくなる程だ。

「ジャック、ちょっと待ってよ」

しかし、ジャックは飛鳥に構わず、ずかずかと先へ進んで行った。
込み合う人の固まりの中も、器用に縫って歩いている。

彼にとってはこのような場所も慣れたものなのだろう。
もしかしたら、生活の場の一部なのかもしれない。

だが、飛鳥はこのような人混みは見た事すらなかった。
少年に置いていかれないように足早で歩くものの、人混みの中に入って行けば、身体がぎゅうぎゅうと押し潰される。
心成しか、酸素も薄いような気がした。

それでも何とか歩を進めて行くと、果物屋、玩具屋、酒屋、その他にも沢山の小さな店の集まりが確認できた。
どの店も地味で薄汚れてはいるものの、所狭しと並んでいるその様は、縁日の屋台すら彷彿とさせる。
それらに見入りながらも、飛鳥はひたすら少年を追い掛ける。

目印は赤だった。
真っ赤な彼の頭髪は、人込みに混じってもふわふわと小さく揺れている。

それを目掛けて、飛鳥は己の足を動かした。
他の住民も、普通の人では有り得ないカラフルな身なりではあったが、少年の真っ赤に燃えるような髪は、群を拭いて鮮やかに映えているのだ。

しかしながら、彼の身長は低過ぎた。
少しでも目を離した隙に、その姿は背の高い大人達に飲み込まれていく。

現に、本人もそれをコンプレックスにしているのだろう、厚底のブーツを履いている。
その底の厚さは余りに高過ぎて、逆に不自然にも思える程だ。

だが、それも無ければ、飛鳥は益々もって彼を見失ってしまっていただろう。
目移りしそうな魅力的な商店街の中、頼りなげな目印から目を極力離さぬよう、飛鳥は歩く。
途中、「少しは待ってくれてもいいのに」などとぶつくさ独り言も零しもした。

「ん?」

その時だった。
飛鳥の鼻をふわりと擽る、柔らかい香りが漂って来た。

それは至極甘美で、何所か美味しそうなフルーツの花のような。
それでいて、何故か叙情的、且つ扇状的な。

すぐ近くには強烈な匂いを出しているお好み焼き屋の屋台があるというのに、それにすら退けをとっていない、強くて確かな、甘い匂いだった。

「何だ、これ」

その香りについ気を取られた飛鳥は、早めていた足をぴたりと止めた。
そして、その臭源を探そうと、辺りをぐるりと見渡した。

最初に目に付いたのは、花屋と果物屋だった。
けれど、其処からは当の飛鳥を惹きつける程の良い香りはしなかった。
先刻、まるでお酒に酔ったかと思うくらいにふらりと頭は揺らいだのに、それ程までの強烈な匂いの正体が、其処からは見当たらなかった。

おかしいと思い、飛鳥は再び周りをきょろきょろと探った。
赤髪の少年の存在は、もう半ば忘れかけていた。

あれでもない、これでもない。
そう一人呟きながら、飛鳥は目を四方八方へと向ける。

すると、花屋のすぐ傍に佇んでいる一人の少女の所で、その目はふと止まった。
否、止まってしまった。

飛鳥の目を引いた少女は、薄桃の長い髪をゆるゆると腰まで伸ばし、その髪の色とよく似たパステルのワンピースを纏っていた。
目はぱちりと大きく、ふっくらとした唇が熟れた果実のようで、顎のラインもすっと形よく通っていた。
手足も目を見張る程に細く撓っていて、肌の色は透き通るように白かった。

年は大体十四、五だろうか。
何処かあどけない趣も孕んでいる。

飛鳥は、一目でこの娘に興味を引かれてしまった。
美しい容姿をした少女の周りだけが鮮やかに映り、辺りは全く価値が無いかの如く、ぼんやりとぼやけてしまった。

自分とは全く違う雰囲気に、可愛らしい容貌。
『少女』という名詞は、彼女の為だけに存在するのかもしれないというほど可憐でもあった。

その娘は、飛鳥の視線にすぐに気が付いた。
そして、手に持っていた花を元あった花屋の棚に添え、にこりと微笑んできた。

飛鳥は、少女の周りにあった花達が釣られて、満開に咲き誇った幻覚を見た。
まるで夜の中に一度に春がやってきたようだった。

「…あ」

どきん、と胸が鳴った。
口からは自然と声が漏れた。
それと同時、身体はその少女に引き寄せられるように向かって行った。
抗う術など何処にも無かった。

それは宛ら、甘い蜜に誘われた蝶や蜜蜂。
何に興奮しているのか、手はかたかたと震え、全身もぐんと熱くなっていた。
特に、下肢の奥ばった箇所は、ずくんと派手に脈を打っていた。

「マスター?」

その時、ジャックの呼び声が遠くから聞こえた。
けれど、その呼び掛けは、きちんと飛鳥の耳に届かなかった。





TO BE CONTINUED.


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