初めて見る男。

世にも珍しい色をした髪の毛。
切れ長の瞳。
形のいい鼻に、平べったい唇。

それらの全てを統合して、その男が美形の類なのだろう事は、私にだって分かる。
たとえ一度も誰かと交際なんてした事がない私にでも、それくらいは分かる。

けれど、そんな男が口にしたのは、何も脈絡もない、ただいきなりなだけの告白。

さて、そんな時。
貴女ならばどうする?

THE CARD GAME
002/ジョーカーのキス

今度は飛鳥が目を丸くさせる番だった。

今、目の前に居るこの男は、私に何と言った?
そもそもマスターって?

飛鳥は、流暢で耳辺りの良い英語と、やけに片言な発音の日本語を混ぜて喋る美青年に向かって、「はあ?」と投げ掛けた。
しかし、その当の飛鳥の頭を悩ませている人物は、気持ち悪い程にニコニコとしたままだ。

「現状が理解できてナイ?
アア、そうだ。
そんな事より、本当の名前は『アスカ』だよネ?
俺の事はclownって呼んでネ」
「は?
ていうか、マスターって?
あんたら誰?
初めて会うくせに、何で私の名前まで知ってんの?」
「だから、俺はclown, 彼はjack,
アンタはこの世界のmasterダヨ」
「はあ?」

どうも噛み合わないらしい会話に、飛鳥の頭は益々こんがらがった。
何が何やら理解できなかった。

そもそも、なぜ初対面の相手が自分の名前を知っているのか甚だ疑問であったし、マスターという名前で呼ばれる事も不可解だった。
それ以前に、此処が何処なのかすら分かっていないので、まずはそこから教えて貰うべきだった。

けれど、飛鳥がそんな調子でも、話はとんとんと進んでいった。
一人置いてけぼりを食らった飛鳥は、「何だこいつら、ぶっとばしてやろうか」などと乱暴な事も考えたが、ジャックと紹介された少年が口を挟む事によって、それも実行されなかった。

少年が羽織っている長いコートは、身の丈に合わずとてもアンバランスだ。

「何言ってんだよ、ジョーカー。
あんたの名前はジョーカーだろ。
クラウンて何だよ、そんな名前、初めて聞くよ」
「jackは今まで通りjokerって呼べばイイヨ。
俺はアスカにclownって呼んで欲しいだけ」
「てゆうか、マスターの名前をそんなに馴々しく呼ぶのはまずいだろ。
あんた消されるんじゃないの?」
「そんな事ないさ。
アスカは俺の事が好きなんだから。
ネ、アスカ」

そこまで言われて、飛鳥は今度こそ迷わず右手拳を上げた。
軽々しく口をきいてくる男に腹が立ったし、訳の分からない事を言われ、からかわれている気がして癪に触ったのだ。

それに、こういうタイプの男は、昔から大がつくほど嫌いだった。
自分の周りには今まで居なかったタイプだ。
否、意図として寄せ付けなかった類の男だ。

初対面の相手にチャラチャラと生半可な睦言など囁いて、況してや勝手に恋仲にまで発展させられて。
礼儀知らずとか、不躾とか、そういったものはすでに通り越している。

口より手が早く動いてしまうのは、飛鳥の昔からの悪い癖だった。
姉にも、「暴力は駄目」などと、よく叱られたものだ。

しかし、そんな注意など無視して飛鳥の拳が相手にめり込む事は、日常茶飯事だった。
小さな頃、男連中と居る時期が長かったせいか、女のくせに、飛鳥はやけに喧嘩慣れしてしまっていた。

だが、今は拳が中途半端に空の中にあった。
何故だか目の前も銀色に覆われている。
今までにない展開だった。



どうしてだろう。

飛鳥は考えた。
けれども、分からない。

何が起きたというのだろう。

一瞬にして目の前が一色になって、チュっというふざけた音をたてて。
クラウンと名乗るジョーカーという男は、飛鳥からすっと身体を離した。
それに伴って、飛鳥の視界も一気に開けた。

飛鳥は何が起きたのかすぐに理解できず、ただきょとんと目を見開くだけだった。
先程まで男に触れられていた部分が、やけに生温かい。
否、風に当たってひんやりと冷たい。

初めて味わってしまった、ふわふわした他人の肉が直に当たる奇妙な感触。
味など分かる程ではなかったが、触覚だけは確かに覚えた。
忘れられるようなものでもなかった。

飛鳥は、男に不意打ちのキスをされた。
それも、全く予想だに出来ずに、可愛らしいリップノイズなどたてて。

「お、お前っ」
「アハハ、アスカが怒っちゃった。
fisrt kissだもんネ、無理ないか」
「な、な、な、何を言って!」

もう頭の中はパニック状態だった。
いきなりの展開に思考回路がついていかなかった。

彼が言った「ファーストキス」という言葉も本当の事だったので、うまく文句も言えなかった。
湧き出てきた言葉が、中途半端に飲み込まれてしまった。

「じゃあjack、また後でネ。
俺、queen待たせてるから、後はヨロシク」
「ああ、分かった」

だが、一人地団太を踏まんばかりにしている飛鳥を放っておいて、男はすぐに身を翻し、少年に軽く手を挙げて別れを告げた。
その態度に、飛鳥は「もう私は無視か」と腹が立ったが、言い返す事は出来なかった。
呼び止めれば、己の方が相手を求めているような気がして嫌だったのだ。

別に相手にされたい訳ではない。
だが、話を振るだけ振っておいて流されると、それも妙に釈然としない。

「アスカ、愛してるヨ」

男は、何やら納得がいかない顔をしている飛鳥の方を再度振り向き、自分の告げたい事だけを言い、やりたい事だけやって、何処かに向かって歩いて行った。

男の姿が小さくなれば、辺りにも平穏が戻って来た。
何事もなかったように蝶が舞い、小鳥も囀り、時間は常と変わらず流れて行く。

狐に摘まれた気分というのは、このような感覚なのだろうか。

飛鳥は、中途半端に残った怒りと羞恥心を抱えたまま、黙って男が消える様を見ていた。
言いたい事は山とあったが、きちんとそれを言い表す事が出来なかった。
ただ悶々とするだけで、その靄を胸に抱く事しか出来なかった。

すると、それを掻き消すように、未だ傍に居たらしいジャックという少年が、こほんと一つ咳払いをした。
ふと顔を上げれば、飛鳥を見下ろす小さな眼と視線がぶつかる。

「マスター、呆けてんなよ。
事態を説明してやるから、さっさと立ちな」

咳払いまでした割には、少年は冷たく言い放った。
やや苛々しているようでもあった。

それとは裏腹に、相変わらず辺りはとても暖かかった。
寧ろ至極適温といった感じで、その心地良さのせいで飛鳥の脳も益々呆けてしまいそうになった。
何処かに心と身体を置き去りにされたかのかもしれないという錯覚も覚えた。
急展開が多いので、覚束ない夢である気さえした。

そんな宮前飛鳥は、女らしいところは確かに少なかったが、それでも列記とした女という性別を持っている女だ。
生まれた時にすでに男性の性器は見当たらなかったし、いわゆる普通の女なのだ。

しかし、この後ジャックという少年と話をしていて初めて気が付いたのだが、彼女は『女だ』ではなく、『女だった』という肩書きがついてしまう身体になってしまっていた。

それは、この異次元の世界に来たその瞬間、その時に、飛鳥の身体から、僅かではあったが、小さく膨らんでいた胸が削ぎ落とされ、代わりに男性の性器が下肢についていたのだ。
年頃の娘らしい腰の肉も、薄い筋肉へと変わっていた。

それは、紛れもなく男の身体への転身。
飛鳥は気が付かなかったが、銀の髪を持った『ジョーカー』と呼ばれていた男が最初に言った、「俺の彼女になるのと彼氏になるの、どっちがイイ?」という言葉も、実は此処から来ていたのだ。

八月六日、天気は晴れ。
この物語は、そんな一夜の夢のような不思議な体験をした、宮前飛鳥という、一人の女の話。





TO BE CONTINUED


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